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夢舟亭
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夢舟亭/浮想記(随想)

   昨今の邦画鑑賞の記
                     2005年08月20日


 今回のお盆中、邦画では「隠し剣鬼の爪」「北の零年」「レディ・ジョーカー」「血と骨」をVTRで観た。
 気持ちでチェックしつつこれまで観られないでいたものである。

 結論を先に言えば、印象に残ったのは不快感という形の表現力、演出力に「血と骨」に拍手。
 いやじつに輪郭の鮮明な作品でした。ストーリーも明快。汚い浅ましい痛々しい・・

 大阪埠頭が移民船から見える朝鮮からの人たちの目線は、ゴッドファーザー−2の子どもビトーがイタリアからの移民船上で、ニューヨーク自由の女神を見上げるシーン、あれを思い出した。

 しかし内容は違って、終戦の異国ニホンで生き抜く勢い余ってとんでもない破天荒手前勝手な男の一生。
 家族も周囲の者もその存在に眉をほそめときには傷害沙汰も限りない。
 それらを歯に衣着せず描き抜く、旧来ニホン型美談とは異なるところが実に不快さリアル度が高くて良かった。お見事!

 この監督さんはたしか「月はどっちに・・」というのもあったと思う。
 いわゆるタケシ系の、これこそが映画です、というカチッとした表現がいい。
 旧来のニホン映画にある単なる気休め娯楽にあらず。気合い入れて観てヤ、の超えてる感じがびしっと伝わってきて、格別。

 ということはほかの、「鬼の・・」の「清衛兵」のリメークっぽさや、「北の・・」のいかにも古風な改革せなあかんやないの的は私にはいまいち。
 制作側の旧態独り思い込み「男は黙って」の美学や、「がんばり努力一生懸命」称賛型ストーリーは、おっさんたちもう古いデ〜! とつい苦笑してしまう。
「レディ・・」は原作もそうだったが分かりにくい。グリコ事件からのネタなんだろけど。でも案外現代ニホン社会には、あういう「カネも要らなきゃオンナも要らぬ。ただ成就したいのは仇討ち」の様な懐かしい執拗な部分が残っているのかもしれない、とは思う。

 以上から、私などが知らないうちにニホン映画は、がんばって努力すれば必ず成功が訪れるハッピーエンドや人情涙笑いの旧来ニホン映画と違った「誰も知らない」や「血と骨」などの流れで出来てきた気がする。
 そこには単に作品そのものにとどまらない、何か裏面背景にある企画から制作組織や映画館配給などに至るものすべてが、新流別系統で出来上がって来る様な感じさえ持つ。それは私だけだなのだろうか。おそらくそれらは国内よりも海外で評価されそうな流れだ。
 国内アカデミー賞などでもう少し理解され評価されないと、世界に観てもらえるこれら新流ニホン映画界は育たない花が咲かないんとちがうかなと思ったものだ。

                   <了>



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