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夢舟亭
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エッセイ 夢舟亭/文集     2008年 2月2日


     夜 道


 地方都市といわれる規模の街にでた、夕刻。

 自宅に帰ろうとステーションビルに戻る。
 と、駅構内にアナウンスが響いた。

 事故のため上下列車が不通という。

 改札口で問えば、復旧は明朝かもしれず。
 いずれにせよ連絡放送を待てという。

 私の家は20kmほど離れた駅の近くにある。
 これでは時間通りには着けないなと途方にくれた。

 そして何が起きたのだろうと、時計と待合い居並ぶ困り顔とを見くらべる。
 金曜の夜だけに街にでた人は多く、定刻間際に走り込んできては賑わい動かぬ人たちに混じって驚いている。

 再々駅の大時計を見あげる。
 午後10時30分を数分まわった。

 その10分ぐらい前から、私のなかに或る思いが湧いては押しとどめていた。
  それはちょっときつくないか。
  いやできないこともなかろう。
 と、コートのポケットにつっこんだままの両の手をもぞもぞしながら、踏み足を繰り返し、黙想思案する。

 その間も、数分ごとにくりかえすアナウンスの説明は変わらず。
 ついに両手を目の前で握りあわせた。
 その手をほどくと、ひとつ大きくたたき合わせた。
 よっ!

 行動開始という意味だ。
 開始する行動とは、20kmの距離を歩いて帰ろう、という決心だった。


 こうして月の夜、私は駅構内を踏み出した。

 約3時間と何十分か。
 自分に問いかけ、独り応えて。
 月や星に語りかけ、思いをうちあけ。
 流れる雲に声をあげて歌った。

 歩むにつれ、行くにつれ。
 歩道の凹凸や、街灯の光。あるいは月明かりにうかぶ野辺の草木の影に。
 幼い頃歩いた夜道を思い出しながら、歩いた。
 するとすっかり忘れていた当時の家族の面影も、なつかしいく思い浮かぶ。

 道程の半分も行かないあたりで、黄色い四角窓が連なった灯の列車が遠く走って去った。
 復旧したようなのだ。
 なにかまうものですか。
 人生は旅というではないか。
 こういう旅もたまにはいいさ。

 などと、私はとうに、このまま歩けそうな自信を感じていた。
 いや意地でも歩いてみるつもりでいたのだ。

 案ずるより産むが易しのことわざ通り、20kmという距離は、足に疲れは残ったものの。
 私のなかでは途方もない遠道ではなくなっていた。
 それよりも、一歩一歩この二本の足で歩くことの面白みが残った。


 後日、その道をクルマで通ると、所々で道路や歩道や堀の網ぶたの傾斜や、くぼみや凸凹の感触を足が憶えているのだった。
 その感触の記憶が沿道の、夜風景を再び誘いだす。

 いつも何の思いもなく、わずか数分で走り去るそちこちが、もったいなく愛おしい。
 知り合って親しくなった人の笑顔のようにも感じられる。
 降りていって語りかけたくなるのだった。
  ほらあの晩。ここを歩いていった男が居たでしょう。そう、あれ私なんですよぉ。





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