エッセイ 文芸工房 紅い靴
2007年10月13日
秋晴れにひびく
週末、秋晴の日曜日。
爆発するような小中高生の、若いマーチングバンド演奏を楽しんだ。
拍手で手がしびれるほどに。
マーチングバンド演奏は、アメリカでのオリンピック開会式で知られ、一躍有名になった。
今や、大きなスポーツ大会やイベントで見ることが多い。
踊りながら行進しながらの、華やかなブラスバンド演奏。
見て綺麗で、聴いて爽快なのだ。
じつはあの演奏は、会場を盛り上げるだけのものではない。
優劣を競う競技のひとつだと最近知った。
スポーツ競技の体育館内大フロアで、満員の客席スタンドに囲まれて行う。
音楽ホール演奏ではないところがスポーツ競技。
しからば観戦なのか、鑑賞なのかはともかく。
観ていると、同じ楽器を使っていてもキレの良いリズムの弾みに、きびきびとした動きのめりはりに、チーム差がでる。
全参加チームが拍手に向かえられた入場行進によって出場チームが整列。
例にたがわず大会来賓のおことばが、館内に響いては消えてゆく。
全チームが一旦退場。
競技開始。
チームごとの演技にはいる。
それぞれに趣向凝らした見栄えを競うコシチュームが揃うと、小中学生とはいえまばゆい。
欧米古風なミリタリー調衣装。
つばの大きな騎士帽子に白羽根がゆれる騎士姿などなど。
お揃いの出で立ちでフロアに整列する。
もちろん手に手に金銀にきらめく管楽器。
トランペットやトロンボーン、クラリネットを抱えて、静止。
ここで学校紹介アナウンス。
チーム名や学校名。所在地、簡単な大会成績履歴などが。
この日この時の発表に向けて、うだる夏の日の練習行進の汗結晶を胸に秘めた数十名。
その隊列を見下ろす指揮台の、教師。
それらに、ぴりぴりとした緊張がはりつめたまま、しばし待つ。
では、○×小学校の演技です!
ワン、ツー、スリー!
小さいバンドの生徒らは、ベルトにくくりつけられた大小の太鼓に、振り上げたスティックの一撃を叩き下ろす。
パパーン。ドン、ドドンドン。
それに合わせて、マウスピースを口に付けて構えた子らは胸いっぱいの息を吹き込んで発音する。
ブヒャーッ。パパパーッ。
金管ブラス楽器特有の鋭い音が、束になって客席に飛んでくる。
ブラスの開口部を前方に向けたまま、身体をひねって。
右に左にと隊を保ち列を交差。
あるいは回転しながら。
演奏行進する様は見事。
皆姿勢を正して真っ直ぐに伸ばした身体が美しい。
乱れず隊を組む。そして自慢の演奏。
ドドン、バシャーン。
大太鼓とシンバル音が炸裂。
合わせて激しかった動きが、止む。
全員両足をぴしっと揃えて立つ。
一曲目の終りだ。
イエー!
万雷の拍手が広い会場に渦巻く。
自分の顔より大きな真鍮の円盤シンバルを左右に持つ子は、行進しながら目の前で激しく叩き合わせ。
上気した顔には挑むような眼がひかる。
声援を浴びるどの子の口も、きっと結ばれている。
緊張の表情だ。
息をひそめて、はるか前方の指揮台の教師の、次の動きを待つ。
この真剣な幼い眼光を目にして、こちら大勢の大人がたじろいでしまう。
日頃の生活の慌ただしさと、商業宣伝がほとんどの喧騒のなかで。
今、望みもしないのに絡みつく雑多な情報どもを忘れ。
目の前の子どもたちの緊張感と、見事な演奏の小気味よさに、清々しい興奮をおぼえる。
音楽といえば、押し掛けメディア小窓の電影の、動く絵が見せる作為的な冗談と滑稽さに馴れたこの目に。
目の前の掛け値なしの真剣さや生真面目さが、眩しい。
こうして思うのは、テレビに生真面目真剣な大人の表情を見ることが少ない。
茶化して笑いをとっては、しばし気休めの時間を捨てている。
それが楽しき大人世界とは、げに心貧しきものである。
日常それへつき合い、口調をあわせ茶を濁し、冗談を交わすのも今や大人の社交なのである。
であってみれば、今にち、子どもたちの学業の場でも見せていただかなくては、清々しい感動にお目にかかれないのかもしれない。
と感じてこの演奏鑑賞に毎年期待している。
その期待に違わず、今年も爽快な息吹を、目前で、原寸実空間に、観て聴くことができた。
ブラボー!
2曲目−−
ワン、ツー、ワンツースリーフォー!
パパァーパッ。パパァーパッ。タララーラリララーラッ。
ジョン・ウェリアムスのスターウォーズはブラスバンドに人気のある曲の様だ。
ほかにもファリアの火祭りあり。モーツアルトのトルコ行進曲などのアラカルト編曲あり。内外民謡から荒城の月にロンドンデリーあり、小学唱歌にミュージカル曲。
さらに小学生たちはポップスだってジャズだって、歌謡曲だって行進曲だって演奏する。
それも見事に動き回ってやってのける。
高校生ともなると、さすがに吹き出す音の迫力は一層の聴き応えで、力量を感じる。
チューバなど肩に載せる大きな楽器担当の子にも重くて気の毒な思いを感じなくてすむ。
小学から中学生に進むと、芸術的なこうしたものを男子生徒はやらなくなる傾向が強い。
わが家でもピアノは息子全員が中学生までで辞めてしまった。
どうしても音楽は友達同士では女々しいと感じるらしい。
私の説得をもってもその思いを変えられなかった。
そんななか、高校になると習わされていた、という立場から自らの意志で選ぶ場合もある。
後のち続ける入り口がこの辺りで、わが家ではポップスなど自ら選曲して弾いたのは兄弟のうち二人。
芸事にかぎらず、習い事は基本を身につけてただ一心無心に続けるという、きわめて効率のわるいことでしか覚える方法は無い様だ。
だが、これが難しい。
続けられるかどうかが上手くなれるかどうかの、能力差だ。
こうしたチーム演奏ならば、仲間が欠けると全体のバランスに影響する問題だろう。
団員クラブ員の多いところもあれば、少なく困るという高校や社会人チームもあるという。
またアナウンスを聞いて知ったのだが、同じ地域名で幼稚園、小学校、中学校、そして社会人と全クラス参加のところがあった。
これは地域に一粒のマーチングの種を撒いた情熱のひとが居たことが想像できる。
この小学チームは県の金賞を得た突出した演技である。
数名とはいえ社会人チームはそうした学校の卒業生有志である。
ひとの心に種を撒いて与えて生き方にまで影響を与え、こういうかたちで教え伝えている。何とも頭が下がる。そして羨ましい。
育ち盛り小学生チームの演技は、体躯の差により歩幅に乱れがでる。
可哀相だがここがまた見どころとなる。
動くに精一杯で音も途切れがち。
旗やバトンを落っことして笑われることもある。
そんなアクシデントにおいて、上手いチーム真剣なグループは誰も演奏を投げたりしない。
最後まで気力で持ちこたえて、終える。
そう教え込まれ鍛えられているといえばそれまでだが、ここに少なからずチーム差指導力の違いが見える。
指揮する指導者の表情にも曲やコシチュームの好みにも、そのチームの性格の多くが投影される気がするから興味深い。
出番前の野外練習の様子を見ると、上手なチームの教師は性差や老若に関係なく、明るくバランス良く生徒に向き合っている。
絶えず演奏完成の執着心を示し訴え続けている様子が見てとれる。
発表直前だけあって練習はどれも皆厳しい。
マーチングバンドであるからには、目立つ華やかな揃いの服装は見た目に良い。
観るこちらまでが浮きうきしてくる。
でもそれは競技の本筋ではなく評価への寄与率は必ずしも高くないのだという。
実力を表現するに適した曲想とコシチュームが能力身の丈かどうか。
演奏が装飾をフルに活かせたかどうかがものをいう。
流行とかナウいなどというものを次々に追いかけて、外装で関心を先取りしても肝心な技量が無ければ仕方なし。
演技が進むほどに衣装が燦然と輝くチーム。
逆にむなしくあせて見えるチーム。
悪意で見ようとしているのではないのに、見えてしまう。
芸事の恐いところだ。
最初の号令一下。
パパパーン、ブヒャーッと発する一音に、チームの気迫も力量もがすでに現れてしまう。
演じる身動きに。曲を終えた礼に。
退場で見えなくなるまでの緊張の維持に。
子どもたちのきびきびした動きから伝わってくる快さに、大人のこちらが恥ずかしくなる。
すれ違って出会う、汗した幼い眼差しについ身が引き締まるのを感じながら、帰途についた。
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