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夢舟亭 エッセイ
2005年05月31日
落語「死神」
−−むかしお金に不自由する男がいた。
金貸してくれるやつはもうだーれも居ねぇ。おらぁ何もかも嫌ンなっちまったなぁ。いっそ首でも吊って死んじまおうかな。
−−すると、死にかた教えてうやろか、と耳の中で聞こえた。
えっ誰だ。
へへ、誰だ、はいいや。神だよ、わしは死神さ。
なにおぅ。死神だとぉ?
−−振り返ると、見るからによぼよぼな老人がひとり。身なりも貧しく棒杖をついてわらってる。
いまおまえ死にたいと、そう云っていたろう。
おれが!? 死にてぇと、そんなこといったかな。
ああ云ったいった。だからわしが来たんだよ。なにせ死ぬことの専門家だからな。
−−死のプロだとわらう死神が云うことには。
人には寿命がある。
その寿命の長さは人それぞれ生まれたときから決められているという。
人それぞれがその寿命が尽きるまでは、たとえ本人が死のうとしても死ぬことは出来ないと諭す。
その長さは、神の世界の洞窟で燃えている一人分のロウソクの長さなのだ。
その炎が消えるとき、死ぬ、というのだ。
そうか。で、おれの寿命は?
まだまだ元気過ぎるほどに長く元気だな。だから死ねないぞ。
それも困る。なにせ、おれには金が無い。生きて行けやしねぇ。
金か。そんなものは簡単なことさ。儲け方を教えてやろう。そうだな、おまえは医者になれ。
冗談じゃねぇ。なーんでこのおれが医者など出来るか。
心配するな。よく聞け、いいか・・
−−なにせ死神は人の死が専門分野だ。
ということを裏返せば、死と逆のことにも詳しいという。
死にそうな者を死なないで済ますノウハウも持っているというのだ。
人を助ければ金は入る。だから金儲けなど簡単なことだというわけだ。
いいか病人にはな。死神が必ず付くのだ。病人のところに行ったら、その枕元を見ろ。
死神が枕元に坐って居たらあきらめな。
だが足元に居たら、どんな大病も治る。
そこで呪文だ。
呪文を唱えれば死神は逃げてゆく。
いいか、アジャラカモクレンエベレスト、そして手をパンパンだ。
まあ適当にやってみな。病気はすぐに治るからな。忘れるなよ。
−−というと死神は風とともに消えた。
男は、家に帰るとその夕方からさっそく医者になることにした。
古板に凸凹病院とミミズの這ったような字で書いて貼る。と・・
あのぉ……こちら様は、お医者様でございましょうか?
−−身なりの良い、どこか大家の番頭か爺でもあろうか、という様な年配の男が、さっそく戸口に立った。
訊けば、その家は老舗で、大旦那が近年病に伏している。
このごろはどこの医者に願っても、みな手遅れだから諦める様にと退き下がるばかりだという。
店の一同が、まぁどうにも困り果ててしまいました。
そこで神にも仏にもすがる思いで、あるところで占っていただいたわけでございます。
すると、この夕刻に北に向かって進みなさいという。
八番目に見つけた医者に頼むようにと、そういう易が出たわけです。
来てみますと、とこちら様が八番目というわけでございます。
何とぞよろしくお願い申し上げます。
−−男は、大家が頼むほどにも名の知れた名医がもうだめだ諦めろというものが、素人の自分に治せるわけもないと思った。
だが失敗したところで、すでに失うものもない。多少の恥はかくかもしれないが、と思いながら着いて行ってみる。
大屋敷で見た病人は、今にも息を引きとるのではないかと思うほどの弱り様であった。
その部屋には、たしかに死神がうずくまっているのが見えた。
しかしそれは病人の足元だった。ラッキー!
さっそく呪文を唱える。
アジャラカモクレンエベレスト・・・手を、ぱんぱん。
−−すると突然、病人はまるで患ってなどいなかったかのように、がばっとばかりに起きあがった。
驚いたのは大家の者たち。
これはまた、とんでもない医者だと。
たちまちにこの噂が、町中に広まった。
あっという間に、町から村から引き合いが止まない。
ボロ長屋のがたぴし入り戸の前には長い待ち行列が。
テレビのニュースショウでも取り上げられて話題沸騰。時の人となってしまった。
こうなれば支払いの良い上客だけに的をしぼって、出向く。
食うにも困り家賃も払えない借金男は、アジャラカなんとかの呪文で、ビバリーヒルズの名医御殿に居を構えるまでになった。
だが、人はあぶく銭をつかむとだめになる。
降ってきた様なお金は大切にしない。
長く連れ添った古女房を放り出して、ぴちぴち若さはちきれ女人と入れ替えた。
ちょっと二人でベンツなどを駆ってリゾート地に別荘など買い込んで。
元が怠惰系の質であってみれば、有り余るお金を手にしては本質が現れた。
仕事などは面倒くさいとばかりに、患者の依頼もとりあわず、極楽暮らしに明け暮れた。
となれば、遣えば無くなりそれっきりはお金の常。
お金にも限りはある。
なーにまた呪文があるから大丈夫だと高をくくっていたが・・。
空になった通帳残高や財布の中身に気付いて、病院再建してみれば。
依頼される病人は、皆が死神は枕元ばかりに居る。
どれも助けようがない。
諦めなさいと戻るしかない。
となれば、腕が落ちた医者、病気を治せない医者だと、患者が見放す。
一時の名声は日増しに、がた落ち。
もはや名医に非ず、有り難みはないと、誰も寄りつかない。
儲からず貧してしまえば、金の切れ目が縁の切れ目。
若いナニにも逃げていった。
さあいよいよ困った。
男は元の黙阿弥。
そんなある日。
どうにもこうにも打つ手は成しと、医者たちが一目診ては手を退くのだという大家の旦那様を診てほしいとの依頼を受ける。
男は、今となっては選り好みできる立場ではない。
行ってみれば大店の大旦那の床の死神は、枕元。
申し訳ないがこれは治せない、と告げる。
そこを何とかお願いいたします。そりゃどのお医者様のお見立てもだめというのは承知のうえ。ですから完全回復は望みません。せめてあと数週間でも長らえれば。御礼は充分させていただきます。
−−頭を深く落とし、目頭おさえる家族と使用人たち。
しかしこれだけはどうにもいけない、と断った。
そうはいうものの、店の皆は帰してくれない。
お礼は充分にすると、その値をどんどん釣り上げてくる。
その巨額を聞いて、男はしばし思案した。
うむ。グッドアイデアがあると、膝をひとたたき。
病人の布団の、四方に一人ずつ、力のある店の男手を座らせて待てと告げた。
合図をするから、布団をもって患者を持ち上げて。一斉に枕元と足元をくるりと回転させてくれと指示した。
病人は、もうこれまでかと思うほどの弱りよう。
その枕元にたたずむ死神は、長患いにまとわりついて待ちくたびれていた。
寝不足ぎみの、うつむき加減。
深夜ともなると、こっくりこっくりとし始めた。
その隙を見逃さず、男はさあ今だ。それっと合図した。
病人を載せた布団が、くるっと回った。
枕元に居たはずの死神は、病人の足元となった。
さあ今だ。アジャラカモクレンエベレストのむにゃむにゃのパンパン。
これにはさすがの死神も驚いたのなんの。病人の頭に坐っていたはずが、一瞬の間に足下にいるではないか。うひぇ〜。
あっという間に逃げ去った。
残った病人は、瞬時に全快した。
朝でも来たかの様に、あくびひとつで起きあがった。
約束のお礼をしこたま貰った男。
しばらくぶりの豪遊に、爪楊枝などをシーハーとして帰宅の道。
ほろ酔いの気分でふふんふんふんと。聖者の行進かなにかを、指パッチンでリズムを刻み。右に左にスキップ踏んで。
馬鹿者。おまえは何ということをやったのだ。どうしようもないやつだわい。
えっ!?
なに? えっ。
さきほどの死神は、わしだよ。
おう、これはこれは。いつぞやの死神さん。いやぁどうもご無沙汰しております。
ご無沙汰ってことがあるか。ばか。恩人のわしを出し抜くとはあきれたやつだ。
えっ。さきほどの死神さんは、あなたでしたか……。
あなた、もないものだ。おかげでわしは。いやそんなことはいい。それどころじゃないぞ。おまえは、死ぬ。
へへ。ご冗談を云わないでくださいな。おれは長生きだってそう云ったでしょう。
ああ云った。先ほどまではそうだった。だがな、今は違う。助からぬはずの病人を今助けたおまえは、自分の寿命と、今死ぬはずの短い寿命の者を、無理に入れ替えのだ。ばかをしたものだ。今にも消えそうなチビいロウソクが、今のお前の寿命になったのだ。
そんな……、おれはまだ死にたくないんで。どうか、どうかお助けを。
困ったやつだ。死にたくないか。へへ、ならまだ長いこのロウソクをくれてやろう。自分で火を付け替えろ。ほーれぼやぼやしてると、消えてしまうぞ。ほら風が吹く。震えてないで早く着火しろ。
そんなこと云ったって、こんな短くなった小さい火では……
ぐずぐずしてないで、ほれ早くしないと、ああなんと不器用なやつだな。おやおや……、消えて、しまったわい。
バタリッ。
以上が「死神」という落語です。
滑稽なストーリーなのにどことなく不気味な噺です。
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