・・・・ 夢舟亭 ・・・・ |
夢舟亭 エッセイ 汚染まみれ 2006/06/08 以前、東北のある駅でトイレに入ったときのことです。 入り口までかなりの臭気が漂っていました。 入って見ると、白いしゃがみ平便器に流さず残る人糞が一塊り残っていた。 そして隣との仕切板にトイレットペーパーの長い帯が垂れていた。 ボールペンの黒字が途切れとぎれに走り書きされていたのです。 「このクソを見ろ。自分の排泄物くらい処理できないのか。これがお前たち東北人の精神か。恥ずかしいとは思わないか、いなか者め。こんなことだからお前たちはいつまで経ってもダメなんだ」 流さずに残して去ったトイレ使用者に呆れた旅の人が書いたのでしょう。 恥ずかしい。 生まれも育ちも東北である私はすぐに水洗レバーをひねって流しました。 小用を終えて、帰りの列車に乗ってしばらく臭いが鼻についていました。 しかしその臭気以上に、こんなことだから東北人は、という言葉が痛いのでした。 東北人かぁ……。。 関西のアルコール飲料会社会長の「東北はむかしエゾ地といっていて・・」の、物議をかもしたあの「クマソ」発言を思い出します。 また、東北新幹線から東京で乗り換えたときの、東海道新幹線の室内に感じるあのシートと車内の豪華さも思い浮かべます。 そして、もうひとつ。国道です。 国道4号線。 そして国道49号線。 どちらも東北を縦と横に走っているのです。 四九は、日本人の心情としてけして快いものではありません。 それが百五十年も前の新政治体制との諍い多い会津若松地方に、そして仙台を貫いていることはたまたまの偶然だというのでしょうか。 いったい誰がどういう考えのもとに付番したのでしょう。 関係者のなかに東北の出の人は居なかったのか。異議疑問の声は出なかったのか。 ああ、東北はやはり後塵を見るべき いなか者の地なのか。 私は東北の自然が好きです。 南に位置する福島県。それを「うつくしま」と銘々した通り、本当の澄み渡るあの碧空が好きです。 四季の風景が移ろう田園。大海原、海岸、高山、温泉、高原、湖、森林、史跡・・と。 それらを縦横につないで走る道路。 思い浮かべるだけで深呼吸したくなる。 浮きうきします。 とくに春、またはこれからの初秋。ススキ揺れる晩秋などは最高です。 この美しい郷土を思うとき、なによりも心が痛む事柄。 それは紙面片隅に、身を縮める様に載っている原発設備のトラブルです。 二福などと言われたこともあったが、福井、福島は原子力発電所がある。 現在国内原発はさらに広範囲に散在してしまっている。 それらの大小トラブルのニュースを見聞きすることが多いのです。 見逃しそうなそれらの記事ニュースを知る度に、不安が湧く「原発事故による見えない汚染の危機」。 全国県知事会長までなった佐藤栄佐久知事が矢面に立って、国の原子力政策へ異論を唱えているから良いものの。 それが政治と経済特有の風向き変更によって、やめてしまったならどうなるのだろう。 これだけは思想や政党を超える政治家の良心を信じたいテーマです。 自分たちを育んだ生活母胎である大切な天然自然を、ロシア原発事故による腐敗地域の様に、この先何年間も進入禁止地域にして閉じたくないじゃないですか。 世界に伝えられた広い地域閉鎖のあの様子は見るも聞くも哀れな限りです。 とくに、後年現れた被爆症状に苦しむ住民たちの悲しい表情こそ目を覆いたくなります。 しかしながら、そうして教えられるまでもなく、わが国は世界でただひとつの原爆被爆経験ある国でした。 私たちは電力は必要です。 しかし原発によって起こしてほしいわけではない。言うまでもないですね。 現在の電力関係者の、知恵や努力の限界によって。 産学関係者の賛否勢力バランスによる、日本国が定めた基準。 核反応の強烈な熱エネルギーなどは人智によって操れるのだと説く関係者が、原子力発電方式を選択しても、地方に離散設置せざるを得ない。 そうした隠せない不安のもとに利用しているに過ぎないわけです。 説得の論にのぼる「万に一度」という言葉と異なり、実態の見えないまま隠されていたトラブルの発表。 「人体に心配はない」とくり返すきまり文句は週一回ほどもありそうなのです。 そうした茶飯事の見え透えた発表とともに、ときに数年経ってからの後出し発表という厚顔無礼さもまかり通っている。 となれば、秘されたものを想像するのがしぜんであり、いっそう背筋の凍る思いになるのです。 言うまでもなく、原子力、核融合の事故は、一市町村の被害ではとても済まない規模の危険をもっています。 だのに、検知器が反応して、気付いて通報されたときは、手遅れです。 そしてなにより、おのれの地域や家族に課せないことを他地他県へ押しつけるための偽言虚言を、見抜いて牽制抑止できる意識をもちたいですね。 下手すりゃ「家系の血が汚れるからあなたの地域の人とは縁を結べない」と言われかねない。 そこで思い浮かべる「東北の地」。 だから、いなか者の地に持って来たのさ、と誰かが笑うのでしょうか。 何も知らない山村に、怪しい薬を売りに来たイカサマ行商人にも似て。 お国機関や原発関係各社、そして報道の外向け言葉、「安全です」のご意見を、さて地域の人のどれほどが、信じると思うか。 あるいは、気にとめる者など居ないとお思いなのか。 東北、ナメられたものです。 大昔にあった話の、天空を超える高い塔を建てられる、と思い込んだというバベルの塔 建設にように。 壊れない機械、無欠点な機械、人間が操作を誤らない機械など作れるはずもないのに。 超絶大な熱と破壊力を、欠点多き人間の能力は、完全にコントロール仕切れない。 総合的にみても過去の実態をみても可能性はかなり高い原発事故。 一旦起きればその被害、甚大。 と、マイナス要因が多すぎる。 そう認めて、原発を見限る国も多い。 一方わが国は、大丈夫だ、安全なレベルである、と子供騙しを繰り返すばかり。 政治や経済の策略や科学者の浅知恵に泣かされるのはいつも善良な市民です。 まして原子力には、これでもかとぶちのめされて泣かされたニッポン。 日本列島うつくしま がとんでもない「汚染まみれ」にならないうちに。 見えない脅威には最悪被害の想定を。 そしてなにより、おのれの地域や家族に課せないことを他地他県に押しつける偽言虚言を見抜いて、牽制抑止できる意識を。 <終> 2006/6/8 |
・・・・ 夢舟亭 ・・・・ |
・・・・ 夢舟亭 ・・・・ |