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夢舟亭
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夢舟亭【エッセイ】    2002/05/22


    パラグライダーで鳥になる


 生まれて初めてのことには鮮烈な思い出が残るものだ。
 そういうシーンを、撮り直しの出来ない一本の人生フィルムに少しでも多く記憶しておきたいと思うのは誰しも同じだろう。

 ところが年齢の十の位の桁が重むにつれて、思うほどカンタンに「生まれて初めてのこと」の一線を越え難くなる。
 やってみようかな、という気を起こす対象にお目にかかれなくなってくる。

 過剰と言える情報も物量もあるご時世である。
 周りの物事が少ないのではない。
 それは目に耳に余るほどに届いているのだ。
 だのにこちら側はいっこうに興味を示さなくなってきている。
 その気になるところまで気持ちが高まらない。

 出来るかな、と不安や苦労があれこれ想像される。
 と、脳奥で、無理むりとせせら笑いが聞こえる。
 そこで大抵はやらずに敗退してしまう。

 また、何をやるにも、多かれ少なかれ身体を使うものだ。
 この身体というものがまた、思い通りに動かなくなるから困る。
 疲れるぜー、と逃げる方を向く。
 ひとに誘われてようやく出向いても、初っぱなにあまりに上手なひとに出くわすと、なおのこと逃げの腰を浮かすことになる。

 脳と身体は、四十歳までダッシュして跳んできたその勢いの、慣性で後の年齢を進んでゆく。
 そう聞いたことがある。
 四十歳を越えるときまでの行動と意識が老い先を引っ張ってゆくという意味らしい。


 晴天の休日に、原っぱに寝そべって。
 青空見あげて鼻毛を抜き、くしゃみが出た拍子に舌を噛み。
 血の出る舌をべろりと垂らし、アイデデデデ・・。
 なんともまぬけな声を出し涙を流し、連れの犬にひゃっひゃっひゃと笑われる。

 まあ大体がそんなフウな私だから、四十歳までだってかなりアバウトな生き方をしてきた。
 当然近く訪れる老後とか余生のたぐいは、素晴らしい、という文字からは遠い時間と空間の日々になろう。

 そんな舌の痛みのアイデデデの涙目を拭きもせずに空を仰ぐと、空の彼方に一羽、鷹(たか)か、鷲(わし)かが、はるか上空で翼を拡げて飛んでいる。
 ゆーっくりと旋回しているのだ。
 ちょうどラーラ、ラリラリラーーと鼻唄でも聞こえそうな、なんともイー気分の遊覧飛行のように見えるのだった。

 しばらく眺めていた。
 いつもならこのままうつらうつらと眠りはじめる。
 だがこの場合、舌の痛さも有ってか、頭が冴えた。

 あんなふうに飛べるならイイもんだナー。
 立ち上がって、喉チンコが風邪をひくほど大口開けて首を背から直角に曲げて。
 と、飛べるものなら自分も是非飛びたいという思いが湧いてきた。
 両手を拡げたまま空をめぐる鳥の様子を真似ていた。

 私は、アカデミックなものは苦手だが、よくやるゼ、といわれるごく詰まらないコトに限って独り舞い上がったりする。
 そんなわけで一昨年、十年に一度あるかないかのトンだことに夢中になった。
 急遽ドクターストップならぬ、ファミリーストップが掛かった生まれて初めてのキケンな一件の話である。


 私は何かを面白いと見ると、良く調べもせず気分先行で、夢中になりハマリ込んでしまうことがある。
 といっても大抵はあくび半分で夢想するだけなのだが。

 でもこの場合は多少ちがっていた。
 数日前、県内でパラなんとかの教室があるという記事を見た。ご丁寧には写真つき。
 それがラリラリラララーの滑空鳥の姿にだぶった。
 このとき自慢の怠け心はねじ伏せられて行動へのアドネラリンが体内を熱く走った。
 一旦思い立つと、世界を征服した何とか国の逆マンジ赤腕章鼻下ちょび髭氏の大演説のように、狂気と思える身振り手振りでその素晴らしさを家族に自論展開しまくる。
 なぁに賛同者はいつも限りなくゼロに近い。

 私がパラグライダーが無動力で飛ぶ素晴らしさを絶叫したのにもかかわらず、家人はまさか飛ぶとは思い至らなかったらしい。
 アマいな。
 いや私も調査の段階で、高度、を数字で知らなかったのはアマかったのだ。

 知らないことは恐ろしくも平気なもので、単独の猪突行動に及んでしまった。
 会員へ申し込んだのだ。

 そして上下スポーツウエアとシューズで出向いた。
 ところが始まってみると、天候が悪すぎた。
 風の強い日が続いたのだ。

 風は強すぎても弱すぎてもいけないという。
 生真面目に毎週通いつめる私に、何もやらせないではおけないとその道の教官殿は、原っぱに私を連れ出した。
 毎回パラグライダーの傘(キャノピー)を拡げたり仕舞ったりさせたのだ。
 有料教習となればそこは客商売、付け加える言葉が良い。
「あなたはウンが良い。へたに良い風が吹いたりすると基礎をやらないで即飛んでしまう。
 それは誠に危険なことなのです。
 風に向かって基本通りにキャノピーを拡げられることが先ずは肝心。
 まぁ地べたに居るうちに、しっかり基礎を身につけることです」
 などと日焼けて真っ黒なアウトドア派の顔に白い歯をみせて笑った。

 またこの私ときたら、どういうわけかキホンとかゲンソクとかの言葉を投げかけられると、いたって弱い。
 野原に出て、数メートル高ほどの丘に登って10mほどをわずか1,2m高度で飛ぶ練習に。
 おぉ今の動き。キホン通りでイイですすねぇ。
 などと言われたら、もう止まらない。
 真剣さをむき出しにする。
 まあちょっとお休みください、と言われてももはや聞こえない。
 そんなわけで教え通りのキホン動作をカタクナに繰り返し続けた。
 数をこなせば何とやら。
 馴れてきて一応見られる動きにも成ってくる。
 こうしてしっかりキソを積んだ私は、高々数メートルをふんわりするまでたっぷり二ヶ月かけた。

 そんなある日のこと。
「あなたはウンが良いですよ。見てくださいこの晴天と風」
 今度は晴れたことがツイていることになった。

 その日。初級コースの会員三名を乗せた四輪駆動の小型バスは、いつもの練習用原っぱを通り過ぎた。
 どんどん山中に分け入り、道無き山道を登るずんずんのぼる。
 バス中では、あたまが天井を突き破るか、窓ガラスを側頭で割るかと思うほど揺れる。
 上にも下にも左にも右にも大揺れ。
 そんなジャガボコ道をボディをきしませ、ウンウン唸りながら駆け登るバス。
 深い山林の枝葉がばさばさと屋根にガラス窓に、覆い被さる。

 やがて山腹を抜けると、視野がぱあっと明ける。
 そこはこの地域で一番高い山のてっぺんだった。
 バスから出てみると四方に空間が広がり渡っていた。
 眼下に田畑や道路や町並みがほんの小粒に見える。
 遠く向こうには山脈が薄くかすんで上下にうねって連なる。

「どうですか。いーいあんばいの高さでしょう」
 山頂の広さは五、六十メートル四方もあるか。
 その平地の先は空間。崖である。
 そよそよと風が頂上の狭い平地に吹き寄せてくる。

 恐るおそる前方の崖の淵に立ってみる。
 足元を見下ろすと、一気に落ち込んでいるではないか。
 何がイイあんばいなものか。
 あまりの高さにひざが震えてとまらない。
(てへー! こりゃあエライこっちゃー)

「さあいよいよお楽しみですよ。一丁行きますか」
 痩せ我慢をしては唾を飲み込む私。
 出た声は、ここ……何メートルありますか?
「ああ高さですか。八百メートル弱です。着地点までの高差が三百五十メートルくらいですね」
 ときました。

 よく言うよまったく。
 東京タワーのてっぺんから地に降りるようなものではないか。
 あわわ、わたしが、ここから、飛ぶのぉ?

「ええ。もちろん。待ちに待ってたんでしょう。何なら独りでもいいですよ。ふふ冗談です。三回だけは一緒させてください」
 なぁんてまあ、なんともコ憎らしい冗談で脅かのだ。

 さぁ原っぱで覚えた通りの基本動作を思い浮かべる。
「左右のコントロールライン(制御紐)を、引けば良いのですからなぁにカンタンです」
 とかなんとか軽く言われる。

 手袋やヘルメットや硬めのシューズ、厚めの長袖スポーツウエアで身を固めた私が前で、教官が後ろに座る。
 おんぶに抱っこのブランコ状態だ。

 崖の頂上に、二人用の傘の部分を後ろに綺麗に拡げて。
 吹き寄せる風に向かって立ち。
 風の方向と強さをうかがって、しばし待つ。
 周囲にはこの道の先輩たちが、これから飛び立とうとする二人を囲んで指図をおくる。

 キャノピー(傘)の数十カ所から引き出されている二百幾本かのライン(紐)は、左右二本に束ねられ、ベルトに固定されている。
 それが飛び立ったら座るハーネス(椅子)に固定されているのだから、ブランコに似ているわけだ。
 飛び立ったときに、頭上にキャノピーが開くが座るこの椅子に紐で中空にぶら下がる。

 開いた傘はパラシュートの様にまん丸なキノコ型とはちょっと違う。
 丸いパラシュートの、前と後ろの部分を切り捨てた形をしている。
 ちょうど飛行機の主翼だけを思えば良い。

 飛行機の主翼と同じ形のキャノピーの後の部分に、乗り手が引く左右のコントロールライン(制御紐)が別に繋がっている。
 これが昇降舵となる。
 引き具合で上下、そして左右に飛行できる。

 傘であるキャノピーは、左右が五、六メートルほど。
 前後幅が二メートル位。
 化学繊維の布シートだ。
 このサイズは経験と腕によって換える。
 用途別馴れクラス分けされていて、スピードや高度を楽しめるのだ。
 シートとか紐や椅子とで一組のパラグライダーは、あまり安い品物ではない。
 もちろん万一の場合の、パラシュートも装備している。

 しかし経験豊かなひとが二,三千メートルの高度を楽しむ時は使えるが、数十メートルからパラシュートは開く間がないという。
 つまり私のような初心者の飛行では……まあ、それは考えまい。

 とにかく崖の淵に向かって立ち、傘を力いっぱいに引いて走り出せば、後ろの傘は風をはらんで頭上で広がるはずだ。
 するとこの場合は二人乗りだが、のパラグライダーは、上手くできて墜ちなければ、空間に浮かぶはずなのだ。
 そんなことを想像しながら深呼吸で、数メートル先の何もない空間に目をやる。
 その先は一挙に100mもの崖である。

 突然。
 さぁ今だ!
 諸先輩が叫んだ。

 さあ。思いっきり走って。さあ、もっと、もっと走れ。それぇ!

 下が一気に山斜面まで百メートルは落ち込んだ切り立つ絶壁。
 何ンにもないその空間めがけて、力の限り走れという。
 後ろの教官の声も、冗談会話のときとは打って変わった真剣さだ。

 一瞬、今までの冗談めいた話っぷりはコトの真実を覆い隠したセールストークでは、と思う。
 実際はかなり危険でヤバい状況ではないだろうか。
 ひょっとするとこの教官だってどこまで安全を保証しきれるかなんて考えていない。
 もし百メートル下に墜ちたら、ごめん、と舌をペロリッなのではなかろうか。
 などという思いが千分の一秒ぐらいの間に全身を走った。

 だが、こういう時の私は、どういうわけか清水の舞台からではないが、ヤケクソになれる。
 大分前に。お芝居のグループに紛れ込んだ時も初ステージはかなり破れかぶれッポい踏み出しだった。
 泳ぎ初めにも、子女に混じってバシャバシャやったのも、かなり開き直っていた。

 ついこの間まで空を仰いで鼻クソをほじっていた怠け者が、この大空に向かって一気に走れという指示に、かなり腹をくくって走った。
 もっとも、マトモな気持ちではとてもあの崖の淵からなど跳べやしない。

 ここでしり込みしたって誰も責めやしないし笑いもしないのだが。
 エー、殺せぇー!

 私はこういう場合のクセとして、ワケの分からないことを口走る。
 ワオウ! おお、やっタろうじゃねえか! ガオー。ばっキャやろう。
 映画の中のシルベスタ・スターロンや、ブルース・ウイリスなんかがビルや絶壁から飛び出すあのノリだ。
 でもこちらはスタントマン無しなのだ。
 走ると言うが山のてっぺんは狭い。
 数十歩も行かないで地べたは無くなる。

 走って間もなく、後ろに引く傘が風を受けて重くふくらみ、頭上に出てきて浮きあがる。
 右、左、右の・・その次の左を踏み出す足は崖の外だった。

 墜ちる……寸前。
 足は浮き、ぐーんと引き上げられる力が、坐った椅子から腰に伝わる。
 墜ちなかった。
 空間にぽっかりと浮かんでいた。
 その感じは、映画メリーポピンズではないが、大きな傘を持って風を受けたような感じだ。

 一瞬の後、走ったばかりの山頂が尻の下に見えた。
 足はぶらりとブランコに載った様に垂れる。

 と、とととと、飛んだとんだぁ。ハア、ハア、ハハハ飛んでる〜〜。

 なぜかこういう時に下を見たがる。
 ここから落ちたらオシマイだな。一瞬思う。

 あまりわき見をしないで、と一声かかる。
 でもそれは無理だ。
 何せ初めてなのだ。
 文字通り舞い上がっている。

 ざわざわと風をいっぱいはらんでは頭上で拡がっているカラフルな傘キャノピー。
 そこから自分たちを空間にぶら下げている多くの紐を見上げる。
 頼むよモウ。切れたり絡まったりしないでよナぁー。

 万歳の姿勢の左右両手に握る制御紐に、ぶるぶると細かく風をきる振動が伝わってくる。
 とても原っぱの練習の様に引いて方向を制御できる余裕はない。
 ただぎゅっと握りしめているだけ。

「肩の力を抜いて」
 後ろからの声。
 ちょっと気持ちが落ち着き、もう一度下を見る。

 先ほどバスで登ってきた林がある。
 かなりの高さであることが、木々の先端がはるか下で半開きの雨傘の様に何本もとがっているので実感できた。
 自分の位置が今さらに高いと思う。
 と、爆走するジェットコースターが直下するとき感じる背中から尻のあたりの、スカスカとするあのむず痒さが走る。

 夢見ごこちだが、とにかく今自分は宙に浮いて進んでいる。
 それも山肌からゆうに百メートルはある度さの空間を、動力も無くただ風に乗ってである。

「さあ旋回してみますか。ゆーっくり右を引いて。そーら旋回した。はい戻して。こんどは左でーす。身体ごと傾けましょう。はいその辺で戻す。いい感じですよー」
 うひひひ。カンタン、かんたん。

 数分の後眼下に目印の旗竿が見えた。
 リンゴ畑の突端に小さく揺れている。
 飛ぶ前に説明された様に、その先が着地点の原っぱである。

「風はどちらから吹いているますか。さあ両方引いて降りてゆきましょう。ほーら下がってゆく。どんどん降りますね。
 そーら足が着きますよ。
 さあ一気に引くーっ。
 地に着いたら、走れっ」

 足に雑草が触れ、固い地をとらえる。
 夢中で駆ける。
 そして、止まる。
 ふう……着いたぁ。

 無意識に振り返えった。
 出発点の山頂を見仰ぐ。
 いま、また誰かが飛び出すのが見えた。

「いかがでした?」

 ふぇ…………。
 くっくっく。こりゃぁ、たまらんナー。
 サイコー!


   *


 生まれて初めてパラグライダーで飛行したその日。
 一日中リンドバーグかガガーリンかアームストロング気分だった。

 教習の二人乗りでこれだけ興奮したなどと、長年の経験者に言えば笑い吹き出されるだろう。
 でも当夜私は寝てから、とても眠れず。
 風に揺れるあの感じを全身で思いおこしていた。
 初めてのこととは、これほどに感動が大きいものなのだ。
 この興奮こそが貴重なのではないだろうか。
 ワーオと叫びたいのをどう抑えてどうにか眠りについたのだった。


 二人乗りの教習飛行は三回。
 残り一回を残すだけという日。
 その後は、いよいよ自分単独の飛行になる。
 そう自から言い聞かせて、山頂でバスから降りた。

 うーむと腰に両手をついて下界をにらむ。
 といえば恰好は良いが。
 顔はたしかににらみの表情だが、内心は崩れて逃げ出したいくらいなのだ。

 思えばトンでもないことに足を突っ込んだものだ。
 風の吹き具合が穏やかなままでいればこの日の午後にも、私にしてみれば単独大西洋横断飛行なみの挑戦の時が訪れる、その可能性がつよい。

 ひとには、恐いもの見たさ、という好奇心がある。
 この場合は、恐いものやりたさ、という行動欲だろうか。
 辞めときゃイイのに、辞められない。
 で、突き進む。
 それがまたこの上ない楽しさだと感じる。
 そんなことが、誰しも一度や二度あるのではないだろうか。

 何に寄らず危険な冒険心をもって飽くなく求め続けて十年、二十年。
 そういう楽しみに魅入られ心に巣くってしまった熱狂的マニアが、ときに居たりするものだ。
 この飛び人仲間の先輩たちも、年齢はおろか職業も性別も関係なくみなフライト生き甲斐の気持ちを強く抱いている。

 楽しみ、といっても居ながらにして、向こうからオモシロがぶつかってくる受け身の戴き型もあれば、こちらから身体ごと飛び込んでゆく挑戦ものもまた痛快で面白い。
 身体ごとのスポーツ系のものの多くでは、なぜやるか、どんな点が好きなのかなどと訊かれても、やらせ映像報道のよう、なきれいに響くまとまった答は期待できないものだ。

 彼らが全身で飛ぶことに注ぐ情熱の度合いは、当たり前だが言葉などではない。
 この山頂に立ち、大気漂う大海原に日やけ笑顔で滑空する回数と、その上達ぶりで推しはかるしかないのだろう。

 毎日まいにち野鳥のように飛行し続けのこの教官氏などは最たるものだ。
 三十歳代後半にして、いまだ独身。大空に恋しているようなのだ。
 関東の地から一人で来て、パラグライダー滑空に適したこの地を探しだし。
 地域のスポーツ振興担当者と住民の多くを説得して。
 山林の使用許可を掴み取った。

 そのあとこの緑の山野に居着いてしまって、数年。
 痛快な冒険的楽しさと、危険。リスク表裏一体。
 そこをどう納得させたものか。
 大空に舞い上がるパラグライダーの教習となれば、達人の自身が行うのとは違い、私のような無知な未経験者を安全に指導して、文字通り巣立たせなければならない。
 これはかなり困難で危険も伴う。

  わが町はひとがけがをしたり死ぬような遊びで有名にるわけにゆかないのだ。
 などという拒否をひとつひとつ説得してゆかなければならないわけだ。
 そりゃあ私が町役人だとしても、キミ試しに飛んでみてくれ、と突然背中を押されたら飛行しただろうか。
 墜ちて死にでもしたら困ると逃げるだろう。

 ところが、ひとは、自らそうしたいと欲を沸き立たせたらさいご、この態度はがらっと向きが変わるから不思議だ。
 一旦してみたい心を起こさせたら、もう戴きだ。
 私のように、カネを払っても向こうから足を運ぶのだから。


「実は、ですね。今日はちょっと人手が足りませんで……。で、どうです、いかがなもんでしょうか。天気も良いし……」
 教官が、いやに歯切れ悪く声を低めて寄ってきた。

 手が足りない、とは山頂と着地点間を行くバスの運転手や周囲で指導注意の声を発する人が足りないという意味だ。
 なにせ前述のごとくの細々経営だから経費節減。
 運転だって愛好者のボランティアでまかなっているくらいだ。
 だから都合が着かないひとが多けれても無理強いはできないのだ。

 そんなわけで、すでに単独飛行が当たり前の会員に対しては、教官が着地点からトランシーバで管制塔のごとく地に居て監視しながら、飛行に指示をとばす。
 しかし私の様な初心者は、一緒に飛ぶ指導を三度はしなければならない。
 着地すると、待っているバスに乗り、また山頂から次の初心者と飛ぶ。

 その日は幸か不幸か初心者が多く、午前中満員の盛況さだった。
 午後は、できるだけ自力で飛ぶ組だけにしてバスは教官が自ら走らすという予定に変更。

 そこで私に言いたいことは、教習の相乗り飛行は一回早く切り上げて。
 それからは単独で飛んでもらいたい。
 初心者お客様の単位は二回で終わりということなのだ。

「トランシーバで着地点から指示を送ります。なーにカンタンです。あなたの場合はキホンが出来ていますから充分いけると思います」
 と持ち上げるのを忘れない。
 一回早く、突然肩を叩かれてしまったわけだ。
 わわわ、私ひとりでは……と言いたいが、声も出ない。

 こういう時の私というのは一体どういうふうなのか自分でも分からないが。
 不可能であり、かなり難しいと分かっていても「ノー」を言えない。
 断らない拒否しない傾向があるから困る。

 さすがにこの場合は、了解するまでしばらく間が有った。
 無理かな、という眼差しが立ちつくした教官から感じたのがマズかった。
 やってみます!
 私の単身飛行はこういうふうにして、期を満たさず、不意に訪れた。

 恐い。
 武者震いがとまらない。
 私の胸は、どっどっどっどと、鼓動が数センチも上下した気がした。
 だが、どうしようもないというのとはちょっと違っていた。
 やはりやってみたい欲の火玉があるらしいのだ。

 教官は、残った初心者を抱っこの相乗り姿勢で立つと、下で待ってますよ、と飛び去った。
 発着の時というのは、どんなジョーク連発のひとも引き締まった声になる。
 次はあなたが飛ぶかと、先輩仲間の幾人から問われた。
 もちろん拒否してもかまわないのだが、初心者扱いはしてくれていない言い方だ。

 風の具合を見守る仲間の声に、うなずきながら芝の原に立つ。
 自分が使う傘、キャノピーを背後に独りで拡げて置き、制御の紐を握り、飛びたつ前方に向き直る。
 思いのほか身動きがスムーズに感じた。

 空は薄い雲がたなびき、風はそよ吹く。
 遠くまで景色が静かに見渡せた。

 飛ぶのはこの自分独りなのだ。
 他人の声は参考として、踏み出したら最後。自分の判断で迷わず進め。
 と、飛行機はもとより、ハンググライダーも含めて飛行道三十年の大先輩が真正面ににらんで言う。
 誰かが何か言ったからと半端に従って行動を変えるな。
 少々体勢が乱れても気を抜いて崖から堕ちたりしないように飛び出せ。
 悪い事態にも落ち着いて自力で持ち直して進む意気込みだという。

 そして、すーいと風がきた。
 さあ、行くぞ。二、三歩踏み出した。

 だが、待て。
 これでは走る向きがわるいと自分で判断して止まった。
 淵の手前二メートルだった。ふーう。

 風を真正面から受けないと、傘の開きは横に片寄って、曲がったり広がらずにつぶれたりする。
 見守る皆が素早く動いて、乱れた傘をもとに引いてくれる。並べ直すのに手を貸してくれた。

 深呼吸する。
 これは一生一度の冒険なんだ。
 目を覚ませよ。
 なんまいだーアーメン。
 両手で頬をビシャッビシャッと張る。
 落ち着きが出て、神経がぴっと集中する。

 先ほどと同じ向きの風がきた。
 今度はその風に真っ直ぐに向かって走った。
 お世辞もあろうが、凧揚げの要領の風に対し真っ向に全速疾走する私の傘拡げの練習動作はよく褒められた。
 あれを思い出してただただ無心に実践した。

 傘がかなり早く駆ける私の頭の上にきて広がる。
 と、崖から大分手前で、身体がすーっと引きあげられた。
 浮いた。
 そーら、飛んだッ!。

 不思議にも先日の相乗りの初飛行ほどには興奮しなかった。
 発進時のバカヤロー発狂声も今回はなく。
 四方を見わたす目に、眼下の風景はしっかり捉えることができた。
 今飛んでいるのだ。
 さあ次に何をすべきか。
 方向は、高度はこのまま保ってよ良いだろうか。
 着地点はどこだ。
 もう少し右にゆくべきだ。

 風に乗ったパラグライダーとひとつになった私の身体は、さわさわさわと滑空前進している。
 単独で飛ぶということは、こういうことなのだ。

「聞こえますかー。なかなかいいですよー」
 耳元に教官からの受信声が聞こえた。
 両手万歳状態で制御紐を握っているから、応答の送信ボタンは押せない。
 ハイ、と空中に返事する。

「もう少し上がりましょう」
 という声に、すっと両手が上がる。
 制御紐を上げれば風への抵抗が減って、上昇してゆく。

「もうしばらく行くとサーマルに入りますからねー」
 すぐに身体を撫でる風がひときは強くなる。
「あがりますよー」
 と聞こえるまでもなく、眼下の山肌がみるみる遠くなる。自然に上昇しはじめたのだ。

 地べたに這いつくばって生きる私には分からなかったが、この空間の大気には、あちらこちらにこうしたサーマルという熱気の塊か太い柱の様な上昇気流が発生しているらしい。
 ごく微弱な竜巻なのだろうか。

 熱気と言っても、とんでもない温度差ではない。
 その直径百メートル規模の、周囲と異なる温度の空気柱は、大きく渦巻いて地面から上空へ昇っているらしい。
 気温や湿度の変化が地形とあいまって、そちこちに発生するという。
 飛んだ瞬間から緩やかにただ落下し続けるだけのパラグライダーだが。
 その上昇渦にうまく乗ることで、数千メートルにも昇られるのだ。
 翼をひろげて滑空していた原っぱで見た鷹か鷲も、このサーマルを身体で知っているということになる。
 一飛びで一時間もの遊飛を楽しむひとたちもまた、こうしたことを心得ていて、昇っては降りてきて、また昇る。
 風まかせの飛行であるだけに、風に乗る技術の奥は深い。
 ちなみにパラグライダーのライセンスはパイロットと定義されるようだ。
 となれば当然だが飛行学科の座学も初心者の段階から行った。

 飛び出して進んで、指示に従ってゆるく左右に旋回して。
 着地点に降り立つだけの数分間に汗する私あたりは、サーマルの回転には乗らず、渦を横切って過ぎた。

「さあ、そろそろ林がきれて、畑が見えますよー。その角から回転しながら降りてくださーい。もっと降りて。そう、いいですねえ。はーい」
 着地は一気に制御紐を引く。
 飛行機の翼でいえばフラップを落としきるわけだ。
 ガサガサと足が原の草のあたまをかきわけて着地。
 その瞬間が危険なのはこの遊びでもいえる。
 飛んできた身体は進むエネルギーを余している。
 走り抜ける勢いで前に駆け出てその余力を始末しなければならない。

 原の端で足を止める。
 後ろで、わさわさとしぼんだキャノピー(傘)が草地を覆う。
 トランシーバー片手に教官が近寄ってほほ笑む。
「いかがです単独飛行は」

「ふーむ。旋回がちょっとアマかったでしょうか」
「あなたの場合は、腕だけで回転しようとしているかなあ」
「そうか。こうですか」
 などと両手を上げて曲がる姿勢を全身でとってみる。
 もう飛行仲間の先輩に似た意見を交わしている。
 こうしてみると、私の生まれて初めての記憶として残る飛行は、今回の単独飛行よりも、数日前の教習飛行のお尻スカスカの方だっようだ。

 単独飛行の感激は着地の一瞬で消えてしまった。
 興味はすでに飛ぶというだけの感激ではなく、よりうまくなってやろうという方向に進んでいた。
 なにせその後すぐ、もう一度飛びたいと願って、頂上行きのバスに乗り込んだのだから。

「旋回はこうですよね」
 同乗した先輩に、いっぱしの質問などをする。
 真っ青な初春の空に、ふんわりと浮かぶパラグライダー飛行はこうして一人前になったのだった。


 だが数ヶ月後。
 着地のときの軽い捻挫で、パラグライダー練習の危険性が家族にバレた。

「ンもう。年に何人怪我したり死んだりしてると思ってるのぉ」
 とダメを出された。

 危ないと言い出したら寝ていたってあぶないサ、なんて下手な応酬は私の妻には効かない。
 そればかりか、何考えてんの、危ないぜ、の息子どものケイタイからの攻勢もうるさくなった。

 そんなわけで、さすがの私もついに翼を閉じた。
 そのあと現在まで。このお身足と味をしめた身体は、地面から離れていない。
 もう10歳若ければなぁ。


 今年、そよ風が吹くこの季節。
 今日のこれは良い風だよねぇと独り原っぱで、鼻毛を引っこ抜きクシャミをとばしながら、サーマルに舞う空の鳥を見上げているというわけだ。



         〜〜〜おわり〜〜〜




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夢舟亭
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