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夢舟亭
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<この文章は商業的な意図をもって書かれたものではありません>

夢舟亭 エッセイ     2012年11月08日


   米映画「ドライビング・ミス・デイジー」



 アメリカにはお馴染みのアカデミー賞という、過去1年間の素晴らしい映画作品へ贈られる賞がある。その賞は俳優の演技はもとより、撮影や録音あるいは衣装や化粧といった裏方の技など、二十数種部門にわたる。
 その中で最高の栄誉とされるのが、作品賞だ。

 映画作品を生み出す関係者それぞれが、持ちうる知恵経験ほか才能を結集された1本であってみれば、二十数種の部門賞の観点から視て、それぞれに見るべき価値は少なくなかろう。

 けれど、多くの観点から視て広く評価が高い、総合的な高得点の作品となれば、それはまさに本物。
 関係者は皆私欲や我田引水に偏らずに、後世に残しうる名作を選ぶという真摯な思いで票を投じるのだという。
 そういう審査結果となった作品が、最優秀作品であり、最優秀作品賞の栄冠に輝くということ。

 最優秀作品賞の映画というものは、とにかく、当年の最高の作品というわけだ。

 さて、アメリカ映画関係者が「最高だ」と選んだ映画と聞くと、どういうイメージをもたれるだろうか?

 何といってもあのアメリカはハリウッドが生んだとなれば、カネに物言わせ、有名どころの俳優を・・と思うのも無理からぬわけだが。

 さて、この「ドライビング・ミス・デイジー」という映画は、1987年度に、最優秀作品賞と、主演女優賞、脚色賞、メイクアップ賞を得た。(候補としてはほかに5部門にもあがった)
 というものの、(主な)出演者はといえば、なんと3人、というじつに小じんまりとした作品だ。

 さらにいえば、この作品は映画のために苦労して創られたストーリーではない。つまり元になる小説が先に存在していた。
 そこを狙った低費用映画という路線ではもちろんないのだろうが、「最高!」とアメリカで推された映画というには、いや最高だけあってと言うべきか、派手なアクションもカーチェイスも爆炎もCGも無い。もっといえば「Fuck」も「Bitch」も「Shit」も叫ばれない。そう、地味であり、生真面目なのだ。

 そんな地味で生真面目な映画が描くのは・・・人の老い。

 題名にある、デイジーさんは、かなりお歳を召したお婆さんだ。
 気丈夫なこのユダヤ系の独り暮らし(とはいえ通いの賄い婦を雇っている)老女は、今朝も買い物に出向こうと、マイカーのハンドルを握った。
 1950年代だろうか、ギヤやクラッチ式のそのクルマは、彼女のアクセルでバックへ走った。オートマチックの現代でも高齢者がよくやる操作ミスなのだ。

 幸いにも、大事には至らなかった。とはいえ近くに住んでいる気のいい一人息子夫婦に即連絡が入ったのは当然のこと。
 亡父と興し成功した会社を継ぎ経営者となっている中年男である息子は、この一件で、もうクルマの運転はやめなさい。と、老母に、新しくクルマを買い換えひとりの黒人運転手をつけてやる。

 今でこそ経営者の家庭という裕福さに恵まれているものの、元は慎ましい生い立ちから今に至る小学校の教師だった彼女は、運転手(ドライヴァー)付きのクルマにふんぞり返るようにして、買い物になど出歩けるかと、クルマも運転手も拒否しつづける。

 とはいえ、社長(息子)に雇われた運転手としては、はいそうですかと、その職を辞すわけにはゆかない。
 この運転手役こそは、今ではアメリカ映画ファンで知らぬ者とてない、あのモーガンフリーマン。彼の出世作こそがこのデイジー夫人の運転手役なのであーる。

 後に名をあげるだけの名演技を、この地味な映画でとくと鑑賞いただきたい。それほどに「はい。奥さま」は素晴らしい。
 おそらくは彼の当時の実年齢よりはるかに老け役なはずだ。が、これより後につづくデイジー老夫人とのやり取りが、じつに良いのだ。味わいがあるというか、深いというべきか・・・

 ここまで来れば、察しの早いかたは、この老夫人の老いと運転手である黒人の関係の深まりが、ストーリーの柱であることに気づかれましょう。
 そのことにより、先に述べたごとく、出演者が息子を交えても3名だということが分かろうというもの。

 それでいて面白いのです。
 この場合の「面白い」とは、痛快や豪快、あるいは笑い転げる、という類のものではなく。
 うむむ・・・と、ン十年もの長きにわたり、それなにり生きてきた大人な人生経験を蓄積している観る者の脳髄を、チクリと刺激してくれることの面白さ。と、いえば理解されましょうか。

 さらにかの国には、2012年の今現代においても無とはいえない「人種問題」が加わる。1940〜60年当時の、そうした社会背景(当作品の設定はジョージア州アトランタ)が描かれるわけですから。

 さて、ユダヤ系のこのデイジー夫人は、そのアメリカで、無学文盲の老黒人運転の後部シートで、この先どういう老いかたをして行くのか。

 この作品は元々がステージで演ずるように出来ていたこともあり、わがニホンでも名優 奈良岡朋子デイジー夫人と、仲代達矢運転手という二人芝居が演じられ、これも有名になったことはよく知られているわけです。

 たしか顔を黒く染めた仲代が「はい。奥さま」と、クルマのドアを開閉し、奈良岡老夫人をうながす姿があったような。
 映画はもちろんでしたがそれにも増して、隠しようも誤魔化しようもない演技派の実力が試されるたった二人出ずっぱりのステージ。
 NHK-ETV(教育)で数年前放映してくれて、日米「ドライビング・ミス・デイジー」を楽しんだものでした。



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