夢舟亭 エッセイ 2005年09月30日 落語「藪入り」 落語、噺(はなし)のなかでわたしが好きなところを一席あげよというなら、「藪入り」(やぶいり)、がいい。 わが子を思う親の心持ちが描かれているこの噺を聞くにつけ、時代差などはないものだなぁと思ってしまう。 親子の噺といえばほかにも、子別れ、が良く知られている。 どちらも両親夫婦と子どもの様子だ。 で、今回はそうした親子の情を楽しむ、藪入り、です。 後半でストーリーをなぞりながらお話しますが、その前に予備知識です。 落語といえば、その昔江戸時代のなかごろから250年ほどの歴史があると聞きました。 また、その始まりはお坊さんの説教話からである、という説もあるようです。 ですから貧富の差も教養知識の多少の別なく、誰が聞いても分かる様な話の筋でなればならない。面白く飽きない様な分かり易いものでなければ最後まで聞いてもらえない。 そんなところから面白可笑しさを散りばめて振りまき、聞く皆を大笑いさせる。 と、以外やいがい。なるほどなぁ、いや人間そうでなくちゃいけないんだねぇというようなメッセージが込めてある。 それは人間の道というか、戒めというか、生き方など規範が含まれていたりする。 いずれにせよ時代物であることは間違いない。 だから落語を聞くには、当時の生活や時代背景の知識が多少は要るわけです。 そこで今回の「藪入り」についての予備知識です。(yahoo辞書を検索参考) 「藪入り」とは《草深い田舎に帰る意》とある。草深い田舎、故郷へ里帰り。 住み込みで勤める店の奉公人が、主人から休暇をもらって、正月やお盆の一六日前後に、親元に帰ることを言います。 お盆の場合は、「後(のち)の藪入り」ともいう。宿入り。宿さがり。宿おり。 次ぎに「奉公」です。 他人の家に雇われて家事・家業に従事すること。仕事を教わりながら勤める。 この噺の場合は「丁稚奉公(でっちぼうこう)」です。 「丁稚」とは、職人・商家などに幼いうちから住み込んで、一定年月、年季奉公する少年のこと。 雑用や使い走りの仕事などから始まるようです。 寝部屋を貸し与えられ、奉公仲間一緒に寝泊まりする。 お盆や正月以外は、年中無休。 もちろん無給です。 小遣い銭などがときに与えられたとか。 商店などに丁稚として奉公するのが一般的なのでしょう。 下働きとして仕事をおぼえてゆくこの奉公勤めは、ほぼ十才前後から。 店にあずけられて、ほぼ十年ほど続ける。 それは一番多感な時期です。 礼儀も、人付き合いも、文字など世の多くのことを学び、憶える。 そのあと見所があるとなれば、番頭に指名され店のリーダー管理職、マネージャーとなる。 後には、のれんを分けてもらうことも出来る。 つまり系列のチェーン店を資金援助のうえに開くことが出来たと聞きます。 奉公に出た子どもは、そうして辛い期間を人に揉まれて辛抱して、やがて一人前の大人になって行くわけです。 一方、子どもを育てて送り出した親の側は、生まれた、這った動いた、立って歩いた、とその時々の様子に目を細めながら育ててきたわけです。 そうして、今どきでいえば小学低学年の年齢になって。 なにがしかの仕事を覚えるためだからと親元から送り出して、離す。 江戸中期以降の町場の家庭、長屋住まいの中年夫婦の生活とはそういうもの、ということでしょうか。 あるいは江戸近郊の農家の、次男坊以下の子らもまた、紹介などを経てそのような年ごろに奉公へ出す。 預かり受けた店の方では、その時から里心(ホームシック)がつくとして、滅多に親に会わせる機会はつくらない。 そして石の上にも三年というわけで。 奉公生活数年にして、やっと里帰りを許される。 それが「藪入り」の日なのです。 藪入りや 何んにも云わず 泣き笑い こうした川柳にもあるように、数年の後の藪入りの日に、対面する親子の感極まった様子は、交わす言葉など何もないほどの感激の瞬間だったというわけです。 それほどに、初めての藪入りで里帰りするそのたった1日は、帰る子どもも、迎える親の方も、日より数えて寝ずにも待っているのだとか。 そして出会った瞬間、何も言えない互いの笑顔には、ただ涙。 まぁ今時でも、初めて親から離れた一晩泊まりの修学旅行。そのご帰還バスを時間のはるか前からお出迎え。 そのバスが見えただけで感激する若い父母も見られるくらいですから、藪入りの、何にも言えすの思いも想像できようというものです。 とまあこれくらいが落語「藪入り」の基礎知識となりましょうか。 それではかなり創作含みではありすが、ちょっとストーリーをなぞってみます。 (参考補足:おッカぁ=妻、おまえさん=夫、あの野郎=息子) * −−今朝藪入りで帰ってくる一人息子を待つ夫婦の寝部屋から始まります。 おッカぁよ。今朝は、時間の経つのが、やたら遅かねぇか。 遅いもなにも。おまえさん、夕べから寝てないじゃないか。 そう云うおめえだって、おんなじじゃねぇか。ふふ、でもよぅ。あの野郎、よくも3年間も、辛抱したよなぁ。 そうだねぇ。泣いていつか逃げ帰ってくるかと、あたしは心配していたんだよ。 ああおれだって心配したさ。ンでも、見ねぇな。ええ、ちゃーんと3年勤めあげた。どうだい、やっぱり、このおれの子だな。辛抱強ぇ野郎だよ。 おれの子だなんて。おまえさんは、良いことはみーんなおれの子だからっていう。それが悪いことになると、あたしに似てるっていうんだからねぇ。 いいじゃねえか。あいつ、どのくらい大きくなったかなぁ。いいか帰って来たら、腹いっぱい食わせて帰そうじゃねぇか。な、いいな。奉公なんてもんはよ、腹がへるんだ。もっと食いてえって云えねぇじゃねぇか。辛えもんなんだ。なにせ、いちばん食いてぇあの歳なんだからなぁ。 分かってますよ。支度はこの間から、ちゃーんと出来てますよ。 この間!? おい、そんなに早くて、食えねんじゃねえのか。腹ぶっ壊すなよ。 ばか言わないで。大丈夫だよぉ。あの子の好物はね、このあたしが、いちばん知ってるの。 そういうことだ。おい、何時になった。えっ、まだそんな時間か。ああ、もういい。おれぁ起きる。寝てなんていられるものか。 −−そして夜が明けて、しばらくして。 おや。おまえさん。来た、きたよ。は〜い。 おう、来たか。うんうん。さあ、上がれあがれ。自分の家だろう、ほれ。へへ。 おとうさんも、おかあさんも、しばらくでございました。お元気でございましようか。 えっ!? ああ、まあな。おれぁ元気げんき。なあ、おい。元気だったよな。 これ、おまえさん! ン!? ああ、いや。どうも参ったな。はいご丁寧なご挨拶、おそれいいるしだいで。おめえよぉ、なにもそんな丁寧しなくともよ。 ええ、ええ、元気でしたよ。 先日は、お父さんが悪い風邪にかかったという手紙を見ましたが。治りましたか。もうよろしいのですか。 えっ誰が。ああおれか。そんなことを誰にきいたんだ。ああ隣のあいつか。へっ、よけいなことしやがって。 もう、よろしいのでしょうか。寝込んだと聞いて、心配で来てみたかったのですが店にいえなくて……。 なーに、おめえが心配するほどのこっちゃねぇんだ。いや、どうも雨のなかでよ、ちっとばかし仕事長引いて遅くなって、濡れちまってよ。やっぱり歳かな、へへっ、朝になると熱が出て、立てねぇ。しゃあねんで休んで寝てるとな。……どうにもおめえの顔見たくなってよぉ。だらしねえやな。うわごと言ったらしいんだ。それで隣のやつがいらぬ言づてかなんかやったんだな。 あの時、手紙書いたのですが、届きましたか。ねっ、見てくれた? ああ見たみた。それでだったのか。なあ、おい。良い文句を書きやがってよ。 ええ、読ませてもらったよ。立派な手紙が書ける様になってねぇ。二人でもう……。 ほら、見ろ。神棚に上げてある。おらぁあの後、風邪ひくとその度にあの手紙を拝んで治すんだ。これがまた元気出るんだなぁ。とても治るんだよぉ。へへっ。おい、そんなとこでかしこまっていねぇで、とにかく上がれ。おめえの家だろう。さあさぁ。 はい。あ、これは、おみやげ。こちらは、お店から頂いてきました。ご両親さまに、よろしくと。 良い店だなあ。どうだ、ン、みんな優しいか。可愛がってもらってるか。うまくやってるか。そうかそうか。……ちくしょうめ。 おまえさん、どうしたの。 こいつの顔がなあ、どうも、よく見えねぇ。 なにをお云いなのさ。目の前にちゃーんと坐ったわが子だもの、良く見りゃあいいじゃないか。 くくく……ばかやろう。どうにも、目をあけるとよぉ……こう、なんていうかな、涙が、出てきやがってよ…………ぐしゅ。 という具合に、笑ってよいのかほろりとしたらいいのか。そういう話が進んでゆきます。 とはいえ、落語であれば、このあとどんな「落ち」が待っているか。 それは実際に聞いてのお楽しみ。 こうした人情噺は、その時代の社会背景や人間関係を描きつつ、あちこちに笑いを振りまきながら。生きるなかで経験するだろうことを、具体的な出来事の情景をもって語られます。 それでいて人間関係の情愛を中心にしっかりと見据える。 かといってけして綺麗事にしてしまわない。 というのはこの噺の先で、子どもが住み込みの勤め先で貰えるはずもない大金を息子が持っていることに気付く親たちは・・・という場面になるのです。 落語にはヨーロッパ映画の白黒時代にあった素晴らしい人間描写にも負けないほどの、日本独自の話術による表現が見事です。 現代日本の映画、山田洋次監督作品などには落語からのネタと思えるものが振りまかれている様に見えますがいかがでしょう。 以上、落語「藪入り」でした。 |