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<この文章は商業的な意図をもって書かれたものではありません> 紅い靴創作館 エッセイ 2013年07月13日 小説・映画「二十四の瞳」 6月に四国経由で瀬戸内海の小豆島へ行った。 東北生まれ東北育ちのわたしは、現役引退後、東京から西へ行くのはほとんど無かった。 この春に吉野山の桜を観る予定だったのに行けなかったこともあり、瀬戸内海を四国側から観られるのを楽しみにした旅だった。 淡路島では浄瑠璃の人形の表情を楽しみ、そして小豆島に渡った。 小豆島は本州と四国のあいだ、瀬戸内海の北に位置した播磨灘。香川県の小島である。 醤油製造の島としても有名で名のあるメーカーの工場がならぶ。 また平地の少ない小島の山はだには、オリーブの木が多く植えられ、オリーブ油などの生産も盛んのようだ。 それらは人口3万ほどのこの島の先人が興して、遺し今に継がれた島の収入源となっている。 そんな小豆島をとくに国内に名を知らしめたものがある。 それは、一遍の小説「二十四の瞳」。小豆島を舞台にした分校の女教師とその幼い生徒たちのお話で、作者は壺井 栄という明治32年生まれの女性。 昭和27年に発表後、さらに広く知れわたったきっかけは映画化されたこと。 現在、この島の名所として、当時撮影された校舎に、記録写真や機材が保存されている。 この小説は、書かれた当時から20年ほどさかのぼった頃の貧しい島の話だとして、始まる。 昭和の初期のある春の朝、新学期になり新任教師が島の分校にくることになっていて、子どもたちも興味深々でいた。 そんな島の小道のむこうから、当時の島では滅多に見られない自転車を漕いで、若い女性がくる。おはよぉと声たからかに子どもたちを追い越しすぎて分校で停まる。 それが、小石センセイとあだ名される、大石先生だ。 そしてその20年のあとには、その頃の教え子の子どもたちから、泣きみそ先生というあだ名をいただくのだ。 その間の20年は、わが国の戦争の時代だ。 国策として周辺隣国へ侵攻して行った時代、いわゆる軍国時代。 そうした時代の流れに振り回される国内の市民、片隅で懸命に生きるけなげな小市民を戦場へと駆り立てる教育を良しとした時代なのだ。 そうしたなかで、教え子たちもまた、軍国主義に囚われないではおらず、いやそう教え諭すのが教師の務めとされる時代なのだ。もしもそこに疑問などが湧いてきたら教壇になど立つべきではない。良からぬ先生、いわゆる非国民とされる。 けれど女学校卒の大石先生にとっての新任の地で、純粋な子どもたち12名の瞳を見つめたとき…… というその後20年間の生徒とのエピソードがときにユーモラスに、しかし全体を通しては悲しい戦況の渦に飲まれ翻弄される子どもたちと先生自身の家族の、必死な生きる姿が描かれるのである。 映画化は何度かあったようだが、最初は昭和29年。松竹で木下惠介監督が高峰秀子を主演大石先生に。 共演は、田村高廣、笠智衆、浦辺粂子、清川虹子、浪花千栄子、月丘夢路など。後に知られるそうそうたるメンバーが島民を熱演。 ほぼ小説をそのまま辿っているこの映画のほかにも、その後もドラマ化は数度にわたり、先年は、大石先生を田中裕子が演じたものも公開されているようだ。 また、今年2013年の夏には、テレビ朝日がドラマ化し放映予定という。大石先生に、げげげの女房の松下奈緒とか。(8月4日 日曜日 21時〜23時10分:テレビ朝日系24局ネット ) 憲法改正、国軍化、戦争のできる国への気運高まる昨今のわが国で、いつも泣きを見る下々のわたしたちの心にとどめておくべき墓標とでもいえそうな小説、「二十四の瞳」の読書と映画鑑賞の記でした。 |
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