夢舟亭 エッセイ 2004/05/29 (落語)文 違 い から さて今回は、落語の「文違い」(ふみちがい)。 紙に書かれた男女間の手紙の話です。 男と女の話は古今東西、万国共通どこにでもあるごく分かりやすい人間関係ですね。 清く優しく純情なのとか、いまひとつ煮え切らず面白みのない話もあれば。 どろどろとしてふてぶてしい、がゆえになかなかドラマ味のある面白いものもある。 ところで手紙と言えば、今では電子メールでしょうか。それもケイタイメール。 電子というだけあって、出した翌日に届く悠長な手紙とは大違い。 こちらの手元画面から、ピッと相手の画面まで簡単に飛んでゆく。 手紙などを書くこともなかった仲が、電子メール時代に入って、急接近したりする。 年齢を問わずに、メル友やメール知人となって。 顔も知れぬ遠地の方と、親交をあたためている。 互いの日常の様子など書き交わしているわけです。 筆無精の私も、きのうは何をどうしてどうだったと、相手にとっては要りもしない報告の幾行かを送る。 送ると言っても、鉛筆をなめて下手な文字を書くのではなく。 スイッチのお化けの、キーボード上のウロコみたいに並ぶあちこちを指で突き、どうにか文字を送る。 それへ相手からも、多少の意見が返してきたりする。 最初のうちは、時候の挨拶程度だった。 やがて人一人の意見となれば、親しくなるに従って、賛成だけでなく否定反論など唱えることは、よくあるはなし。 こちらの訴え思惑にそぐわないことは当然でてくる。 そうは思いませんな、と。 向かい合っての会話なら、そうしたこともままあるものなのだが。 1秒で地球を7周以上にもなる電子の速度で配達する電子メールです。 持論押しつけに汗かきキーイン入力。 しだいに互いのメールの間隔時間は短く、かつ、言葉は激しくなる。 こういう時、日頃円満な人柄に思える相手でも、油断は禁物。 紙面配達の時代には、あちらに届くにも、こちらに着くにも、頭を冷やす間があった。 が、電子メールは超速いだけに、ヤバい。 見えない相手へ、文字を並べる指が急ぎ書きしゃべる。 読み直せばよいものを、一気にまくし立て、送り返す。 で、まあ……分からず屋メ! と話がコンガラかって、頭に血が昇る。 ちょっと間をおいて、また時候の挨拶でも再開すれば良いのです。 どうせ国の威信だとか、大儀だとかというものとはテンデ違うわけですから。 しょせんは無駄話なのですからして。 そんなわけでこの頃では、紙に書きつづった手紙を配達されることは少ない。 人間世界の縮図を見る思いの古典落語の手紙にまつわる話といえば。 文違い、でしょう。 ・ 来てくれ来てくれ、と書いてあるが、肝心な要件は書いてない。 これじゃ、きみぃ、分からないじゃないか。いったいどうしたというのかねぇ うーん。どうしたのかね、だなんてぇ。 このところあなたご無沙汰なんだからぁン。 あたしね、実は…… 男ってものはだね。何にかと仕事で忙しい。 まして私のようにだな、こほっ、経営者ともなるとだ。いろいろある。 だからこうしてきみにも良い思いをだね。 きみだって、きのう今日のつき合いじゃなし。なにが不足なのかねぇ。 ううん。不足だなんて〜。 じつはねぇ。あたし、育ての父親が、居るの。 父親が!? そんなこと初めて聞く話じゃないか。 で、それが、どうしたのかね。 聞いてくださるぅ。 血はつながっていないの。乳飲み子で拾われたあたしなんだから。 小さい時育ててもらったのよぉ。ううん、ほんのちょっとだけで、施設に預けられたの。 その後音沙汰なかったのよぉん。それがねぇ。どこでどう嗅ぎつけたのか……。 ここで働いてるのをかぎつけてぇ。 お金無いか。育ての親に、恩返し出来ないのかって。 しつこくってぇ。 きのうも来てぇ。もうこれきり親子の縁を切ってやるから、五百万円出せって……。 あたしもう、どうしていいか。ううう……。 親子の縁切り金か。五百万ねぇ。 ひどい親もあったものだね。 私が話合ってやろうじゃないか。 ううん。そんな、だめよぉ。 いいの。でもあたしには、あなたしか、頼れるかた居ないじゃないのぉん。しくしく。 泣かなくていい。 可愛いきみの為なら、なんとかしたい。 だが……五百万とはなぁ。 ううん、全部でなくてもいいの。 それでねぇ、ほら店のあの奥のに、田舎者の客が居るでしょう。 今日あたしが呼んだのよぉ。あたしに、もう、なのよぉ。 それであの男から、引きだそうと思うわけ。 だから、変な声聞こえるかもしれないけどぉん、あたしはあなただけなんだから。 気にしないで、ねっ。 田舎者って、例の角造とかいう男かね。 ああいいとも。行って来なさい。 そうぉ。何とかなりそうなのよ。 じゃぁ待っててね。じゃあ行って来るわ。 * ううん、もうぉ。来ないんじゃないかと思ったわぁん。 そんりゃぁ、まだご挨拶だあ。 男ってもんはぁなぁ。 仕事があるっていうんでしょ。 仕事がこうして隣に坐ってお酒注いでくれやしないわよぉん。 そんなこと言って、あたしなんか忘れちゃってどっかにイイ人見っけたりしてないのん。 街のこの商売仲間ではね、あなたとあたしの仲なんて知らない人いないんだからねぇ。 逃がしゃしないわよぉ。 ううん。にくいひとっ。 でぇへへへ。ばっか言うなって。 そーんだにしがみつくなって。 ちょうどよぉ、こっちへ組合の用事できてな。ほんでまあ、寄ってみたんだあ。 おめぇ、また綺麗にぃなったなぁ。 ふん。あたしんとこへなんて、何か用事なければ来られないっていうんでしょ。もぉう。 でへへへ。まーったく困ったやつだぁ。 いーつもそうして、すねるんだがらなぁ。 そこがまた、ええな。 おらの村にゃ、居ねぇんだわい。こういうめごいのはよぉ。 それよりさぁ。聞いてくれるぅ。 じつはねぇ。あたしの母さんなんだけどぉ。もう歳なの。 で、ねぇ。寝込んじゃって。 先週入院したわけ。 ねぇ、聞いてんのぉん。 ぐぇへへへ。見とれちまってよ。 ふんふん。おめえの、母ァ様が、入院したってか。 ほんで、具合はどうなんだ。治んのか。 おめえ、ええ匂いだなあ。 うんもぉ。ちゃんと聞いてくれなきゃいやっ。 でね、難病だって言うの。 年寄りでしょう。手術は無理だんだって。治す治療法は薬だけだっていうわけ。 でもねぇ、薬、とってもたかいの。 この国には無いものなんだって。 おめえのたった一人の母ァ様だべ。 治さねえでどうする。 んで、いくらだ。 五百、五百万円。無理よねぇ。 ねえどうぉ。あたし、もう悲しくて、ぐしゅ。 ご、ごひゃく! また何とも高けぇなあ。 まけてもらえねえのかぃや。 ばかねぇ。お医者さんに、まけてなんて言えないじゃなぁい。 うーん。やっぱり他人の親ってことなのよねぇ。 他人ってこたぁねぇよ。だがなあ。 おめえ、五百とはよぉ。 無いこともないでしょ。 いなかに、田んぼや、畑、いっぱい持ってるって言ったの、誰れよぉーん。 ぐははは。ばかったれ。そんなとこさわるんでねえってば。 田畑か……そりゃぁなんねぇ。先祖様から預かった、大事なもんだ。 あれは、なんねぇんだよ。 なんねぇ、っていうけど、あたしとあんたの関係は、もうみんな知ってることなのよぉん。 あたしにあーんなことして。 ねっ、あなたのいなかだって、他人じゃできないでしょうん。 そりゃあ、でへへ、あんなことはできねぇなあ。 夫婦だけよね。 それが、なんねぇ、だなんて。 あんた、あたしをやっぱりだましたのよね。悲しいっ。 だました!? おらがか。なに言うだ。 そうだな、違げねぇ。おらだちは夫婦だ。 うんうん、じゃあ、おらのいなかに来るか。 あったりまえでしょ。 だから、ねっ。う〜ん。 これ。その手、やめろって。迫るなって。ふぐぐぐぐ。 ほんじゃな、おらのこの鞄に今四百ある。 まずこれ払って、医者には、この後旦那の角造が、何とかすると言え。 これはな、いなかの組合から預かった大事な金なんだよ。 ほんだから、帰って、田んぼを一反ばかし売って充てるべ。 さあ使え。 女房の母ァ様を、見捨てるなんて罰あたりは、おれにゃできねえでよ。 うわあ、うれしーい。 でも、あたしって、わるいおんなね。チュッ。 ぐわははは。ばっかめ。ぐふふふ。こいつ。くっくっ、くすぐてぇよ。 それじゃ。ちょっと、これ、さっそく使いの人に渡して来る、ねっ。大好きっ。 * ぐわははは、だって。 きみもまた、ひどい男に好かれたものだね。 ここからも見えてたでしょう。 そりゃあ、そばに居るだけで寒気だわ。 あたしも苦労してるの。 でも、見て。四百。 ねっ。こうなったらあなたも、百万何とかしてぇ。 五百揃わなくちゃあなたと一緒になれないのよん。 ヒモの様な父親が、いつまでも搾りに来るんだもの。 あたし、悲しいっ。 そうか、分かった。 不足は百だね。 どれ。む、五十と。それから、たしかここに二十。 で、これが三十。 ほら、どうだ、百だ。 うわーっ。だーい好きー! おいおい。こんなところで。また大胆だね。 ごくっ、いいのかねぇ。 ふふ。あ、ちょっと待って。 嫌な父親が下に来てるの。 きっぱりと親子の縁を切って、追い払って。 すっきりして。それから、ねっ。 * アキラ、待った。ごめんね。 じょーだんじゃねーよ。 こっちはよ、眼病で頭がんがんしってんだっから。 まだ痛むのぉ。 ああ。 いまも、見えないの? ああ じゃあ、あたしが、見えない? ボーっと、な。 見えるわけ? どこも悪くなんかない様なんだけどねぇ。 素人に何が分っかよ。 それよっか、カネ、出来たんだろ。 そうそう。はいこれ。五百。 ね、嬉しいでしょ。 ああ。 じゃあな。 えっ。帰るの。今夜、泊まらないわけ。 あったりめえじゃん。 この眼病、あっちのコト、悪いってさ。 そんなぁー。 そんな病気あるのかなあ。 治ったら、いくらでも来れるし。 ほんとね。じゃあ、気を付けて…………。 うんもぉ。 あら、なにこれ。 手紙ね。 誰か落としていったのかな。 なになに……A子よりか。 『先日お電話いたしました通り、もうお逢い出来ません。 愛するアキラ様にはとてもお願いできないことが出来ましたので。 姉弟だけで暮らして参りました私たち姉弟に、不幸が訪れたのです。 先日たった一人の弟が、大変な交通事故をおこしました。 今、瀕死の状態です。 至急手術をしないと大事な両足は無くなります。 その費用は五百万。 急いで用意しなければなりません。 ご承知の様に、私たち姉弟はこの町に身寄りなどおりません。 ですからこうなれば私のこの身を売ってでもと・・・』 なにこれ、冗談じゃないわよ。アキラの眼の病気って、やーっぱりウソなのね。 裏におんなが居るってことじゃないの、もー……。 * しかし、なんですよ。いなかのぼんぼんってのは、まぁ都会の夜のおんなに、四百もぽんと渡すものかね。ばかだねえ。 だって彼女は、この私のものなんだから。 私だって、もうかなりつぎ込んでいるんだ。元は取らなくちゃ。 それにしても遅いなぁ。 でもね、夜の商売なんてものは、いろいろ苦労があるんだろなぁ。 あれ……足元に墜ちているのは、むむ……これは手紙ですよ。 『アキラより。 先日の検査結果の、目が潰れる病の話は、治すには五百万要る。 おまえの客の、山田社長というのと、角造とかいういなかのぼんぼんから、何とかすると言った約束。あれ大丈夫なの。 明日にも欲しいんだが』 なんだこの山田って、これはまさか私か!? ええ、じゃあ、私は、だまされたのかっ。 あぁー。いやんなっちゃう。 ねっ、ちょっと何してんの。それ、手紙でしょ。どこにあったのぉ。 ひとの手紙見ないでよ。もう。 この手紙はなんですか。 さっきの百万返してくれ。ひとをだますのもほどがある。 うるさいわね。もう無いわよ。 あたしも、だまされたのよっ! おい。あーんまりうるせいから来てみたが。 おめぇいい加減にしろや。 おめぇなに言ってんだぁね。こいつは初めっからおらの嫁っこだあなあ。 こんど来たとき、いなかさ連れて帰るって約束したばかりだぁよ。 初めからって、きみぃ。 えっ、いなかへ。 何ばかなことを言うんだ。 この私が先に。 なんだぁおめえは。 いったい誰だぁ。 おらを、いなか者だと思ってなめるでねぇ。 あーん。二人とも、うるさいわね。 ううううっ。あたしとしたことが、あーんな若造にだまされるなんて。 んもー! くやしーい! おしまい |