・・・・ 夢舟亭 ・・・・ |
夢舟亭/浮想記(随想) 映画『ワンダフルライフ』鑑賞記 2005年10月06日 ワンダフルライフ、という日本映画を観た。 観たといっても、映画館での鑑賞ではないのが残念。 今文章を書いているこのスクリーンでDVD版を鑑賞。 たしか発表の年に、似たようなタイトルのイタリア映画があった。 話題がそちらに行っていたなと思い出した。 そういう経緯もあってか邦画とはいえ、知らない人が多いだろう。 たまたま私はある映画を観たときに予告編案内で知った。 そのとき、考えられた企画だなぁ、と気にとめたのだった。 映画は、アメリカ、イギリス、フランス、イタリアはもちろん、中国も韓国もイランも、と各国に目を惹く作品があるのは嬉しい。 もちろん日本ものも、新旧とりまぜ偏らず観ることで何か得たいと考えている。 この「ワンダフルライフ」のこの映画を創った是枝という監督作品は、後年「誰も知らない」があり、フランスのカンヌ映画祭で若年の最優秀男優賞をとったことは各方面で報じられた。 今年の夏休みに、そのドキュメンタリータッチ作品も観た。現代社会の片隅の、特異な親子風景に呆然としたばかりだった。実際にあった事件が元にあるという。 「ワンダフルライフ」はあの作品とは違って、ドラマ、それも空想世界のお話である。 “ あなたの人生で一番思い出に残るシーンは何んですか? ” という問いがテーマである。 死の先(天国)へもって行きたいほどのひとときを思い出して欲しい、と言われれる。 誰が言われるか? つい先ほど亡くなった人たちが、である。 今し方、生前の世界を去って、あの世への玄関先に立った人たちが、ある建物の玄関をくぐる。そしてそれぞれが、担当者にこの質問を受ける。 おとずれる者は必ずしも長寿をまっとうした人ばかりではない。 十代二十代も、男も女もいる。 様々な生活を終えて、あるいは人生半ばで、来た。 そこでは、各自が回想する思い出のシーンをドラマにして、撮ってくれる。 それを胸に、一週間後の初七日に、永遠の安住の地天国に向かう。 だから3日間のうちに、ワンダフルな自分の人生の1シーンを是非思い出すようにと言われる。 一方、問いながら記憶をたどらせ、ドラマとして創作してくれる側の者たちはといえば、死者皆にあるはずの思い出のシーンを思い出せない、あるいは思い出したくないで何十年も、天国に行けぬ居残りの死者だという。 しかしそれらの者たちも、誠心誠意他人の思い出記憶を共有しながら、毎週毎週ドラマを創りあげるなかで、自身の過去を精算する機会にめぐり会う。魂の安らぎにより自らも天国へ去るのだ。 この映画を観ていると、おそらくたいがいの人が、さて自分のここまでの人生最高のシーンって、いつの何んだったろうか、と自問したくなるはずだ。 なかである会社員の男が、「ごく平凡な生活だったものですから別にありませんなぁ」とつぶやく。 観ている私は、まさか自分はそんな何も無いなどと情けないことは言わないはずだと、一瞬思う。 だが、生きている今の自分は日頃一番何が楽しいか? と自問してみると、さてどうだろう。意外にも即答できないことに気付く。これは私だけだろうか。 日頃、冷静にかつ仔細に世の中の物事を見極めようとして知識情報をあさっている。 でも、と言うべきか、それだから、か。印象とか、思いや感じを、自分自身の心の内面の活動として自覚、つかみ取ることは少ない。つい見聞きの他人言葉をならべては、「と私も思う、考える」などとしたり顔で済ませてしまう。 そんなわけで、部分的に見て正しいか間違っているかを問題にしては、言葉で立証しようとする。思えば、何と意味の無い、つまらないことか。 楽しい、面白い、素晴らしい、美しい、というようなきわめて単純で率直な自分だけの思いが無い。浮き浮きする気持ちなどを体感できないで終わる。 だからいつも自分だけの思いが噴き上がってこない。つまり「楽しいこと」が自覚できていない。 それは、どうも左右の脳の働きのアン・バランスから来ている気がする。 左脳は理論的で理性的な言動を司り、右脳は見たまま感じたままの印象や思いを抱く働きをするの、俗に言われる左脳右脳の話だ。 左脳が幼い頃からの教育という訓練によって、活発に役をこなす。 その割に、右脳が鈍っていて、感情感性が退化、乾燥してしまって、潤いがないような気がするわけだ。 この状態を文学ふうに喩えれば、正しいことは分かるが美しいことが分からない、となろうか。 また、かくあるべきと知ってるのにそれはなぜ楽しいか感じとれない。 または、理解することは出来るが愛せない。 理論的でないから面白くない。 整い具合は分かるが好きにはなれない・・などなど。 こういう人間としてできあがるのか。 自分を思うに、理性のブレーキが効きすぎて、感情はでのめり込めない、という気がする。 このブレーキが一般的に「大人になる」と言われていることではないだろうか。 子どもの頃は誰でも感性豊かな芸術家だ。それを大人になっても持ち続けているいることが難しい。とはピカソの言葉だった気がする。 たしかに、子どもの頃は、恥も外聞もなく、いいものはいい、と叫ぶことが出来た。 だのに、そんなことをしても儲からない。何の意味もない。はしたない。損をするだけだ。時間の無駄。幼稚だ。ばかばかしい。気恥ずかしい。失礼だ。ヒマがない、忙しい。だから・・つまらないことで、関心をもつことはないまま、次々に通過してしまう。 こうした声をあびながら、あるいはあびせながら、ここまで来てしまったのだと思う。となると、正しいけれどつまらない人生、の方向に偏ってしまう。 そうなれば、楽しいことは「別にありませんでしたなぁ」と成るも仕方なし。 そういえばあるとき、「他人に迷惑をかけない人間になるのが人生目標」であり、子ども教育の第一方針だと言う人の多いのに驚いたことがある。 私などの世代は、どちらかというと無駄なことほど面白いものだと育った。 心のどこかに悪戯っ子居て、茶目っ気に育つことがまだ許されるおおらかな時代だったのかも知れない。 だからまずは自分の人生は満足や充実を求めるべきものと実感してきた。 自分でそういう思いがきちっとあってはじめて他人にも共感できる。また分けあうことも出来ると。無いものは、感じるも分けるもない。 そういう生き方のための「方法の一つ」として、ハメを外しすぎて他人に有害な行動に及ぶことは結局損になるから覚悟せよ。あるいは自己責任であるぞ。という躾があった。 つまり注意事項ではあるが人生の主目的ではない。主と副が入れ替わってはまさに本末転倒、つまらない注意事項人生になってしまう。 人は迷惑をかけないために生きているわけではない。 自分の思うことを精一杯成すために人生があるのだ。 だから夢や希望を持て、ということだろう。 もっとも、迷惑、という基準も、時代と共にかなり変化してきている。 昨今の様に、何事にも敏感で神経質で、皮膚の皮がきわめて薄くデリケートな、リスク(危険)回避第一主義の時代では、他人の目線視線はもちろん、咳払いもくすくす笑いも、ましてパロディーやジョークなどでも、心に傷を負う人が居る。 ところで、誰にでも遊び心というものがある。 だが、遊びはどれもみなよくよく考えれば、さほど勉強になり為に成る有効だというものはない。 逆にまた、勉強になるからと言われる遊びに、さほど面白いものはない。 栄養になるから食べなさい、と言われる健康食に美味しいものは少ないのと同じに。 自分自身が、面白い、楽しい、嬉しい、美しい、心が打ち震える感じなどを味わうのと、有意義で役立つどこかの他人の知識情報を実は自分以外の誰かの為に修得するのと、どちらを優先させられて育って来たか。 それは案外今どきの、電子掲示板環境に並ぶ文章になどよく現れてる気がする。 自身の心の充足感や開放感の受け方や記憶する対象にも、かなり違いがあるのではないだろうか。 左脳がかくかくしかじかの意味があるからと承認したことを、素晴らしいとか感動とする人も多く、とにかく最高だと叫ぶ何かを感受しえていなかったりしている様なのだ。さて自分はどうなのだろうかと考えてしまう。 思うに、人間の心は経験すべき年齢には、感じて思って笑って泣いて、怒って憂えてを、ちゃんと済ませ卒業すべきだなのではなかろうか。 つまり右脳をしっかり発育させておくべきなのだろう。 面白いこと、楽しいことを経験すると、この世の中には自分が楽しめそうなことがけっこうあるものだと気付く。それは意外にもその辺にころがっている、という能動的なエンジョイ型の身のこなしが身につく気がする。 私などでも、ちょっと工夫すれば石ころひとつでも、何かかにか面白いことが出来る(書ける)と今でも信じていて、けっこう夢中になれる。 むかし読んだ本に、戦時中のある国に反体制派の政治犯が囚われていたときの話があった。 彼らは収容された刑務所で毎日労働を強いられ続けた。 ところが終戦とともに解放された彼らの様子を見ると、ある一角のグループだけは少しもくたびれた様子がなかった。目までが輝いて、しゃんとした足取りで出てきた。 解放した側の者が、不思議に思って留めて問いただした。 すると、彼らは囚われていたことも終戦の事実も、ほとんど意識になく、そうか終わったのか、というありさま。 いったいどういう生活をしていたのかと調べた。 すると、彼らは毎晩食後のわずかな時間に、宿題課題を出し合ったという。 それを翌晩に意見として交換した。 その場で疑問が出れば、互いにまた課題にする。 苦役労働のさなかでも、頭のなかは自分の課題の練り上げに夢中。 労働で肉体の苦しみを感じている余裕が無かったらしい。 課題を解決して今夜の話し合いに説くと、論敵はどんな意見で攻めてくるか。 自分はどの点が考え及ばないとそうなるか。 などということばかりを考えめぐっていたという。 そうした日々を送ってきて、ふと気付いたらここを出ろと言われたのだと。 というわけで、これなどは何も無いでも夢中になれることの驚異ではなかろうか。 思えば、人生は気の持ちよう、という言葉もある。まさにこれなど最高の例である。 彼らを端から見れば、なんとつまらないことで時間をロスっているのだろう。さっさと寝て、きちっと起きて、しっかり働け。と言われそうだ。 私たちは大人になるということを、深刻に、もったいぶって鷹揚に、難しく、礼儀だ道徳だと、複雑に、かつ周囲への配慮を二重三重に考えるくせが付いてしまっている。 だから理屈抜きで楽しいとか面白いなどと口にするチャンスはほとんど無いのかも知れない。 ワンダフルな人生のシーンを自覚するには、あまり小利口に先を読まず、小賢しく振る舞って通過することなく。 ワンダフルライフとは、右脳の楽しさ指向の人生へ、左脳が協力する程度のことではなかろうか。 好奇な心のおもむくままに、寄り道も道草もしながら見つけだし、心が弾けるほどにエンジョイしたいと思うのだが、いかがだろう。 さてここで、人生で一番楽しかった瞬間は? <了> |
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