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夢舟亭
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<この文章は商業的な意図をもって書かれたものではありません>

夢舟亭  エッセイ   2014年 2月 3日


   邦画「一枚のハガキ」



 先の大戦、という言い方も昨今目耳にしなくなったけれど、第二次世界大戦、わが国でいうところの太平洋戦争、あるいは大東亜戦争。
 今から70年ほど前の、あの戦時中の話です。

 監督は「新藤兼人」。一昨年100才で亡くなったのだから、98才で制作したことになる。これはわが国では最高齢現役監督。

 映画作品として戦争を扱うということは、多少の差はあっても、やはり政治的社会的な何らかの表現が内在することは当然だと思うのです。

 世に、反戦映画といわれる作品は多いですね。
 わたしなどが即思い出すというなら、「ひまわり」イタリア、「禁じられた遊び」フランス、「人間の條件」日本、「プラトーン」や「ディアハンター」アメリカなどなど。

 ほかにもユダヤ民族に関する作品、「シンドラーのリスト」や「戦場のピアニスト」「ライフ・イズ・ビューティフル」ほか、ほぼ毎年何か制作されているようですが、この「一枚のハガキ」もまた反戦ものといって良い気がします。

 いずれにせよ戦争を扱った映画とは、よほどの戦意高揚を意図した国策映画でもないかぎりは、すべて戦争の恐ろしさ、つまり反戦を訴える作品といって良いのではないでしょうか。

 さてこの「一枚のハガキ」、これは当時地方にはよくあった話なのでしょう。
 それを地味ではあるけれどよくよく考えれば、表現されていることはきわめて強烈な戦争の理不尽さです。国民の兵の、命の軽さというべきか。
 多くの自国民の生命を、いかに出鱈目でいい加減な扱いをしたか、という点に腹立たしさとどうじに、虚しさを感じないではいられないのです。

 そのことにより家族家庭がいかに崩壊消失してしまうか。
 家庭それぞれの崩壊は、国民というバラバラに砕けてしまうことであり、けっきょくは国そのものの無力消失というべきかもしれない。

 誰が何のために指揮し命令を下しているのか。その戦いは意味があるのか無いのか。
 そもそもなぜ始めたのか、なぜ終われないのか・・・
 戦争とはいったん始まってしまったらこうなるもののようです。

「一枚のハガキ」のストーリーを説明するのは控えますが、敗戦色が濃厚になった当時の日本では、若者ばかりではなく中年初老にいたるまで、依然赤紙という出征命令書で兵士として招集された。
 もはや武器など無いのに・・・

 そんな一人がこの主人公農夫です。
 その仲間ともども、兵100名へ、ある指令が発された。
 なかの94名は異国に出兵せよと。
 戦況を思えばその指令は死を意味する。

 さて94名として選ばれるか、残る6名になるか。
 それが生死の分かれ道。

 もちろんその当時では、残れた4名とても兵士であるからは先々どんな指令が待っているかは、分からない。
 時を経た現代から見てそれが生き残る命運を分けたということ。

 で、その命運の選出方法は、というと。
 これが上官らのクジ引きであったという。アタリ、ハズレ、のあれだ。

 兵士という人間一個の命を、まさにゲームの駒ほどにも容易く扱うことになるのが、扱って平気であり当然だったのが、わが国の戦時下の軍隊だということだろうか。

 聞くところによれば、終戦末期に死者数は急増したという。長引かせながら無謀無茶な作戦が相次いで、亡くさずに済んだはずの命の数が急上昇したのだ、と。

 この映画では、そんな死者、つまりハズレクジとなった兵の妻の、その後の生活を描く。
 白布で包んだ空同然の木箱を夫の霊として迎えて、義理の父母を看る彼女はその後も戦時下ゆえの不幸に見舞われる。

 けれど、戦争時の思い出を描いたという新藤監督は、苦しさだけを描いたわけではない。
 それが観る者にわずかながらも安堵感を与えることにはなった第35回日本アカデミー賞 優秀監督賞作品でした。




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