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夢舟亭
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<この文章は商業的な意図をもって書かれたものではありません>

紅い靴創作館  エッセイ   2014年 1月 11日


   映画 リンカーン&アメイジンググレイス




 現代に生きるわたしも奴隷制などには反対。問題外の大反対です。
 開口一番にこう述べるまでもなく、先日観た「リンカーン」(アメリカ映画)と「アメイジング・グレイス」(イギリス映画)のふたつが、共に奴隷解放のために尽力奔走した男の話であることが、映画好きでなくとも、題名で分かるかもしれない。

 先に、『現代に生きるわたしも・・』と述べたが、歴史にのこる過去の偉業について話し交わすとき、この点はとても意味があると思うのです。

 奴隷制、というおなじ人間−−といっても外見上の違いはあるが、そうした異なる様相容ぼう外観つまり姿形により区別差別し、獣というか家畜のごとき扱いをする。
 そんな時代が人類歴史に「あった」ということ。それもかなり昔、ではなく。

 家畜のごとき扱いというと、牛馬のごとき肉体労働はもちろん。衣食住のすべてにおいて人間的な扱い無しの、ただ働き。となればもちろん労働に対する賃金などゼロ。
 定年、というなら死すときがそれ。老後も無いなら年金など夢のまた夢。

 殺生与奪の勝手自由が、飼い主? に認められていた。主の許可無くばひとり歩きなどできようはずもなし。
 家畜となれば当然生まれた子どもらの売買も主の自由。一度買われてしまったら、飼われた彼らに家族の絆など存在しようない。主同士の売買成立の一言で、現代でいうなら家畜やペットのように生涯の離別となる。

 一生、いや家族家系この先延々と、家畜やペットなみの扱いを受ける生活というが、実態はあくまで人間そのものなのだから困る。
 人間脳が成長発達活動すれば、喜怒哀楽を意識自覚して言葉も覚えるのはいうまでもない。だから苦しい。
 いや飼い主側から見ても「知恵が付く」これが、悩みのタネとなろう。

 膝にのってごろごろにゃおんと甘えていた猫や、指示の声ひとつで立ちも座りもしていた犬が、身の不自由を嘆き、自由開放を望みだしたりしたら……

 それより牛馬が、耕うん機もトラクターも自動車も無いなかで、荷馬車が重い、畑土が硬いなどとゴネ出したら……

 けして楽ではない生活の農家が借金して買った農耕馬が、運悪く病弱で、熱が出た、持病が出たと寝込んでばかりいたら……

 せっかくのタネ牛がメスをより好みしてタネ付けかなわず。何とかコトを済ませば、孕んだメスは腹の据わりが悪いか流れてしまう。どうにか生まれれば、高値がつかないどころか元値にもとどかない……

 これらすべてが、人間が人間を扱う話だから話は複雑。
 それが奴隷制が当たり前だった国の時代の社会の実態であり、事実だった。


 祖父母の時代からずっとそういう社会であり、物心ついて以来の生活環境でそれが当たり前であり、それで何も不自然さ不自由を感じるものではなかった。
 今、そう聞いてみたところで、その当時の社会の人たちに驚き軽蔑するわけには行かない。

 たとえば、現代車社会において。行く車と来る車が、おなじ一本道を交差する。それは車が走りだして以来当たり前に続いてきたこと。だから当然だがときには衝突事故も起きれば、搭乗者同士の死傷も、ある。

 そういう、人の動作や注意力には限界があることで起きる確率の高い危険に、あるときある人物が気づいたとして。
 さて、それを同時代の多くの人が、そうだその通りだ何とかしよう、というだろうか。
 何か行動を起こして車社会を替えようと賛同したり、立ち上がったりするだろうか。


「奴隷制」に話を戻せば。広い大陸の地域のほとんどの家で、大小多少の別はあっても、奴隷という労働力を飼っていた。それがあっての日常、社会生活であった。

 あるときその非人間性にたまたま気づいた者が飼う側のなかに居たら……
 それがいったい、飼うことで今の生活を形成維持している誰のためになるのか? と思って不思議ではないのではないか。
 だから「何を馬鹿なことを言っているのだ」となろう。


 わたしは、まずこうした論の大波にぶつかるだろうと想像するのだが、どうだろう。
 それは人道的に許されるべきではないのだ、人の歴史にあってはならない恥部だ、という主張など、どれほど理解されたのだろうか、ということだ。

 当時、そうした非人道的な奴隷制なるものは「即廃止」すべきだ、「脱奴隷」などと真顔で口にしたら、狂人扱いされただろうに、と思うのだ。

 たとえ宗教的な人間愛などという妄想を備えた人であっても、当時この訴えにどれほど意味を見出しただろうか。
 せいぜいが、人類のこの先未来では無くすべきかもしれない。だが、今即ゼロ。などということは、ただ社会を混乱に陥れるだけであり、きわめて無責任この上ない、という理解ぶりが関の山だったのではなかろうか。
 しょせんは人間あっての神宗教であってみれば、神さまもまた奴隷制の町では、賽銭箱に不都合な者に祝福などしやしまい。

 となれば、きわめて不利な「狂人」のたわけた戯言(ざれごと)は、嘲笑の渦にあっけなく飲まれて消え去ったか…………否!


「リンカーン」、「アメイジング・グレイス」米英のこのふたつの映画に、そう唱え社会を大いに混乱させ流血戦いまで。しかし、けっきょく「奴隷解放」を成し遂げた「無責任男?」の苦労と信念が描かれている。




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