・・・・ 夢舟亭 ・・・・ |
<この文章は商業的な意図をもって書かれたものではありません> 夢舟亭 エッセイ 2001/11/16 修正:2010/10/04 メデュース号の筏(イカダ) 波にゆられてまた日が暮れようとしている。 あれから何度夕陽を見ただろうか…… 大海原のただなかで、波のうねりに翻弄(ほんろう)される難破船の破片、筏(イカダ)。 狭い木片板組みの上で、身を寄せあいうずくまる人びとは、ただ無言。 どぶんざぶんと、襲いかかる波しぶきが崩れ散るたびに、筏のうえを洗いながす。 四方は、はるかに遠く空と海の境目まで、波の動く小山が埋め尽くす。 足もとの木片の隙間では、果てることもなく青黒い波が揺れてはとびちる。 底深くいまにも呼びこむように、前から落ち込んでは後ろがもち上がる筏。 ひとり、またひとり、飢え痩せほそって、骨ばった体躯を仰向けにして。ぐあっと開いた口のまま目玉は白く裏返って、息絶える。 と、誰かがごくりと唾をのむ。みな空腹が極まっているのだ。 髪も髭も伸び放題の残りし十人ほどとて、言葉も出ず見定めるものもなく、ただ虚ろ。 波になぶられる筏に身をあずけ。乾くこともない足腰は濡れるにまかせて。 暗雲が低くたちこめる海原は風がぬるく。隠すに足りない布を巻きつけた陽灼け肌を、なでてゆく。 見るでもなく目に映った遠く……、波と波のあいだ。かなたに、今かすかに小さく……ぽつっと、何かが見えて、隠れた。 そして、また見えた。 ん?! あっ! おぉー! ふね! ふ、船だ。 ふ、船だあ! 船だー! 助かるぞ。おい、目をあけろ。船だ。 船?! どこだ。 ほらふね。あそこ。たすかるぞ! おぅーい! おぅーい! おぅーい! こっち、こっちだぁー! 中腰で立って足りずに、背伸びして。ちぎれるほどに振って、振ってふってふって。 振り続ける、切れきれた布。 大海原の空しい絶望のその果てに、ほんのわずかな今にも消えてしまいそうな、ごく小さな希望の船影を見とめた。 どうした?! ここだ。ほら、ここだというのにっ! あぁ…… だぁー、だめだっ! だめだ、だめだだめだ! 行っちゃだめだ。お願いだぁ。 まだ、生きてるんだ。ほら、見てくれ。ここに生きてるんだよぉ! あぁ見捨てないでくれぇー。どうか、どうか…… ああ……神さま。お助けを……………… −*− フランスはパリ、ルーブル美術館。そこには数十万点の美術展示物がある。 なかでわたしは「メデュース号の筏」というこの油絵に感銘を受けた。 先に述べたように、大海原に漂流する筏の大画です。 わたしは幸運にもこの絵の前に立つことができた。 もう二十年もまえだが、目前にして目をうばわれてしまい、足を地に付けているのにもかかわらず揺れを感じた。 そこに描かれた状況を思いめぐらしては、目眩をおぼえたのかもしれません。 乗る船は海に浮かんでいる間は頼もしい乗り物だ。けれど嵐に遭って砕けて沈めば……。 自分の力を頼りに、他人を押しのけても、必死に木片板切れをさがしてつかまるだろう。 よくよく思えば、何信じるものとて無いこの社会という波間に生きている自分も、筏の人たちとおなじかもしれない。 誰もがみな、絵のように明日をもしれず、波間に漂っている気がしたのでした。 それに気づいて、唸ってしまったのです。 この絵の作者はジェリコーという画家。いまから200年もむかしの、1818年。彼が20歳代の作だという。 美術の本か参考書で目にすることの多い。縦4.9m、幅7.2m油絵の大作なのです。 あの時代に、展示会において初めてこの絵のベールを脱いだとき、絵に見入った人々の、重い一撃をくらったようなどよめきが聞こえそうです。 絵の元になった漂流筏の題材は、フランスの軍艦メデュース号が難破した実話からとったという。 150名ほどが乗船して出航した船だった。 それが沈没。すぐに救命ボートを浮かべた。 だが、乗組員数には足りないボート。 そこで船の残骸木片板切れで筏を組み、それへ位の低い者たちを乗せて、先をゆくボートが引いたという。 けれど救援の連絡はとれず救助のめどは立たず、ただ大海をさまよいつづける数日。 やがて、ボートを漕ぐ上官たちは、筏などを引いていては手間取って進めず、ともに遭難死するだけだと、つぶやきはじめた。 そして、なんと筏に繋いでいたロープを……切り捨て、去ったのだった。 ボートの上官らはまもなく救出された。 さて大海にとり残された筏は…… この絵のように、海原を漂流しつづけたのだった。 口にするものとて無い筏の上では、空腹のあまりに、人肉食もあったとかなかったとか…… しかし神の御心か、通りかかった船に見つけ出され、筏の生存者は救出された。 そうして後。遭難して、筏がボートを離れて漂流した経緯、その真実は秘されたままだったろうか。 いや……そうではない。 あのロープを切ったのは、誰だ? 日が経つにつれて、人々が口にするようになったという。 ・ さてわたしたちが今生きる現代社会では、リストラという言葉が聞かれ言い交わされています。 もはや珍しくもない失業者を生むあの事象。 社内で、長い間おなじ釜の飯を食っては、ともに仕事をしてきた仲間を。あるいは親会社がいっしょに利益を得てきた同族子会社を。切り捨てて身軽になって、逃げ去る。 自分たちが生き残るための方策として見捨てる。それがリストラ。 昨日まで企業という船に、一緒に乗って航海していたにもかかわらず。 不景気という名の嵐に遭って遭難しかけたと見るや、重荷となると、仲間を、下位の者らを、リストラ失業の筏に乗せかえて。命綱のロープを切り離して、逃げ去る。 そういう風景を思うとき、200年もむかしのジェリコーが描いた漂流筏と、なんら変わらぬものを感じるのは、さてさてわたしだけか…… |
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