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夢舟亭
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エッセイ  夢舟亭 2007年07月28日



    盛夏を駆けぬける人馬


 盛夏の陽に灼かれた舗装道路や、灰色のコンクリートビルが建ち並ぶ、今どきの町。
 その通りの先の、むんむんもんやりとした陽炎(かげろう)がゆらめく中に。

 なにか時代的な影。
 それは黒沢映画のスクリーンのような戦国行列。
 武者姿の主人を背にして歩む軍馬の列。
  かっつかっつ かっつかっつ

 ゆるやかなのに堂々として。
 向こうの奥から連なっているこの一行は、戦闘へ向かう出陣の行列なのだという。

 馬の口もとの、くつわから主の手へ手綱が。
 首の根本からは、前垂れ飾りが、朱色に。
 栗色の総毛や、白と灰のまだら毛。次にくるのは黒毛。
 と、リズミカルな蹄の音をたてながら、目前の車道を過ぎて行く。

 ふさふさな、たてがみを長い首の左右に垂らした大きな体は、どれも艶やかだ。
 引き締まった尻に垂れた毛尾は、飼い主手縫いの袋に隠している。
 車道を歩む四つ足は、胴回りや長い首からくらべれば、切ないほどに細く長い。
 それでいて強靱に見える。
 その長い顔の眼は、睫毛さえが優しい。
 主人の死戦にともする疾駆マシンというイメージには遠く、あまりに物静かなのである。

 馬上に目をやれば。
 戦国武者の心意気をみなぎらせた主じの猛々しさがある。
 緊張感をひっしとみなぎらせた陽灼け武者らは、どれも先祖より受け継いだ鎧や兜の甲冑(かっちゅう)武具で全身を覆っている。

 戦へ出陣の行列というからには、苦々しくも向かう敵をにらみつけた髭面(ひげづら)だ。
 老も若きもが、家族で愛でた駿馬をまたいで覇気満々。
 戦国絵巻物を見ひらいたような、絢爛さが生々しい。


 東北の夏の街角に、年一度再現するこれら人馬の列を、今年も観に出向いた。

 近代的とか効率的をしてはばからない小利口で無節操な現代の、洋装の人間どもを尻目に。
 堂々として精気溢れる人馬一体の美が放つ時代的迫力。
 それは見る者に清々しく新鮮で、ショッキングでさえある。

 なにせ日頃は映像小窓からの情報を代用して、何ごとも間接的に接して見聞きするだけなのだから。
 目前に迫り臭気もふくむ原寸サイズの実在感は身震いまでひき起こしてしまう。

 ヴァーチャルで小綺麗な映像に慣れた文明感覚のひ弱さを、強烈に圧倒してくる。
 忘れていた生の興奮が、血をいやでも沸騰させずにおかない。

 だからだろう。今年も平日開催にもかかわらず内外全国から万の人が、この地を訪れて観入る。

 これら武者と馬群に圧倒され、陶酔する地とは東北。
 福島県の海浜、南相馬(旧原町)市。
 毎年7月23日からの3日間。
 例年のこの行事は、この日に限る。
 野馬追いのイベント、通称「相馬の野馬追い」。

 以前より休日や連休の開催を乞い願う観光志向の皆の言を一切しりぞけて。
 媚びを知らない武人魂が、厳として未だに譲らない。

 こうなれば夏の「祭り」というよりも、先祖伝来の「儀式」を今に生きる者が行うという強烈な誇りの色が濃い。

 だから昔懐かしい行列を再現して、地域や町興しとして和気藹々と守ろうとか、お目にかけ、観て楽しんで頂く。などという姿勢はさらさらない。
 彼らは今も武人魂で生きているのだ。

 それだけに観る側も気が抜けない。
 なまじ観覧遊山気分で、バスから出ずに、窓から田舎祭り見下ろしの高見見物とか、酒酔いの下郎ふう客心を見抜かれれば。馬上の髭武人に睨まれる。
 映像受け身の隔たりあるのぞき眺め癖の視聴には、無骨なほどの一徹武人が大声をもって指さして、一喝あびせてはばからない。

 思ってもみてほしい。
 民や国をかけ、命をかける戦場へ発つという神聖な馬列をである。安易にも考え、横切る者など見つければ。
 それは観光客といえど人馬で迫って追い回されるも当然だと気づくはずだ。
 そんなわけで、ほうほうの体で汗かき大衆の面前で赤っ恥かくハメにもなる御仁を、ときに見る。

 馬に蹴飛ばされないための安全鑑賞義務違反だという声も聞く。
 が、けしてそればかりではない。
 人馬の演技を越えたところにある、先祖伝来の儀式の真剣さと誇りがあるのだ。

 これはサービス精神などという今どきの客の尻まで舐めんばかりの商魂とは、まったく無縁でいながら、実は最大のサービスにもなっているかもしれない。


 さてこの儀式の歴史は、平将門(たいらのまさかど)源平合戦のさらにまえの、その人その頃の、国を守る武術馬術の教練訓練の一環にはじまるという。

 ざっと千年後の今では、国の無形文化財として。手塩にかけた数百の馬と家宝の武者装束とその走りに、多い年には全国から馳せ寄る馬の千頭にもなるというから驚く。
 これほどの状況再現はこの地だけだ。

 戦国合戦シーンの撮影には欠かせず、これまでお馴染みのテレビ映画の映像では、誰もが何度か目にしていよう。


 延々二時間ほどの武者行列で、戦国出陣を彷彿させて後。
 相馬の野馬追いの行事は、朱や青、金銀といった古来の鎧に身をかためた人馬が、当地「雲雀(ひばり)ガ原」の草原に押し合いへし合い。
 馬いななき声とともに集結ひしめき合うことになる。

 千メートルの草原の外周を、武具甲冑武士を背にした駿馬が、地鳴りを起して走り競うイヴェント、甲冑武者競馬となる。
 競う、というより戦場再現でもあり、また神や先人に奉納する儀式というべきだろうか。

 疾駆する武者たちが、愛馬の駿足を御して走れば。肩背のお家伝来の紋を塗り染めた竿旗が盛夏の風を受けてばたつき、しなりはためく。

 この地方は、野馬追いの、この甲冑武者競馬で盛夏の頂点を迎えるという。


 土地の者皆が年一度のこれひとつを待ち。
 ただただ馬を愛で、馬を話し交わして酔い、生きるという。

 今年の観戦の客数ざっと3万人が、固唾を呑んで見入るスタート地点の意気上がる人馬の動き。
 それは米アカデミー賞最多十一賞受賞「ベン・ハー」の、馬車競争開始でざわめく様子さえ彷彿させる。
  どうどうどう・・

 第一と第二コーナーの間では、内外報道カメラクルーがひしめく専用草地の柵があり、土煙を蹴り上げたニュース映像でよく見かけるシーン。
 それを今回も納めんと、望遠レンズ群が待ちかまえている。

 さぁ、旗が振り下ろされた。
 馬に一鞭。
 鎧と軍旗の武者数組が横並びに駆け出す。

 どどどどっ・・と地を踏みならし駆ける馬の鼻先が風を切り列をなして、観客の声援を後目にあっという間に過ぎる。

 背を首を屈めて愛馬と一体になり励まし手綱を握る武者の目は、前方一点を射してはなさない。後には舞い上がる砂ぼこり。

 ジェンダーフリーの昨今ともなれば、聖なる軍馬の背も女性に解放されたか。
 あるいは武力を女性も身につけたのか。
 何組かは「女武者が」とアナウンスされ大いに拍手を得ていた。


 息も抜けない甲冑武者競馬最後の疾駆が終わると、間もなく草原の青い夏空に花火が打ち上げられた。

 観衆が見あげると青や赤、白や黄色の布が開いてひらひらと舞い降りる。
 降り来るそれは、神の布、神旗だという。
 地上の人馬の群が入り乱れたままそれを見仰ぐ。
 地上近くまで降りてくると、神旗を追い求めてもみ合うことになる人馬。
 これが相馬野馬追いのもう一方のイヴェント、神旗争奪戦。

 この布片に男の熱い戦意が絡まり果てなく奪い合う。
 勝ち負け着かず、武人ともなれば怒鳴り合いから腕にもの見せれば。
 汗もすさまじいばかりに飛び散る。
 やがて、決着。旗を得とめた一人一馬が一群から駆け出る。

 手にした神旗を高くかかげて見せ、皆の拍手を浴びる。と馬までが。
 さも得意げにいな鳴き、丘の上の神社への高く長い誉れの坂を蹴り足高く駈け上がる。
 そこには報償が待つ。

 得意絶頂のこの極みの馬の図。
 どこかで見たイメージと思えば、ルーヴル美術館の壁のナポレオン・ボナパルトを背にして前足高い馬。あの大絵に似ている。

 駆け上がる馬のひひーんのひと鳴きを、眼下の原に散り残る人馬が次の神旗こそは我れが掴むというように、奥歯を噛み見上げる。


 ところで野馬追いというからには、野生の馬を追い生け捕ること、とは文字のごとく。
 軍馬競った雲雀ガ原の隣の町にある小高神社に、法螺貝がとどろくのは、翌朝。

 神社の前方はるか眼下に、五、六頭の人馬が駆け来るのが見える。
  かっかっかっかっ

 よく見れば、身に何もつけていない裸の子馬を追っている。
 やがて神社の広い庭の竹の柵に追い込まれる。
 瞬間どよめく歓声うずまく拍手のなかで、走り抜いた子馬は、鼻息荒く力余って、右に左にと走り止まず。

 生気あふれた若馬はこの先城下一門の武備を担うにふさわしい名馬としての始まりなのだろう。
 野馬追いの名の由来は言うまでもなくこちらだという。

 古来、数百年のこの手順と経験に従っておごそかに、逃げ回る馬をやがて手なずける。
 こうしたことも儀式となれば白装束を欠かす訳にはいかない、神社関係者。
 野の馬が神社に追い込まれ奉納されるその儀式を、嬉しそうに懐かしげに、うなずき顔を緩めて笑み交わす老夫婦などが柵の周囲にあふれている。

 見学者たちの、汗の額と前日の盛夏の武者に見た熱気興奮とを、竹林からの風がさやさやと和らげると、野馬追いの行事は終了となる。

 神社の歴史資料コーナーに足を踏み入れれば。
 セピア色した写真や絵が飾られてあり、歴代の先人の馬人生に悔いなしとばかりの気丈夫な、日本人顔が勇ましくも誇らしく夏の陽にまぶしい。




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