夢舟亭 エッセイ     2002/05/30


    噺(はなし) 笠碁


 噺(はなし)、とは落語のことです。

 私は落語を聞くのが好きでよくラジオの放送を楽しんだ。
 大人になってからも、ラジオやテレビの放送番組表から落語を探しては、演題と演者をノートに記録しながら盛んに録音収集した時期があった。

 量販店などの店頭に、山と積まれた格安のカセットテープを買い込んでは、すでに亡くなっていた志ん生や三木助、金馬の、録音記録もの。
 あるいは活躍中だった圓生や小さん。談志や円楽。馬生や志ん朝。文治、円鏡、小三治などなどを、片っ端から録っては聞いて。
 大いに笑い転げたものだ。

 当時は家族にも説明しながら聞かせた。
 例えば枕元に居座る「死神」(当ページへ掲載中)を追い払う圓生の話の中の、なんともいい加減な呪文「アジャラガモクレン、エベレスト。テケレッツのパ」などは、幼いわが子が覚えてしまった。
 家族の前でそれを唱えては、笑いをとっていたものだ。

 それが、せっかくのヴィデオテープ映像時代になってから、ほとんど録った記憶がない。
 なぜだったろうかと考えるに、人気のある演題と演者だけが何度も放送されたり、記録ノートで演題がダブることが多くなったせいだろう。
 それと、笑いの中心が、漫才ブームに移行していった状況が大きいと思う。
 あれ以降の漫才は私の楽しめる内容や口調でなかった。名人などと言われる漫才コンビも人気の時期は短かったのではなかったろうか。
 殴る蹴るを伴う幼げなあの笑いに話の芸を聞き取ることはできなかった。

 いまではお笑いタレントとか芸人と、いっぱひと絡げにしてしまうようだが、私の子どもの頃に噺家(はなしか)という職業はちょっと不思議な感じがした。
 不思議、というのは価値判断をしかねた、ということ。
 というのは、人前で話をするのに、教師や政治家の様に知的な話をするのではない。
 学術的な裏付けなどはないただ曖昧にして、一種いい加減な話を人前でするのだ。
 そうすることで皆に笑われている。

 笑わせるんじゃねえ。
 ばーか、落としバナシみてえなこと言うんじゃねえよ。

 そういう言い回しで大人たちの捨てセリフを聞くにつけ、幼い頃の私は落語と落語家をどこか蔑んだ気持ちをもっていた気がする。
 彼らはけしてまともな高等教育を終えたような人たちではない、ということも耳にした。
 後に、いわゆるまともな教育を終えたという大卒の小朝や若い三木助が出てきた頃に。

 冗談じゃねえってんだ。ええ。大学卒のインテリが噺家になる時代だってんだからねぇ。
 まぁ世も末だね。
 なんだね噺家を、落語家様とか先生なんて拝められちゃ、噺家もオシマイってもんだよ。
 だって噺家ってのは、ほかに何ンにも出来ねぇんで、世の中の片隅のばかな話を引っ張り出して笑わせるしかねえヤツなんだからねぇ。
 そういう、どうにもしょうがねぇから噺家になったというところがまたイイんだね。

 その頃の、型破りな大物が、こういうマクラで笑いを振りまいていた。
 もっともそれ以前は、落語家といえばみんな型破りというか個性の塊だった。

 今こうして落語の話などすると、教養のひとつにでも有るように思われそうだ。
 これこそが落語的で可笑しい。

 落語に「子別れ」(当ページへ掲載中)という、夫婦の別れを幼い子どもが取り持ってくい止める話がある。
 落語版の「クレーマークレーマー」とでも言ったら良いだろうか。
 これを当時まだ家庭もなければ、もちろん子もない小朝が演じたのを、聞いたことがあった。そこで彼が、自分はこれで精一杯だから、とインタビューで答えていた。
 親子の情愛の表現の難しさを、汗拭くように白状していた。
 当時からすでに流ちょうな言葉を吐いては、新鮮な笑いをとっていた人の気持ちだけに、学んでも学べない噺の難しさと奥深さを知った思いがした。

 落語、噺の数々からは、学校では教えねぇ、教えようがねぇあのコト。恥ずかしい悲しい切ない可笑しいセリフと言いぐさのいろいろを、教わったことになる。
 それがまた落語の楽しみと思うのだ。

 噺(落語)は、大きく分けて二つの種類がある。とは大方のファンがいうところ。

 ひとつは、落としバナシという由縁そのままに、徹底して笑いを引き出す語り技を披露する。
 ばかばかしいお笑いでご機嫌を伺う、噺の類だろう。
 ここにはご存じ与太郎をはじめ、長屋の八っつあん熊さん大家さんほかオールスターがどたばたと出演する。
 さらには、狸も狐も猫も馬も牛も大蛇(おろち)や龍(りゅう)や、のっぺらぼうや幽霊や天狗に神様だって、何でもかんでもが登場する。

 聴いたら最後。ただただ笑いすぎて、顎がはずれて口が閉じず、腹がよじれる。
 目からは涙が流れすぎて拭ききれない。
 生の高座では、公に放送されない、できないネタがじゃんじゃん飛び出す。
 だから笑潰れない様に用心したい。


 一方に、正統派などという人もいるが、人情噺、と称する類の噺がある。
 もちろん落語であってみれば、笑いは重要なファクターである。
 だが笑いだけに終始しない。
 人の妙というか、業(ごう)というか。
 人間性癖の描写が、人情味をベースにしっかりと筋立てて演じられる。
 そこではときに涙も誘い出す。
 泣きの涙と、笑いの涙が顔でぐちゃぐちゃに混じり合うことも多い。
 そこでは親子、兄弟、夫婦、男女の情愛が、一筋のお話として語られる。
 創作された当時の、現実世情を背景に描きつつ展開する。

 辞書に、人情噺とはどう書かれてあるか知らないが、そこでは法律とかルールとかマニュアルなどの、義務感から発するものではない人の思いや気持が有る。
 自然発生した人の情愛が、悲喜交々(ひきこもごも)の人間関係として語られる。
 保険やリスク対策とか、いつでもどこでもすぐ電話出来ないと身動きが出来ないとか、日に一度も外気に触れないで土を踏まない生活とか、メいっぱい遊ぶ子どもを不思議がったりする現代とは異なる世界なのだ。
 だからもしも落語が喜ばれた当時の人たちに、現代の私たちの生活が知れたら、さぞかし笑いのネタになるのではないだろうかと思うほどそこは別世界だ。

 勤労の意味やカネの価値。夫婦の情を聞かせる「芝浜」。(当ページへ掲載中)
 若いうちの遊びから商売根性の芽生え。そしておカネに代えられない正義感とか、その他多くの問いかけがある「唐茄子屋」。(当ページへ掲載中)
 そして「子別れ」(当ページへ掲載中)などは人情噺として知る人は多い。

 一時私はこうしたストーリーを持った人情噺以外は、まともな噺ではないと思っていた。
 当時のばか噺の雄、三平や円鏡などを、今どきのやらせ型の造り笑いが溢れるテレビ放送と同じようにつまらないと思っていた。
 しかしこの歳で聞けば、これはこれでまた素晴らしい話芸だと思える。

 先日、いまではすっかり有名になった滑稽派の噺家の高座(ステージ)を目の当たりにした。
 そこにはテレビ放送番組のお目出度いあのばか役は存在していないのに少々驚いた。
 本当にそれが地なら噺を演じるなんて出来ないでしょう、と一緒に観た家人の方が見抜いていた。
 大喜利というあの座布団遊びは、並んで坐る位置で、落語長屋の個性有る住人それぞれを「演じている」のだという。

 今では、どこまでが芸か分からない様な、根っからのサービス精神で普段まで演じる噺家は貴重なのだろう。
 噺中で、講演会でもあるかの様に知識をご披露なさる噺家も居る。それを熱心にメモをとり、頷く聞き手もいるようだ。

 公演の場で噺を聞くと、どの演目もエアチェックのテープよりは演ずる時間は長い。
 その度に放送という時間枠がいかに原作とアドリブの素晴らしさを削いで、生煮えにしてしまっているかに気づく。

 また噺には、時として唸るような人間観察眼を感じる作品があり、それを聴いて恐れ入ることも少なくない。とても、たかが落語とは言い捨てられない。
 それでも落語は、歌舞伎や能、狂言などの伝統芸能とくらべると評価が低い気がして残念だ。
 大衆芸能としての噺は、放送などがない頃には、噺を演ずる小屋も多く、売れる噺家は掛け持ちで演じては大いに賑わったという。
 効率的で即効性が好まれる今、じっくり楽しみは少数派のものになってしまった感があるだけに、賑わいの状況などなかなか信じられない話である。


 私の好みの噺家といえば、金原亭馬生だ。
 志ん生の息子である。たしか長男だと思う。
 金原亭馬生は、近年亡くなった古今亭志ん朝の兄さんである。
 馬生は、志ん朝より先に亡くなってだいぶ経つ。

 このふたりの父親である志ん生は、ひょうひょうとしたとぼけっぷりの様子が面白かった。
 高座に坐っただけで、どんどん笑いをかき集めるタイプの名人で、「火焔太鼓」などは、面白くてたまらなかった。

 志ん朝はといえば、普段の話っぷりからがすべて落語調で、滑稽お笑いの達人。
「酢豆腐」のなかの若旦那の、気取り口調などは最高だった。

 それに対してこの馬生は、人情噺がうまい。
 だから受け笑いを得意とするタイプではなかった。
 そのためか、あまり目立っていなかった。
 知る人ぞ知る名人だった気がする。
 私はこの人の語り口が好きで、テープがすり減るほど繰り返し聞いたものだ。

 大きな店をまとめて、番頭を教え育て、経営を引き継ぐ様を描いた「百年目」(当ページへ掲載中)や、情けは人の為ならずそのものを描いたような、助けた人に助けられる噺、「佃祭り」。そして「笠碁」などなど。
 今でもゆったりとした馬生のあの口調を思い出すと嬉しい。

 噺家と噺の関係は、歌謡歌手と曲のような自分だけの持ち噺というきまりは無い様だ。
 現に「笠碁(かさご)」なども、つい先日亡くなったお笑いの総本山の様な存在だった柳家小さんも得意としていた。

 老いの日々のなかに見受けられる、男のなんともばかばかしくもほほえましい、それでいていかにも有りそうな友情の風景だ。


 では話ついでに、この「笠碁」を自己流に辿ってみたい。

     ・

 笠、とはその昔、降る雨をしのぐために頭にかぶる藁(わら)や竹で編んだ、大きな帽子と思えばよい。まあるい縁のあるかぶり笠だ。
 農家が農作業の田畑でかぶったこともあったが、今では滅多に見ない。
 花笠踊りの笠であり、笠地蔵などの童話でおなじみの、あれだ。
 今では郷土みやげの店に行かなければお目にかかれないかもしれない。

 話は江戸末期あたりだろうか。
 商売をしている大きな店の、老旦那。
 身代をゆずり渡して、経営にはもう口を出さない。
 悠々自適な隠居生活をしている。
 紫の座布団に坐ってお茶などすする名誉会長の様な立場だろう。

 そんな店をもつ老人が、ふたり。
 なにすることとて無い日々のなかでの楽しみは、碁を打つこと。
 カルチャーセンターなどに通って習って、互いの家に出向き、碁盤を囲んでいた。


 さあさあ、今日も一番いきましょう。

 はいはい。いやわたしもこれが楽しみでしてねぇ。

 そうなですね。
 あのね、先日、センターの先生が、なるほどと思うことを言ってくれましたよ。

 ほう。

 先生私はどうにもうまくなりません。何かうまくなる方法などないものでしょうかというと。
 あなたは「待った」をかけませんかと言うんですなあ。

 ほう。待ったを!?

 そう。
 いやぁ、たしかによく待ったをかけますというと、それがいけませんとさ。
 ね、待ったをかけると、そこから先が難しい、ここ一番を越える技が身に着かないというんですよ。

 ほうほう。さすがは先生ですね。
 はい、たしかにそうだ。待ったを言うたびに、追い手を切り替えす技を憶え逃がしてしまうということですね。

 そうなのですなあ。
 たしかにそれではうまくはならない。
 そこで、ね、いかがですか。今から、わたしたちも、待ったなしでやりませんか。

 うむ、それはいい。お互い、うまくなるためにというわけですね。


−−店の裏の、屋敷の縁側なんかで、白と黒の碁石を、ぱちぱちと打ち始めた老人ふたり。

 ふぬふむ。来ましたね。では、こう、と。

 ほうほう。そうでしょうとも。ではここだ、と。

 へいえ。さすが、いい手ですね。では、ここへ、と。

 おう。そこか。
 では……まてよ。こちらなら……だめだな。ふうむ。

 どうです。なかなかいい手でしょう。
 ふふ。待ったなし、でしたね。

 なんのなんの。
 では、ここでいかが、と。

 おぅや。ここがありましたか。
 では、ここは……だめか。
 こちらも……だめだ。
 いやこれは困った。

 へへ、ね、待った無し、でしたな。

 おう。ここだここだ。
 はい、ここへ、と。
 いかがです。

 うわぁ。これはいけませんな。
 待った。この手だけは参った。
 待った。

 いいえ待ったは、無し。言い始めはあなたですからね。

 そりゃわたしが言いました。たしかに言いましたよ。
 けれど、なにもこの一手ぐらいはぁ……。
 待ったって良いじゃないかなぁ。

 そりゃあいけません。待ったは、無し、ですから。

 いけません!?
 待った無しと言いますがね。
 いえ言いたくはありませんが、あれ……、そうあの時のことは憶えてないかなぁ。
 そうあのとき。ほら忘れたとは言わせないなぁ。
 お宅が、困ったあの時。
 カネの工面に来た。あなたがね。
 そんとき、このわたしが、いけません、なんて言ったかなぁ。
 それから比べたらなぁんですか、こーんな碁石の一手ぐらい。

 そんな、あなた。これと、あの話は別でしょう。
 それを言われなければわたしも碁の一手くらい待とうと思いましたよ。
 でもねぇ、そんなことをここで出されちゃあ、もうけません。
 何ぁですか、こちらが我慢して、ヘボな碁に付き合ってやっていれば。イイ気になって。
 へぇ、ヘボ。
 ヘボ碁!

 へ、ヘボ碁!?

 ああ、そうですとも。ヘボ碁です。
 大ヘボー!
 では失礼っと。

 言ったなぁ。クー、もう二度と来るなぁ!
 えい、いまいましい。塩を撒いときなさいっ。


−−とまぁ、孫の二、三人はあろうという、いい歳の男二人が、しょせんはゲームの、碁石一つの待った待たないで子どもの様にけんかを始めた。
 けれどそれを見ていた家の者たちは、誰も驚いたりしない。
 また始めたと、くすくす笑い。

 さて、そのあと数日。
 互いに大旦那たちはそれぞれの家でくすぶっていた。

 しかしそこはそれ、世間を知った苦労人。
 すぐにばかな自分の言動を恥じていた。

 そしてまた幼なじみの碁の相手が気にかかる。
 気にかかってはいるが、喚き散らして追い出した都合上、お茶の準備が出来ていますからお越しください、といつものように呼びにも出せない。
 言われたほうだって、まさかのこのこと顔を出せない。
 そんなことは百も承知。

 さあ出るも入るもならず、困ったままのふたり。

 数日あとのこと。
 雨の日に、追い出された方の旦那が、ついにしびれをきらして立ち上がった。
 何を思ったか、普段かぶることもない笠を被り、箕(みの)を背にして、家を出た。

 この辺りからが話芸の極致となる。
 場面もふたりの様子を追って、どんどん切り替えられる。

(まずは追い出した側の様子)
 あいつはね。元々強情なんだ。
 なにも来ればいいじゃないか。しょせん遊びなんだから。
 しかし、ヘボはないでしょう、ヘボは。
 よく言ってくれましたよ。
 ふふ。あいつはね、小さいときから、普段物静かなわりにストレートな言い方するんだよ。
 そうなれば、こちらも売り言葉に買い言葉ですよ。
 二度と来るな……。
 ちょっと口が滑ったな。
 なに本気でなんて言うもんですか。解りそうな仲だろうが。

(ここで笠に箕を身につけて出かけてきた、追い出された側へ切り替わる)
 しとしとと降るなかを、相手の店の手前まで来て、隠れて。店の様子をのぞき見る。

 む、居るかな。
 でもまったくあの人も、相変わらず強情ですねぇ。昔からちっとも変っていませんよ。
 そりゃあ、ヘボは言い過ぎました。
 でもまぁこのわたしも、あの人も、碁はヘボです。似たり寄ったりですよ。
 ふふ、ヘボ同士が待った無しとは、よくも言ったものですね。

 忍者の様に背を丸めて、入り口まで来て、中を覗いて。
 こちらを見ているのが分かると、ぷいっと通過する。


(今度は店の中)
 おっ。あいつだ。
 来たきた。
 おやおや雨に濡れちまって……。あれ、箕に笠かぶって、行っちゃったよ。
 どこに行くんだ。ええ、この先にあいつが行くところなんてないだろう。

(店の外)
 ちぇ。声をかけて、呼び止めればいいじゃないか。
 こっちだって、ここまで来てるんですからねぇ。
 通り過ぎたら、仕方ありませんよ。戻りますよ。

 すぐに道を折り返して、店先を通過する。

(中)
 ほうら、来たきた。
 あんなに濡れて。お、おい……。

(外)
 ……。

(中)
 どこに、行く、んだよ。

(外)
 え、なに。あ、わたしかい。
 どこって、なに、ちょっとそこまでですよ。

 あ、そう。そこ、ね。
 どぉせ、ヒマなんだろう。

 ヒマ!? 余計なお世話ですよ。
 それより、ちっとはうまくなったかい。

 うまく!? ああ、碁ですか。
 うまい人に教わりましたんでね。うまくなりましたとも。

 教わった? ほんとかね。

 ほーんとかどうか、うふふ。どう? 一勝負、やってみますか。

 一勝負!? やる? 
 くくくっ。分かったわかった。さあさあ、やろうやろう。
 だ、だれかぁ! 碁盤を、ここに、ここに持ってきなさい。
 ね、いや、遊びなんだ。何も碁の先生になるってンじゃぁないんだ。待った大いにけっこう。

 そーですとも。ヘボ碁けっこう。
 では、さっそく。こういきましょう。

 なんのなんの。ではここ。
 まあなんだね、待ったなんか有ったって良いんだよ。
 誰に迷惑かけるわけじゃないんだから。

 そぉうですとも!
 で、ここ、ですね。

 おや。きましたね。
 へへ、待った有り。おおいにけっこう、と。あれぇ……。


−−と、ここで盤面が濡れるのに気が付いた。
 ふたりと、もあまりの碁恋しさに夢中で、かぶったままの笠もとらず始めちゃった。
 雨に濡れた笠のことなどすっかり忘れて打ち始めていた、というわけ。
 なんともほほえましい噺、笠碁の幕である。


 この「笠碁」を馬生の場合は、なんとも優しくって、今にも孫を撫で可愛がりしそうなお店の旦那同士に感じられた。
 一方、小さんの場合は、商人の現役時代はさぞ豪快だったろうと推察される旦那方イメージで演じられていた様に思う。

 両者とも、話の後半の雨の日の仲直りの場は、極上の話術で笑い酔いしれること請け合いだ。
 日本人に生まれた幸せここにありと言えば、言い過ぎだろうか。

 今では一時期ほどの落語の人気は無くなってしまった。
 数分ばかり演じられるのがたまにテレビで見受ける程度なのが寂しい。
 この先、噺(落語)は聴衆をどう取り戻し、いかなるふうに仲直りして行くのだろうか。


      (おわり)