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夢舟亭
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夢舟亭【エッセイ】   2010年06月05日




   薄氷の上のたき火



 舌を火傷するほどの熱さも喉(のど)元過ぎれば忘れる、といわれます。

 そこで、さてY2K(ワイ・ツー・ケー)って何だったか憶えていますか。

 コンピュータの二千年問題、と即口にでる人はかなり記憶力がよいか、ニュース通か。
 そうでなければ2000年の当時コンピュータ関連の仕事をされていた人かもしれない。

 私などはあの時、年末年始に起きるかもしれない大問題を報道で知った。だがしかしどうにも理解できないのでした。

 西暦2000年の、午前0時ジャストに、「世界中のコンピュータが誤動作する」・・かもしれない。
 それが1999年最後のビッグで深刻なニュースでしたね。
 Y2K問題の「Y」は年号で、「2K」は2000のこと。

 世界中の大小コンピュータ、一般市民のパーソナルコンピュータまでが、西暦1999年12月31日の23時59分59秒を、1秒越えた瞬間。
 つまり2000年1月1日00時00分00秒になるはずの時刻に、世界中のコンピュータが年月時刻を示せない可能性がきわめて高い、というのでした。
 そのことにより世界中のコンピュータが誤動作する、といわけです。

  なんでそんなことが起きるのぉ?

 人の考え出した機械ならまぁ壊れることもありましょう。でも壊れるということではないらしい。そこが複雑。なにせ話はコンピュータの内部のこと。

「コンピュータは人間が考えて指示命令してあるプログラム通りのことを、ただ超高速に処理する機械だ。だから、もし誤った命令をプログラムして教えこめば、真っ正直に働き、誤り通りの処理を実行する」のだという。

 ではY2K問題では何んのプログラムが誤っていたか。
 世界中のコンピュータに、1999年から先を数えられないプログラムが教え込まれているということが分かり、公表された。

 コンピュータ内部の時計や暦は、歯車や秒針が動くのではない。
 正確な水晶の、とてつもなく速い電気鼓動を、1つも洩らさず休まず延々と、多桁の足し算をしている。それで1秒を知り、60回繰り上げしながら分や時を知る。さらに一日、一月、一年も計算で知るらしい。
 その計算プログラムで、1999年から2000年への繰上げ計算が出来ないことが分かったということ。

 つまり、人間が2000年を数えられないプログラムを作成ミスして、そう教えた世界中のコンピュータが誤動作する。
 それにより世界が混乱する可能性があるという不安が広まってしまった。これがY2K問題だ。

 コンピュータにかぎらず、人間の発明した文明の利器たちの役目は、人間の仕事を補助すべきもの。
 人間がうかつに誤らないように、人間のミス失敗やその可能性を、修正補足援助するのが文明マシン、コンピュータも、ではないか。

 ましてチックタックの時計や24時間で繰り上がるカレンダーの計算ごときは、小学低学年のレベルであろうに。
 それが1999年最後の時間に、たった1を加える計算を間違うなどということがあるとは、いったい誰が信じられましょうか。
 さらにはそのミス動作で、コンピュータ自身がパニクって、世界中あちこちで大混乱がひき起こされるなどとは、想像もできましぇ〜ん。
 SF空想科学小説や、未来世界を描くハリウッド映画のスクリーンでもさまよっているようなドラマ展開です。
 だから私などは、あははは。ねぇ皆さん、悪い冗談はよしましょう、と思いましたもんね。

 だのに天下の報道機関NHKまでもが一緒になって、深刻ぶって、年末ドッキリカメラを演じているのでした。
 1999年も11月を越える辺りになると、この冗談めいたニュースがいっそう重大モンダイであるとして、関係者の眉根のしわの深さやざわめきが大きくなるのでした。

 詳細な報告記事では、プログラムが作られたのは2000に繰り上がる年がはるか先だと思える数十年前だったという。
 コンピュータ内部の、プログラムやデータを記憶する素子メモリICが、今では考えられないほど貴重で高価だった。そこで時計やカレンダーのプログラムを無駄なく小さく作った。だから年の桁が2桁しか無いのだという。
 西暦数値が4桁のところをケチって、下2桁しか計算していないのだ、と。

 だから1950年なら50。次の年なら51。1990年は90。
 やがて月日はめぐり1999となり、99まで来た。
 さて次の年2000年は……。
 そうだ。ただの00になるではないか、と、気が付いたというわけ。
 00では西洋の暦、西暦の元であるキリスト様ご誕生の年まで戻ってしまうではないかと。

 必ず前の年より大きくなって行くべき年数が、0になってしまっては……困ります。
 コンピュータだって世界がリセットされちゃたかと悩む。
 もしも世界のコンピュータが悩んで、右往左往したまま混乱停滞や、処理の行き場を失って暴走などしたら…………
 はい。これがY2Kモンダイの根源であり、核心。

 1999年の次は2000年だ。けして00年ではないのである。
 だのに、神様の次ぎの王席にも坐りかねない現代社会を牛耳る絶対神、御コンピュータ様が、この新しい年のあけぼのに目を回してしまわれる。

 Y2Kなる話題の真相がここまで掴めて、「コンピュータがそんなことも出来ないとは」と笑いつつ首かしげた人もあろうこと。
 ハイテクの正体見たり。

 と笑うその寸前で……青ざめた。ああッ、ヤバぁい!

 世界は今やコンピュータを中枢神経として、わたしたちの生きる今、「未来都市」をすべてコントロールしている。ということは−−

 金融機関では、銀行も証券会社も、お金の動きの計算や、出し入れそのものまでを動かしているではないか。
 交通運輸では信号機、高速道路の規制表示や航空や海上の通行指令監視や、レーダーや信号を、絶え間なく働かしているぞ。
 ほか水力原子力の電力、ガス水道。その監視や制御。
 その他あらゆる生活環境を四六時中休まず動かす脳細胞となってしまっている。

 いやいやまだまだある。手近かな居間の暖房器具、VTRやAV機器はもちろん。台所の炊飯器や冷蔵庫。お風呂もゲームもケイタイも。そしてクルマだってみな内臓のコンピュータ制御なのだ。
  それらをすべて牛耳っているコンピュータが異常な動きをするなどとは……けしてけして有ってはならなぁ〜い。うわぁー。
 それらが誤動作すると人間社会はマヒしちゃう。
 まて、誤動作の可能性が世界中にあるというなら……衛星やミサイル、戦闘機、空母や原潜にもあるわいな。こうなると誤動作はシャレにならないぞい。

 たったの1秒を足し算する間違いが、世界を恐怖に陥れる世の中に私たちは今生きているのだ。
 もはや逃れられないだけに、SF映画の予告編でもなく、けして笑い事などでは済まされないのであります。
 なにせ今、世界のコンピュータにたずさわる者がこの可能性を知ってこそ、恐怖に襲われて食事も喉を通せず眠ることもできずに居るのだから。
 ハリウッド映画関係者もうらやむほどのドラマのネタか。恐怖到来「Y2K大都市パニック」封切り近日公開。パワフルなドドンと低音解説付きのスクリーンいっぱいに迫りる迫力映像。ジャジャジャジャーン! なのでした。

 やがて関係者インタヴュー報道では、モンダイ回避の難しさの調査結果レポートが次々に送りだされ、レポーターやキャスターが局名入りマイクロホンを握り、世界の首脳陣に差しだす。
 世界の首脳陣はといえば、カメラのフラッシュに浮き上がる深刻顔に苦悩の濃さを深める。

 と……どうもそういった安易なドラマ筋書きをなぞる私の想像はB級SF映画のようで、ことの深刻さが感じられないのでした。
 湾岸戦争やアフガン、イラク戦アメリカニュース映像のように、すべてがドラマ的展開となってしまうのは、現代映像に慣れ染まったせいか。
 現実を直視できずに危機感湧かないのは、現代報道慣れした悲しさか。


 ともあれ、2000年Y2Kモンダイは、さほどの混乱も起こさず過ぎたことは、すでに皆さんご承知のこと。
 というか、今から見れば、さほどの心配はなかったのかも、しれない。
 大事に至らなかったというENDマークを見た安堵のため息。
 だから、そう、そんなことはもうとうに忘れた。

 しかし、です。しょせん浅知恵なる人間の産んだ科学文明は、この先も人間を確実に補い助けてくれないばかりか、脅しもすれば襲いかかることもあろう。
 そういうことを今回の「Y2K問題」から学んだといえる気がしますがいかがでしょうね。

 もしもあの時。そう、もしもプログラム異常がミサイル発射プログラムを誘発起動していたら……。
 もしも交差点の信号すべてが青のGOサインで点灯しまくったなら……。
 もしも満水のダムの関門を勝手に開けきっていたなら……。
 誤動作が医療現場で、あるいは製薬マシンが調合を誤ったら。または高速道路上の車が、高速列車が、ジェット機が、航空母艦や潜水艦が制御不能になっていたら………………


 ふいと間違い、ときとして勘違いし、迂闊な失敗をする人間が生みだしたコンピュータ。その働きにすべてお任せし頼っている私たちの生活環境。
 思えば、それはなんとも心細く、まるで薄い氷の上で焚き火でもしている様な不安定な気分がいたします。うっかり焚き火などしたら……ぴりぴりっと割れる。「 薄氷の上のたき火 」が現代社会生活。
 別にたとえれば、心が不安定で危うい判断力の者の手に握られたナイフ。それを喉元か心臓のあたりに突きつけられている様だともいえないか。
 逃れられないまま、その手にいつ力が加えられてもおかしくない状態。

 それなのに心配事が無事に過ぎてみれば、喉元を過ぎてみれば舌を焼いたはずの高温も、急速に低下して忘れる。それが人間の悲しい性か。

 たしかに薄氷の上とはいえ、今さらこの住み心地の良さ、快適さを満たしてくれているこの社会環境を、なんで離れられましょうや。そうですよねぇ。


                     (薄氷の上のたき火 より)







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