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夢舟亭
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夢舟亭【エッセイ】   2010年04月30日




    情熱



 年初めから観ている「龍馬伝」のなかに、地球儀がでてきました。
 勝、のちの海舟でしょうか、彼が、藩をかけ攘夷争いをする武士たちを前に、地球儀を示しました。
 大陸のはずれにへばりつくこの小島の列島がわが国だ。こんな小さな遅れた国で互いに争っている場合じゃない。そんなことをしていると進んだ西洋諸国に飲みこまれてしまうというような説得をするシーンだった気がします。了解する者もあれば、疑義の念を抱く者も。
 たしかに世界地図のなかの日本は小さな島国です。

 とはいえ人間一人の体から比べれば日本列島もけっこう大きな土地で、今生きる私たちも、時として小島列島だという現実を忘れるくらいです。あくまでも日本海をはさんで北にある中国やロシア、ヨーロッパのあるユーラシア大陸などと比べれば、ということ。
 もっともそういう世界規模の知識もなしに、代々この島に暮らしてきた人たちならば、極小さい島だなどとは信じようもなかったのでしょう。

 さて、その日本列島も、けっこう大きい、いや長いものだと思うのがこの春の季節。
 桜の開花時期に差があります。列島桜前線、北上の時間差のことです。
 南から咲き始め、本州をのぼりつめ、北海道へつくころ九州は初夏でしょうか。

 今年は、春先に何度も冬にもどり雪までプレゼントされたものの、そこは地球創世期より変わらずめぐる季節、春。
 こちら北の地も桜は満開をむかえて、早くも葉桜に進んだようです。ゴールデンウィークまで花見時期として、なんとか持ちこたえたかな。


 ゴールデンウィークといえば、この春巣立って社会人となった方々には、新しい生活環境で夢中で取り組み、慣れようとしているなかで、一息いれるにいい機会ではないでしょうか。
 新旧知人友人、気の合った仕事仲間同士が、花吹雪に吹かれながらちょっと本音で話交わす。
 そうした場の挨拶がわりの話題第一番はやはり仕事のこと。
 勤め先、職場の動向や成果。それと自分との関係でしょうか。
 そして仕事分野に関係なく悩みは人間関係でしょうか。

 勤続年数が多いほど、比例して、複雑なしがらみの人間関係は増えるばかり。
 あちらを立てればこちらが立たず。処理をあやまり、もつれれば様々な誤解をうみ、言いがかりがクレームにもなる。立場さえあやうくなる。

 また立場や職位があがれば上も中も下からも、数多のプレッシャーが束となって壁となって襲い、攻めよせてきます。
 サラリー収入給与の代価報酬はけして容易いものではない。

 ですから社会に出て生きるなかでは、清く正しい奇麗事の一本道を、正々堂々と闊歩することなどできないもの。
 職務、仕事というものはドラマや映画のシーンの様に、正論吐いてカッコ良く決めるなどできないのが現実。

 働く同士が酒酌む席に寄れば、そういう仕事の苦労話や悩みなどを「いやぁまったくですなぁ」と交わして、いっそう意気投合。親交をふかめることにもなりましょう。

 まぁそれほどに職場というものはストレスの多いものだということになりましょうか。

 とある会社の新企画説明会議−−

「そこまでだ。もういい。きみらねぇ、ハイテクハイテクっていうがぁ、わたしには何のことかさっぱり分からん。ええ!? どうかね、きみは分かっとんのかねぇ」
 専務が上席で肥満系の胴体を持てあまし、いかにも窮屈そうに太い腕を組み、課長へ振り向くとあごをくゆらした。

「はあ。ええ、まあ……」
 新プロジェクト発表開始間もなく、あっけなく出鼻をくじかれ形の若者は課長の部下だ。
「何だ、きみも分からんのか。困ったものだな。きみが分からんものが売れると思うかねぇ。えぇ?」
 話にならんとばかりに専務は席を立った。
「いつからわが社は学校か研究会の真似などする様になったものか。昔はぁこぉんなカタカナ言葉を並べて、流行を分かったふうにヒマつぶしなどしなかったものだ。じつに困ったものだ。きみたちもっとオトナなビジネスをせえ、ビジネスを!」
 会議室のみんなは微動だにせず、押し黙って肩も背も縮めたままだ。

 すると発表をした若者が顔をあげた。
「専務。待ってください。時代が、ちがうと思います」
「む。なんだとおぅ」
「おい、きみ、きみぃ〜。すみません専務。わ、わたしから良く言っておきますので。説明の場はまたあらためて、ということにして。はい、よぉく再度検討いたしまして、またご連絡させていただきますので、この場は、はい」
「そうでなく。資料を事前にメール添付してあったのですから、補足解説に目を通して頂けたら、充分分かったと、そう思うんです。せめて、せめてメールに目を通していたいていたなら」
「おい、やめとけっ! すみません専務。きみぃ困るよぉ〜」
 専務は憮然としてドアに向かい、ノブに手をかけて舌打ちをした。
「お机のパソコンが世界につながっていて、関連情報だって見られる時代なんですから。このみんなで必死に考えたことなんですからもう少し」
 彼は退かなかった。声を震しながらも執拗に訴えた。
 課長はそのまえにでて腰を浮かし、泳ぐように手をひろげて専務にすがり寄り、何度もあたまを上下した。

 専務は出ていった。その背中を閉じたドアがさえぎる。
 と、課長は若い彼に向かって、うんうん、とうなずく。
「出直そう。なっ、なっ。この企画少し新し過ぎた。いや、おれが悪かった」
 課長の額からは汗が噴きでていた。
「そんなぁ課長。だって、さきほどまで大賛成だったじゃないですかぁ。これは斬新だっていって。何なんだぁよぉもぉ」
 若者の目は悔しさで溢れていた。
 課長は何もいえなかった。
 気づけば会議室には二人のほかもう誰もいなかった。
「そうだな。うんうん、そうなんだ。そうだとも、きみのいうとおりだ。だがな……」
 課長は若者の気持ちが痛いほど分かっていた。けれどその胸の痛みを和らげるすべがつかめなかった。

 その夜。課長は若者を連れて社をでた。

 年齢では二周りほども若いその部下は居酒屋の席でいった。
「おれ、『昔は、あの頃は』っていうのを耳にすると、その瞬間アァこの人鮮度落ちてるなって思うんです」
 課長は諭すようにいい返した。
「そういうがね、きみ。今こうして不況にもかかわらず、我われが職を得て仕事のチャンスを与えられ、給料までもらえているのは、諸先輩のご努力ごと苦労の積み重ねのおかげだろう。それを忘れちゃいけない。そしてだな、誰でもきみもわたしもやがて老いて、昔のひとになるものさ」
 すると若い彼は冷えた生ビールの大ジョッキをあおるように空けた。そして勢いをつけるように真剣な表情になり口をひらいた。
「課長。そういうことじゃなくてぇ。過去ってこれからでは変えられないじゃないですか。変えられるのはこれから先の未来だからぁ。それを創ることが出来るのは結局この先のおれたちだと思うんです。老いたひとたちも若いときがあったわけだから分かってくれると思ってました」
 若者は一気に言いきった。

 課長は若者のその言葉に、自分の口からも同じ様な訴えを、ずーっと昔にしたことがあったなぁと思い出した。
「そうか……うんそうだね。若いときもみんなにあった。で、きみはこの件をどうしたい」
「そりゃあ課長決まってますよ。だってですよ、いいですか」
 若者は身をのりだして話しつづけた。飛び出す言葉はどれも熱かった。

 課長は胸を灼かれるようなその熱を冷えたビールで飲み干した。


                 −おわり−









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