<この文章は商業的な意図をもって書かれたものではありません>

夢舟亭 エッセイ    2003/01/10


    平城山(ならやま)


 雅(みやび)という趣(おもむき)を、どういえば良いだろうか。
 わたしは、平安のむかしの雰囲気をおもわせる日本っぽさというふうに感じた。
 華やかもあるが静かな様子とでもいうのか。
 けして下々の土臭さがない。

 いわゆる貴族文化のかおりであり、そういうなかには生活色はない。
 扇を手にしたり、烏帽子(えぼし)をのせて。
 雛祭りのあかい毛氈の段々にならぶ人形のような、あのふくぶくとした着物姿を想像してしまう。

 姿や表情はといえば、無骨でこわ面ての武者などではなく、なで肩の美形の男女が、ことばは少なくおっとりとした、静的な感じ。
 現代の、「さま」付けで語られる方々は今もそうしたものなのか、わたしは分からないけれど。
 独特な落ち着きのなかにも、優雅さに満ちているあの感じは、夢見心地の春の日を想像してしまう。

 とはいえ、そこに生きたのもまた人の子。
 人としての思い悩み煩うものが無かったはずはない。
 生命の不安、生老病死の四苦や、人のはざまの悩みに無縁ではなかったであろう。

 そこを巧みに詩歌などに詠ずる、えにしえの高位の方々なれば。
 こういうえもいわれぬ憂いが音にも描かれるのだろう。

 と、耳にしたとき、そういうふうに感じてしまった曲が、平城山。
 平城山と書いて、ならやま、と読む。
 このいかにも日本古来の雰囲気をもった曲だった。

  ひと恋うは 悲しきものと ならやまに・・・(北見志保子:作詞)

 ところが、ところが。この曲は、平安の生まれなどではないという。
 無知なる者というものはどうしようもない。

 それどころか、平城をナラと読むのも、奈良と同じものだという。
 ということは、平安ではなく奈良の時代を詠ったもののようなのだ。
 であれば、千年をさらに数百年もさかのぼる遠いむかしの印象ということにしたい。

 作曲者の平井康三郎というひとは、日本歌曲を手がけ、邦楽器の作品が多いひとだという。
 そしてなんと平成の昨年、92歳で亡くなったばかりなのだ。

 日本的な名曲である琴・箏曲なれば、明治のころの盲目の天才、宮城道雄作のものが知られている。
 瀬戸内の風情の、春の海。ほかさくら変奏曲や水の変態なら、わたしも耳にしていた。

 そうしたものとくらべて、この平城山という曲は、もっと古き雅な風情を想像してしていた。
 平城山とは、奈良の北のほうにある山とか。

 戦国の世よりもはるかなむかし。
 いまから千年以上も前のおそらくは下々のわたしの祖先らには無縁であっただろう、香煙をうすく匂わした月明かりのやかた。
 そうした縁に語らう、憂いを抱いた男女の衣ずれなどが、ふと聞こえそうなのだ。

 陽のある風景でいうなら、遠くかすみたなびき、梅林とか、桃畑とか、桜が咲き匂っていたり、それへ小鳥が二羽三羽、チチと空をゆく感じ。

 現代アスファルトを敷き詰めた平面はなく、地表面のでこぼこ土面に草が茂り、ほんのときどき牛車がぎいぎいとゆく。
 林立する電柱などはなく。
 草原などが向こうまでひろがり。
 真四角の鉄筋ビルなどあろうはずもなく。
 遠く竹林の岸に、掛け軸の墨の絵を見るような藁屋が、たたづむ。

 平城山という曲は、そうしたちょっと高貴な思いをよびおこす、じつにすてきな日本的旋律なのだ。