夢舟亭 エッセイ  2003年04月24日


    居残り佐平次


 いい加減、という言葉。

 良い塩梅、丁度良い、最適、良い具合、という意味がある。
 しかしまた、ほどほどに、無難に、正確というのでもなく、という意味にも使われることは皆が知っているし、使っている。

 適当に、という言葉も似たように、ほどほどに、丁度良く、の両面をもっています。

 この様に日本語というものは掴みきれず、曖昧だからおもしろい。
 まあうまくやんなさいや、という意味での、いい加減、はニホンの話芸、落語のなかの基本であり公式かもしれません。
 少なくともパソコン画面の表計算ソフトで帳簿数字を縦横洩れなく、びしっとまとめたような几帳面な性格の人物は、落語のなかのスターにはなれない。

 二千とも三千ともいわれる落語のストーリーのそれこそは、まさにいい加減なオールスターの、メッチャいい加減で、意表をつくすっとぼけさと、破天荒な言動のオンパレード。
 そうしたものに笑いころげることこそが、落語の醍醐味なのであります。

 たとえば、粗忽長屋(そこつながや)。
 棟続きのボロ長屋で、隣同士に並んだ部屋に住む男ふたりのやりとりである。
 よくもまあいい加減さをここまでばかばかしく仕上げたものだ、と変に考え込んでしまうほどなのであります。

 おい。そんな暢気にしてる場合じゃねぇよ。いまさっきな、通りがかった道ばたによぉ。行き倒れがあって、死んでるやつがある。どうも見たふうな顔だなぁと思ったら、誰だと思う。何と、おめえじゃねえか。おめえは死んだんだぞ。はやく行って自分を引き取ってこい。おれぁいま本人をよこすからと、そう言っておいたからよ。

 そうかい。そりゃぁ手間とらせちまったなぁ。いやぁおれ死んだ気はしねえんだが、まあ兄ぃいが見たってんだから間違いねえや。こりゃあ大変なことになった。おれが行き倒れてたか。よし人任せにゃできねぁ。ひとっ走り行って来るよ。

 と、自分の身体を引き取りに行く、という具合だ。
 こういう話を人前でおカネをとってやれた時代があった。
 もちろん面白がって聞いた人たちが居たから出来た。
 演者も聴衆も、いったい何んなんだろかと思ってしまうではないか。
 話の中身をおいても、マジで憶えて、芸を磨く真顔を想像すると、やはり笑っちゃう。

 この話はその後、自分を引き取りに出向いた男が自分の死骸を抱き上げて、おいオレよなんで死んだんだ、とやるのだ。
 ばかばかしさが溢れてこぼれて、振り切れてしまうではありませんか。

 わらいたいのは、この噺がなんと今どきの教科書に載っているという。
 となれば笑いはさらにおさまらない。

 てやんで。べらぼうめえ。おいおめえ・・・ってのはちーとばかしおかしいんじゃねぇのか、と熊さんが言いました。
 さて熊さんの言う「べらぼうめえ」の意味を次の中から選んで答えなさい。
 などという問題が入試だったりすることを想像するなら、文部科学省ってのはいったいどんな人間像を期待するってんでぇ、とまた吹き出してしまうわけです。

 とはいえ、ゆとり授業がいわれる昨今。
 叫び声ばかりが単発に繰り返されるポンチ絵漫画などよりはよろしいのではありますまいか。
 鉄筋コンクリート直線マッ四角な廊下に、いじめ言葉がこもるよりは、大爆笑が走る図が良いと思うのは私だけではありますまい、おのおの方よ。

 まあなんですな、落語には古今ニホンのオモシロのすべてがある、と言われる。
 わたしなどのチビい知識でさえ思い出して話せばきりがない。
 物静かにどこか生真面目な噺家の語りに、メモを片手に真剣に聞いていると、突然うっちゃりを喰わされるいい加減さ論調になって、爆笑させられては嬉しくもばかをみる。

 そこで例により、いい加減さ話をひとつ選んで楽しみたい。
 居残り佐平次です。

 とんとん。とことん。ぴーひゃらり。


 花見のこの時期はとくに、酒を飲む機会が多い。
 ほかにも、冠婚葬祭はもちろん歓迎会に送別会。
 祝い酒、やけ酒、ぼやき酒。
 何があっても酒、さけ、サケ。
 好きな人、俗に云う「右利きの人」にとってはたまらないお酒盛り。

 どうせ飲むなら陽気に酔いたい。
 気の合う同士が集まって。
 豪華な店と、お料理囲んで。
 綺麗どころを、はべらせて。
 カネに糸目をつけないなどというなら、云うことはなし。

 もっともこれは、酒アルコールが嫌だという人にとっては苦痛か退屈。
 ささ、おひとついかが。
 いやこりゃどーも。
 などと、注しつ、さされつ。お淑やかに始まっても、やがて酔いも回れば。
 わぁー、ひゃほー。などと常軌を逸した酒席のばか騒ぎなどに及べば。

 酒嫌いの人にとっては、地獄の苦しみとなるようで、早々に退散してしまう。

 そういう心緩むはけ口の酒席が嫌いな人とはまったく異った男。
 それが今回の主人公です。
 さて、彼が「居残り佐平次」といわれるのは、なんでだろ?


 そんなわけで、男が何人か片隅で頭を突き合わせて、にやにやしいていれば。
 これは酒か女性のお話。つまりはお遊びのコト。
 そうした遊びの相談をしているところへ。

 いよっ。元気してますかぁ。ね、酒? それともこっち?

 などと云っては、右手を折って口元へもっていったり、小指を立てて微笑んで。
 相談中の一座の中に割りこんで来る男が居たりする。
 この男もそんな一人なのです。

 こっちね。酒か。うんうんそりゃいい。なに、で、どこで? あぁ、あの店ね。あそこかぁ、あれはだめ。よしなさいって。料理が不味い。そのうえに高い。なのに可愛いコが居ない。せめていいコが居ればねぇ。じゃぁ、あれ、そこはどう?

 などと、どんどん仕切ってまとめて行く。

 えっ!? あそこは厭? あなた、なかなかお目が高いっ。遊んでますねぇ。じゃぁ、思い切って数段上の店、**はいかが。ご存じでしょう。ね、美味いし、いいコ揃いです。

 とかなんとか、小指を立てては片目ぱちくり。
 仲間の誰もが見たことのない男が、にんまり顔ですっかり仲間っぽい口をきく。
 それがまた、遊び人同士というものは、それでなぜか意気投合しちまう。
 だからさほど疑いもせずにやり取り会話する。

 うへぇ。よく云うよあんた。あそこ、めちゃ高でしょうよ。

 とてもとても俺たち安サラの行ける店じゃありませんよぉ〜。

 またまたこの素人さんたら。もうこれだからいやになっちゃうなぁ。ね、じゃぁこのわたしに任せてクダサイ。悪いようにしないっ! ねっ。

 自信ありげに自分の胸を叩いて、肩など組んでくるから参る。
 目つき顔つき、口利きが、なぁんとも憎めない。

 高級すぎるって〜。

 分かってんのぉ。とんでもなく高いよあそこ。なぁ、だろうみんな。

 高いたかい。おれたちの低予算じゃぜーんぜん無理。

 分かった。わ、か、り、ました。では、お一人様五千円ぽっきりで。ねっ、あとはこのわたしが何とかしましょ。

 あの店で、五千円だってぇ!?

 そんなんで、遊べるのぉ?

 おんな、も有りでぇ?

 はい! 出来ます。わたしはウソはもうしません。すべてわたしに、万事お任せを。はい、この佐平次さんが、ビシッと取りまとめ。ねっ。

 ほんとに……?

 うそだろう。

 いいえいえ。わたしにお任せアレ。この辺じゃこの顔少しは、です。

 などと云って、ふいと仲間入りした男が、まとめて仕切って。
 ご一行をぞろり引き連れ。
 さっそく最高級なる店へ押しかけた。
 うわーぉ!

 江戸のころから昭和の前あたりなれば、茶屋にあがってお座敷となるお遊び。
 大きな風呂かなんかにゆっくり浸かって。
 その後、浴衣に着替えて、大広間へ。

 宴会が始まる。
 さあ今夜は、ぱーっと、とかなんとか。
 仕切男は、あれやこれや追加の注文を出し始める。
 唄えや、踊れや。わーいわい。乾杯〜!
 呑んで食って、大いに盛り上げる。
 芸者は呼ぶは、太鼓持ちを呼び込むは。

 いよーっ、シャチョウ。しばらく。こんち、ご盛況な席にお引き回しいただきまして。へいへい、いよぉまた結構でゲスなーあ。

 さあさあ姉さんたちも。

 あーらこんばんわぁ。
 おじゃましまぁーす。
 よろしくおねがいします。
 では、チントンシャン。

 ようよう。綺麗どころが。色っぽいっ。

 わっはっはっは。
 きゃっきゃっきゃっきゃ。
 いやーん。

 おどりおーどるな〜ら、ちょいと、とーきょーおーんど、ヨイヨイっと。

 鳴り物にあわせて、踊り出すもの、手拍子うつもの。

 ストトン。はいはい。ちょちょんがちょっと。
 チントンシャン、トントコトントコ。
 それ、どどんがどん。
 チンツン、シャン。
 それーいけー!
 きゃほー!
 ぎゃははは。

 はなのみやこの真ん中でっと。いいぞー!
 足りないぞ〜!
 はいはい。少々お待ちを。
 いいぞうーお

 そちこちの席で、あんなことしたり、こんなとこ触ったり、そんなとこ突いたり。
 いやいやーん。
 いいじゃんかぁ。
 まあヤだぁ。
 うへへへ。

 店のマネージャーは、二階の客はいったいどこのお大尽か社長様かカネ持ちか、と皆に問う。
 だが誰も知らない。
 なかの誰かが、どこかで見た顔だがなぁと云うも、思い出せず。
 ことはどんどん派手に進む。
 まあこのところ不景気続きなんだから、結構けっこうと、店の主人は豪勢な客にすっかり恵比寿顔。

 当の大広間では、皆が力の限り騒いで暴れて飲んで、くまなく散らかして。
 声も出ないほどに疲れ果てて。
 やがて宴会はお開き。

 男客それぞれが、呼んだお目当ての相手女性と。
 手に手をとって部屋に退く。

 それを追うように佐平次が、彼らを呼び止めた。

 いやあ盛大でしたね。いかがです。満足していただけましたか。

 そりゃあ、もう。大、ダイの、大満足です。
 だけどさぁ、いったい幾らかかったの。
 知らないぜ。

 何をおっしゃるウサギさん。五千円ぽっきりでけっこうと、このわたしが言ったでしょ。この佐平次様に二言は無し。ではまずは、お約束の五千円をわたしが預かりましょう。
 で、この後は、一切わたしにお任せを。
 そこでお願いはひとつ。
 明日の朝。みなさんは寝起きと共に、このわたしに任せてあるからと言って、さっとお帰りください。
 その後は万事このわたしがハイ、お任せ願いましょ。

 何の屈託もなく胸を叩く、男。
 皆から約束のおカネを受け取る。

 と、それぞれの部屋に籠もって、よろしくしっぽり濡れて、はー、とか、ふーとか吐息などもれて……。


 さて翌朝。
 仲間は皆、約束通りに去った。
 もとよりこの場限りの遊びの仲でしかない。どこの誰かは知らない関係。

 残ったのはひとり、佐平次。
 もとよりカネなんて持っちゃいない。
 それなのに馴れたもので、いささかも動じない。

 平然と朝風呂に入って、また朝酒をとって、ちびりちびり。
 昼食など食べていると、やがてまた夜が来る。
 店の係りの者が部屋を訪れると−−

 夕べの仲間はねぇ。皆んな大きな店の若旦那衆なのさ。
 また遊びが好きでねぇ。見たでしょう。ぱーっとカネ使うんだなぁ。
 商売が大きい店ばかりだから、がっぱがばと蔵に唸っているときている。
 あんた、良い客つかんだじゃないの。
 この店気に入ったとか云ってたから、また今夜来るぜぇ。
 まあせいぜい良い酒と若いコを用意しときなよ。うふふ。

 いい加減な、出まかせを連発する。
 あまりのあざやかな出任せに、店ではその気でいる。
 だが、もちろんその夜に、誰かが来るわけではない。

 また夜が明けて。
 店の者が気になって問えば、来るはずだったがおかしいなあ、ととぼける。

 そうこうして数日。
 さすがに店のほうも不審に思う。

 申し訳ありませんがこの辺りでいったんお勘定のほうをご精算願いたので。

 合計数十万にもなったろう。
 請求された佐平次。
 とぼけるのも、ここまでかと、次は開き直る。

 無い! おカネは一銭もありましぇーん。

 このやろう。やーっぱりそうか。どうもおかしいと思った。とんでもないヤツだ。

 とんでもないと思った? 見抜いたあんたはエライ! そうご覧の通りカネは無い。だが遅すぎたなぁ。無いものは一銭も無いんだから、しゃーねぇや。ハイ残念でした。
 とまぁ実に場慣れしている。
 かくなるうえは飲み食いのお代分を、当店で働いて返したいなどと悪びれもせず云う。


 ところで、この噺のころの戦前からそれ以前の江戸ともなれば。
 ただ飲む食うというのを遊びといわない、とか。
 もうひとつ売り物があったことはいうまでもない。
 もうひとつとの売り物とは、女性。
 その商売は正式には昭和の20年代、1950年辺りまであった。
 そんなわけで店に女性は多い。
 この佐平次は、どういうわけかそうした女性との話し相手やあつかいが滅法うまい。

 ここで話はもうひとつズレる。
 男というものはおめでたいものだという話を。
 カネさえ払えば、ああした遊びの場の女性は、なーんとでもなると思ってる。
 鼻などならして、はーふーの言葉を耳元でささやかれると、惚れたの好かれたのと本気で思っちゃう。
 ホステスさんたちの側はといえば、昔だって今だって、シビアなビジネスであり、割り切った利益至上主義なのだ、とか。

 となれな、効率良い利益を追求する。
 いわゆるP・D・C・A・・計画・実行・分析・修正と産業のツール品質の管理を実践しているという。
 X子さんもY子さんもZ子さんも。
 上手な客扱いノウハウを、皆が同じく身つくように。
 マニュアルにして、あは〜ん、うふ〜んの発声練習や身振りをディスカッション。
 うそっぽいなぁ、嫌味じゃないかな、オーバーでしょと、研究研鑽し合うとか。

 さらには改善活動として、男性の間抜けさ心理学などを、専門の教授を講師に招いて、学ぶという。

 そしていよいよ、店が開く数分前。
 店内では全員が大きな声で、売り上げ目標金額を、こぶしを突き上げ唱える。
 その姿は、熾烈な一般企業営業出陣式となにも変わらない。

 また、女性は若ささ、などというのはその道の素人のいうこと、だとか。
 やはり客さばきの見事さは、年齢や経験がものをいう。
 それを知っているのがハイクラスの客らしい。
 政治、経済、文学美術など文化芸術論から、芸能スポーツはもちろん。
 世界の金融情勢から民族紛争まで。
 惚れた腫れた結ばれた壊れた斬った張ったの社会三面記事情報まで。
 なーんでもかんでも知っていなくちゃ、とても大人の話相手などできやしない。
 ぎゃくにいえば、そういう対応を望み、気分良く楽しむのが上客層なのだ、という。
 これは床屋の待合室に転がっていた週刊誌の、いい加減な、情報なのではありますが。

 佐平次の当時の店の女性が、庶民のレベルの木偶の棒のごとき遊び男を相手するのも、伊達や酔狂でのお付き合いではない。
 その気があると見せておいて男を何度も店に通わせて、おカネを使わせたっぷり搾りとってこそ、商売上手。
 であってみれば、男客らを喜ばせカネを落とさせるあの手この手、いわゆる手練手管ノウハウが重要になる。

 さて飲み食いの代金未払いで居残ってしまった佐平次は、遊び馴れているだけにその道のあの手この手に詳しい。
 店の奥の、布団部屋に押し込まれていた彼は、女性たちの部屋へ顔を出しては、例により調子の良い挨拶などしていた。

 話のついでにと三味線に太鼓。端唄、小唄、新内、浄瑠璃、常磐津、歌舞伎に相撲に、役人の話題まで何でも知っていることを教えはじめた。
 種々雑多なデータベースをフルに活用しては商売の女性たちの質問疑問に答えては喜ばれた。ときには彼女たちの心情を読んで相談にまでのる。
 こうなれば何かにつけ便利で重宝がられた。
 女性たちに頼まれれば、待ち客の機嫌とりから、いやな客の断り役まで、じつに器用にこなす。
 さらには、店に来る客の退屈な思いの遊び心の隙に取り入ってお相手をしてしまう。

 こうなると、いい加減さも価値ある能力となってしまうからおもしろい。
 まあここが落語なのではあるが。

 とはいえ、現代社会でも、たとえば職場などを眺めてみれば。
 何が出来る腕をもっているとか、どんな資格があるというのではないのだが。
 彼が同席すると、なーんとなく場が明るくなるとか、話しやすい、場が活気づく。というような不思議な能力をもっている人が一人ぐらいはいるのではなかろうか。

 なかにはそういう能力をもって慕われて。
 結構な組織の上位に昇りとりまとめて。
 成功している人も居るのではなかろうか。
 となれば、あながち佐平次の能力というのは、ばかには出来ない。

 ともあれ雑学のかたまりのような便利屋佐平次は、あちらのお座敷、こちらの宴会と、客から呼び出され喜ばれたのだから、話は複雑になった。

 調子の良いこと、いい加減なことを云い放って、大いに場の雰囲気を盛り上げると、へたな太鼓持ち以上の人気者となった。
 おーい。あいつだ。居残りを呼んでこい。
 と声がかかり、ときにはあっちとこっちで求める客同士の声が、ブッキングの奪い合いにもなる始末。

 これに本物の太鼓持ち労働組合から、シゴトが干し揚がる、揚がりが減ってしまうとクレームが出た。
 仕事場を荒らすなということだ。

 この苦情が店のご主人に届く。
 無免許者を使うな。この先の店が困ったときの無理を聞いてやらないぞ、と。
 そこで店主は佐平次を部屋に呼んだ。

 そういうわけでな。あれほどの宴会の支払い額となれば番所に訴えてもおかしくない。
 そうなればお前は罪人だ。
 しかしこちらも人気商売だ。縁起をかつぐ客商売から罪人沙汰は好まない。
 不愉快な噂がたっても困るでな。
 そこでここは互い和解といきたい。
 佐平次とやら。宴会の飲食代すべてをチャラにする。
 だから何も言わずにすぐ姿を消してくれ。

 こりゃぁ親切にしていただいて、まことに恐縮いたしあす。
 さっそく引き上げたいところなのですが……。

 何んだい。困ることでもあるのかい。正直に言って欲しいね。

 じつは、わしゃぁ……。

 と小声で云うところでは、殺人以外はなんでも経験済みの、おたずね者だという。
 そんな犯罪人と聞いてはなおのこと置いておくわけにはいかない。
 今すぐに去ってくれ、頼むと店主は顔色を変えた。

 この時点で居残りの佐平次は、見事に頼まれるがわに立場を変えてしまった。
 さんざん無銭飲食をした佐平次は、店主に何ごとも起こさずに出ていってくれとお願いされる立場に立ったのだ。
 彼の目の奥が今までになく光った。

 今すぐと云われやしても。なにせ着たきりスズメで。この薄物身につけて外を歩くわけにもいかねぇ。
 そこの出口をふいと出たヒにゃ、店先でお縄沙汰にならねぇともかぎらず。
 一刻も早く町から出なくては、こちらにかくまって、いやご厄介になっていたと吐くはめになるかもしれねぇ。それもまたこちらさんの看板汚しですし。
 ですから、せめて新幹線か飛行機で、素早く遠くに離れておきたいと思いやす。
 ま、そこで相談ですが。

 酸いも甘いも知った客商売の店主を、口先で手玉にとってしまった。
 散々只で飲み食いの末に踏み倒し、さらには金品を真正面から戴こうというわけだ。
 佐平次とは何ほどの者か知れやしない。
 やむなく店主は、要求の100パーセントをOKする。
 外出着一式のほかに、旅費を付けて送り出す。

 佐平次という男は、元手要らずで調子のいい生き方の男である。
 この先もまた似たような手口で、カモを探すことだろう。

 へらへらといい加減に生きていて、ここ一番というところでしっかりと真顔に戻る。
 ばかな話をしたり、いい加減な行動のその裏に、凄みも図太さも隠しもっていたりするという辺りが恐い。
 人に笑われて平気だということは、いい加減などではない、相当な勇気や開き直りの行動力が要るだろう。

 ところで、この佐平次側から現代人を見れば、だが。
 ストレスが多くて苦しいとか、対人恐怖症で思うことが言えないとか、役目を果たせぬ責任を感じたあまりにうつ病や過労死に至る。などというか細い心情を吐露されたなら・・。
 あまりにばかばかしくて、笑う気にもなれないのではあるまいか。