夢舟亭 エッセイ 2003/10/20 唐茄子屋(とうなすや) 食べるかぼちゃを、唐茄子という。 英語ではパンプキン。 かぼちゃの名は、カンボジア国からきたと聞く。 大きさはひと抱えほどで、その表皮はかなり固い。 形は丸く、ちょうど人の頭くらい。 でも西瓜のようにボール状ではなく、上下から押しつぶした様な、扁平型。 中心に向かって筋のへこみがあったりする。あまり形の良い野菜とは言い難い。 スイカもピーマンやキュウリも、イモ類もリンゴやモモも。ニホンで見るあれらの形だけがすべてではないところが、世界に散在する同系野菜果物の、種の不思議。 そうそう、ディズニーのアニメーション映画シンデレラで、魔法使いのお婆さんがシンデレラに四頭だてのリムジン馬車を進呈したシーンがあった。 たしかビビデバビデブーの呪文と魔法杖一振りで、かぼちゃを馬車に変えたっけ。 シンデレラがあの馬車で駆けつけたお城の夜会。 その帰りに門限に焦って、例のガラスのハイヒールが脱げてしまう。 そして、その靴の持ち主を探し出せと……。 それはともかく。 かぼちゃを縦に裁断して、種を取り除いた黄色い実の部分を、ガラスの靴など履いたことも見たこともないわが家の妻は、ほくほくとアメ色に料理してくれる。 その甘みは薩摩芋とはまた違って、外観からは想像出来ない美味しさなのであ〜る。 私は子どもの頃に、冬至かぼちゃなどと出されてもほとんど口にしなかった。だのに、今はかぼちゃが美味い。 幼いうちや若いころというものは、親が出す食い物の三度の食事が、目の前に揃うのは当たり前だと思っていた。 それどころか、余所より美味いものを食わせる親が良い親だと平気で思ったりもした。 友人の家で食事によばれて、そのご馳走にビックリしたよ。 世の中にはああした豪華な食事をしている家もあるものだなぁ。 裕福な家もあるものだ。親はどんなカネ持ちなのだろう。 などと、残業の疲れが溜まって肩を揉ませようとする父親になかば当て付けのように言ったりもする。 子どもとは残酷なものです。 自分が親になって幼い頃の自分とわが子を比べ、今は亡き親に恥じる思いの人も多いだろう。 誰でもが、親から見れば子供であり、子どもから見れば親です。 多かれ少なかれ子どもは親に反抗するもの。 子を育てる親としては素直すぎて逞しさのないまま大人に成るのも心配だ。 けれど手が付けられないほど本能丸出しの気ままや、暴れて世間に迷惑をかけられたりするのもまた困る。 今では可愛い嫁さんや子どもまで授かったわが家の息子らにも、それなりの反抗期があった。 こいつ気が強くてさなどと、寝ている自分の子を顎で指しては笑う息子を見るこちらとしては、何とも可笑しいことがある。 どちら様もそうだろうが、家庭をもって年を追うに従って、ひとり生まれまた生まれたわが家。 家族として加わった子が、わいわいきゃっきゃと騒ぎざわめいてうるさいほどにして育った。 それも、やがて巣立つときが来た。 わが家の場合は、皆を親元から遠く世間の中に離して職に就かせた。 今思い出してもあの日は、親の私も堪えた。 四っつの子どもという家の電球の一つひとつが、あの日を境にわが家から去ったわけだ。 これは、心に穴が空く、の喩え通りだった。 いずれそういうふうにどの子も独りで世の中に出てもらう日が来るからね。とは言い渡して育てた。 しかしその日が近づくにつれて、まさか長男までを出す家などないよ、父さんはおれが嫌いで捨てる気なんだと私にすっがて泣いた。 なぜ家に居てはいけないのか、大人に成ることと家を出ることは関係ないよと。 すると子どもたち皆が、そう訴える長男に同調し加勢したものだ。 しかし私はがんとして拒否した。そして追い出すように離して職に就かせた。 言葉の辻褄合わせなど意味がないと思っていた。 そしてこの意味は先々の歳月しか教えてはくれないと信じていた。 だからほぼ無言であの時期を越えた。 家族で送っていった勤め先の寮で、夜の庭先に見送りに立った長男の顔が遠くなるときは切なかった。 今でもあの時の心の痛みを伴って甦る。 あのワンカットシーンの記憶はおそらく生涯私の頭から消えることはないだろう。 私が考える親子や男の子の自立というものがあのシーンの記憶に集約されている。 そう遠くもなかろう親子死別の私の枕元もあれほどの辛さはないかもしれない。 以後何度か家に戻りたいと妻に言ってよこしたらしい。 それへ私は耳を塞いで三年ほどを切り抜けた。 その間、正直言えば、なあにわが家の息子に限っては出さずに家に置いてもわがままも言わずにちゃんと大人になってくれるかもしれない、などと思ったこともある。 だから「戻ってこい」と声を掛けようと思ったことも有った。 長男の場合は、どこか深刻な親子の姿を演じていたように思う。 そんなふうに常に先を行かねばならない長男の何ごとも未踏の道に出る恐れに較べて、次男三男となると、巣立ちの出方はまったく違っていた。 深刻さなど親子のどちらにも無かった。 兄弟皆が協力して借りてきたトラックに荷を放りあげ、後ろ前にクルマを連ねて引っ越した。皆がドライブか家族旅行の気分だった。 借りたアパートに着けばあれこれと先輩として指導する長男。 それを見ながら自分の時はどうするか考える三男、四男。 私ら親夫婦も、じゃあ何かあったら電話ね、と帰ってきたものだ。 遠く離れたといっても、皆せいぜいがクルマで1時間ほどの距離なのだ。 だから巣立ったなどといっても、当人は暇さえあれば帰ってきて、母に手料理をせがんで食って帰っていた。 性格の違いもあろうが、やはり長男は生真面目な分、深刻に考えるもののようだ。 兄さんってあまり帰ってこないよね、などと丼でお代わりご飯を掻き込んでは、げっぷを吐いて行くのは二男以下。 昔風の勘当を言いつけたわけでもなかったのに、出たからには帰っちゃいけないと思たのだという長男。 そうしたことの結果効果は大きかった。 長男、二男以下の別なく。世間様、つまり社会というものは素晴らしい教師だと思う。 家で育つうちには、父母を相手にいっぱしの口をきいていたのに、三年もすると挨拶はもちろん、言うことがしっかりして足が地に着いた感じに仕上がるのだった。 どんな気ままな子どもも三年も自活させると、まことに頭が下がるほどに大人にさせてもらえるというわけだ。つまらないことでいちいち親に頼ったりしなくなる。 こうした間の社会での体験実習は、本や教室の机で○×式に学べるようなヴァーチャルなものではないということがよく分かる。骨身から鍛えてもらえるのだろう。 昔の諺である「可愛い子には旅させよ」とはまさに本物だと思う。 そうした世間に教えられる体験的学習の様子の落語といえば「唐茄子屋」だろうか。 人情噺、三大話などと言われる名作の「子別れ」「芝浜」に並ぶひとつだ。 だからちょっと落語を知っているひとならご承知の噺だろう。 江戸の大きな店の、家督を相続するべき息子。 甘やかされて育ったその若旦那が、年頃になって仕事を憶えなくてはならないころに、遊びを憶えた。 毎日毎晩。呑み打つ買いに通う。 とくに「買う」、つまり女性に貢ぐ。家に帰ってこないほどになる。 店の金をくすねての郭通いだ。 店の皆が説教などするが、てんで聞き入れない。 父も母も祖父母も打つ手無し。 親戚一同が囲んだ場で、最後の説教となるが聞く耳持たず。 ついには父親の口から、出て行け、が発される。 親子の縁を切る。つまり勘当ということだ。 勘当だってぇ!? あぁいいとも。米の飯とお天道様(太陽)はどこまでも着いてくるさ。 と捨てセリフを吐く勢いは止まらず。 とはいうが現実社会はまさか遊びのほか何も出来ない者に、ラッキーチャンスもドリームなストーリーも与えたりはしないのだ。 初めのうちは、大家の息子と思って気遣って、泊めてもくれる。 しかし世の多くは、生きるに精一杯、が庶民の常。 無用な大人一人をそうそう面倒見切れるものではない。 まして今ではカネズルでもない、店を追い出された勘当息子だ。 カネを握らせたこともある友人や太鼓持ちの家などに居候するが、邪魔者、厄介者の待遇となる。 となれば、いくら脳天気な若者でもさすがに居づらく、余され者のわが身を理解する。 居るところのない風来坊という事実を受け止めるしかない。 世の冷たい風、社会に放り出された瞬間、家無し宿無し何も無し、という立場の自分に気付く。 時すでに遅し。 皆がちやほやしたのは、ばかな自分が持ちだした父親のカネ目当てだった。 この自分が特別エライわけではない。 ひとは意味も無く優しくしてくれやしないのだ。 店のカネをばらまくバカ息子だったから寄ってきたに過ぎなかった。 米一粒にも有り付けないホームレスの身になって。 あっちの軒下、こっちの橋下と、雨風を凌ごうとする。 けれど犬にさえ場所を先に塞がれている。 ああどんなに屋根が傾いていようと、親が居てこそ食膳にありつけたるだ。 親は有り難い。 人は働きによってわが身を守って行かなくちゃいけないのだと、生きることの難しさを知る。 悟ったときには精も根も尽き果てた。 かくなるうえはと、自分のばかさを祈るように親に詫びて大橋の上から身を投げようとする、勘当息子。 そこを偶然通りかかった父方のおじさんに助けられる。 おじは小さな店を開いて、行商などをやっている。 助けて家に連れ帰るおじさんは、明日から言うことを聞いて柔な店育ちのおぼちゃま身体でかぼちゃ(唐茄子)を売ってこいと言う。 天秤棒に篭をぶら下げて唐茄子を担ぎ、町を売り歩くのだと。 人間、「悟る」などと一口に言う。 だがなかなかにして、簡単に心など定まらないものだ。 やはりどこかに今までの楽な生活が巣くっているものだ。 だから恥ずかしさも残っている。 おじさんの言うことですから何でもやります。 でも……唐茄子を売り歩くことだけは勘弁してください。 などと言って逃げようとするのだった。 何せ、商いの息子などといっても、おぼっちゃん扱いでちやほや育てられてきて、豆一粒売ったことはなかったのだ。 しかしそれを納得してしまうような、そんな柔なおじさんじゃない。 うるさい。つべこべ言わずに売ってこい! は、はいっ! 真夏の江戸の町に、天秤棒の前後に篭を担いで出た勘当息子。 ここからが、ここまでのおぼっちゃま気分が、一人前の商人の気構えに、行きつ戻りつ変わって行く唐茄子売りの様子だ。 話芸でそれが見事に描かれる。 この噺の聞き所だ。 あれぇ。あの先に見えるのはたしか廓だなぁ……おれが通った花魁(おいらん)はいまごろどうしてるかなぁ。 あのおんなだっておれに惚れていたんだ。そうさカネなんかじゃない関係だった……。 へへっ。そんなこともないか。 こんな息子じゃぁ親父も怒るわけだな。勘当も当たり前だ。 ばかなことばかり言ってないで唐茄子を売ろう。 えーとうなす、とうなすはいかがです。とうなすや、とうなす。 捨てる神あれば拾う神あり。 売り歩いていると親切な江戸っ子に、店の金使い込みのばか息子の行状を見破られ、改心を忠告される。 そうか。おじさんだって、おめぇを思えばこその唐茄子売りだろうよ。まぁせいぜい励んで、商いを憶えな。 と、唐茄子をいっしょに売ってくれる。 残りは何個もない。 こうなったら全部売払って帰ろうと、喜び勇んで町はずれまできた。 あのう、唐茄子屋さん。 へへっ。唐茄子ですか。で、いかほどを? はい。あのぉ……おひとつ。 ひとつ。そう言わないで、ふたついかがです。 いえ、お代が足りませんので。ひとつで結構なのです。 なぁに、よろしかったら差し上げます。これが最後なもので。さあお運びいたします。どちらで? 見てくれは貧しい姿だが、どことなく礼儀正しく品のある若奥さんが、赤子を背負っていた。 案内されたボロ長屋。 その庭先に唐茄子ふたつを運び入れる。 ふと昼時であることに思いあたる。 あのう。ちょっとこの庭先をお借りしてお弁当を食べようと思うのですが。 えっ。お弁当を……ここで。では白湯などをお隣から借りて参りましょう。 いやなに、お構いなく。ではちょっと失礼して。 勘当息子の唐茄子屋は、握り飯を食べ始める。 と、今で言えばアフリカ難民村から這い出してきた様な、痩せた子どもがひとり。細い手を伸ばしてきた。 おまんまだ……。ああ、母さま、おまんまだ……。 これ。はしたない。なんということを。 えっ!? どうしたの。ああこれですか。ええ良かったら、どうぞどうぞ。 と、とんでもない。これ、いけません。物乞いなどいけません。 差し出すか出さないかのうちに、その握り飯をひっつかむと夢中でかぶりつく幼児。 そばで見ていた母親は、泣きなきそれを制しながら。わが身の落ちぶれた経緯などを話す。 元々、夫は武家であったという。 だが江戸屋敷のリストラに遭い、長屋に住み着いたのだという。 あまりの窮乏生活で、夫は金策に行った。 けれどこの数ヶ月、音信が途絶えた。 母子がこうして待っているのだが、一向に戻らないという。 食うものが無いことの、空腹の辛さが骨身に染みている勘当息子。 一切の理屈抜きで、同情心が湧いた。 これが社会という学舎の卒業証書なのだろう。 はぁ、三日間何も口にしていない……。そうですか。大変でございますねぇ。いや、わたしも食えないことの辛さはもう嫌というほど味わいました。 そうだここに唐茄子が売れたおカネが幾らかあります。これで何か美味いものでも買って、坊ちゃんたちに食べさせてやってくださいな。 い、いけません。そんな、見ず知らずのお方に。そんなことは。いけません。 断る母親を振りきってサイフごと置いて、長屋を出た勘当息子。 空の篭を担ぐと一目散に帰った。 おじさんは空の篭を見ると大喜び。 この分でゆけば、兄の元にこのばか息子を治して戻して帰せるな、と。 商人根性を養うにそう時間はかかるまいと、ひと安心。 で、幾らになったんだ。代金を見せてみな。 あの……無いんです。 すべて売ったのに代金が無いだとぉ!? また遊びにでも遣ったか、と問いつめる。 そこで実は、と事の始終を話すことになる。 だが、そんな美談めいた出来すぎ話で了承するおじさんではない。 これからその長屋まで案内しろ、実地検分だと、飯も食わずに立つ。 さっそく二人で行ってみると、先ほどの若奥さんへの好意が、仇となっていた。 部屋代が滞っていたのをいいことに、性悪大家がそのサイフに気づきすべて取り上げて行ったという。 見ず知らずの行商人のご好意を巻き上げられては、もはや生きる望みも失ったと若い母親は首を吊った。 そこで子どもがわぁわぁと泣き叫ぶ。 何ごとかと気づいた長屋の隣同士が入って驚いた。 助け降ろしたばかりだという。 何とか一命はとりとめたがと、集まった者がおしえる。 それが言い終わらないうちに、正義感あふれる若者勘当息子は家主の家に駆け込んだ。 そして襟首を掴み表の通りに引きずり出す。 なんという人情味の無い大家だ。そのせいであの奥さんはなぁ、と手など振りあげる。 長屋の人たちも、この大家の不人情に苦しんでいたのか、大いに盛り上がる。 この騒ぎでポリスマンが駆けつけて、取り調べとなる。 やがて詳細な報告書がまとまり、勘当息子の善行が公開される。 瓦版メディアに載り、実家の父親の耳にも息子の善行が伝わる。 あぁそこまで心根を入れ替えたかと呼びも戻され、勘当が解ける。 こうなれば当然私が悪いばか息子で御座いましたと、詫びを入れる息子。 すべては八方丸く収まり、お後がよろしい様で。となるのが、落語「唐茄子屋」または「唐茄子屋政談」の一席なのであります。 実際の噺は、紆余曲折の変化をよりユーモラスに、人心の交流と勘当息子の微妙な心の変化を描いて行く。 そこが見所聞き所なのです。 是非、本物の話芸。その極地をお楽しみ頂きたいと思う次第であります。 |