エッセイ 文芸工房 紅い靴
2007年03月24日
はっくしょんな春
はーっくしゅ〜ン。ぐしゅぐしゅ。
毎年この季節には、くしゃみと垂れる鼻汁で悩む。
これを「春の鼻風邪」などという人もいた。
だが現代では「アレルギー性鼻炎」という立派なカタカナ病名が付いている。
いまでは知らない人がないほどこの症状に苦しむ人はおおい。
くしゃみと鼻水がとまらず、目が無性に痒く涙がでる。喉も奥がむず痒い。
この病原は杉の花粉だという。
通称「花粉症」ともいわれるゆえんがこれだ。
この季節に発芽する花粉を人体が拒否する。それを排除する活動らしいのだ。
体内に入り込む花粉を懸命に排除しようと、くしゃみで飛ばし、鼻水や涙で流しだす。
わが体の懸命な拒否の姿勢なのだ。
そう、かくいう私もアレルギー反応をしめす身体をもっているのである。
今年もまた、くしゃみの連発から春が始まった。
はっくしょん。ぐしゅぐしゅと、くしゃみに次いで鼻水も垂れる。
鼻の両穴は昼夜問わずつまる。
花粉の外気を通さない強行さは、思えばなんとも健気(けなげ)ではないか。
酷い鼻づまりで困るのは、食物の飲み込みと呼吸をいっしょにできないことだ。
就寝時には窒息しそうになる。
夢中のうちに口で呼吸していると唇も喉もからからに乾燥して痛い。つい目ざめてしまう。
鼻のつまりだけでも辛いのに、さらに眼にも被害がおよび、痒い。
掻きはじめたら最後、止められない止まらない。目玉も周りも充血してしまう。
まだ有るのだ。
喉の奥と耳の奥もまた、むず痒くなる。
耳がむず痒いのは何かいい報せ、つまり吉兆などといわれる。
だが私のこの季節のそれはそのこととはまったくちがう。
そんなわけでわがアレルギー反応の症状は、春先の杉の花粉に付き合ったあと、ブタ草の花粉に反応して、夏に休戦。秋口にまた稲穂開花のころその花粉で再発する。
デリケートとか過敏といえば聞こえがよいが、本人はほぼ半年の間アレルギー性鼻炎に悩まされているのだから、た、じゅ、げで、くれ〜〜!
以前、笑えない話があった。
ある知人の家の葬儀に出席したときのこと。
亡くなられた女性に私は会ったことがないのだ。
が、訪れた順だといわれ、かなり前列にすわったのだ。
長い読経に最前列ご家族席。
しくしくと目頭をおさえている。
そうした参列席にしたがってうつむいていたら、鼻炎症状がはじまった。
うつむき姿勢が鼻水を誘って垂れてとまらない。
一生懸命それをハンカチで拭ったのだが・・。
家族の方に誤解されないかと気遣うほど、鼻をすすりハンカチを鼻や目に押しあてる他人の私をご想像ねがいたい。
それにしても人体のからくりは不思議である。
この不快な症状が、一瞬さっと消えるときがある。
テニスなど動きの激しいスポーツに没頭している間や、ドキッと心身に大きな緊張が走った瞬間。
そういうとき、ふと気づくと鼻穴が貫通していたりする。呼吸が快調なのだ。
もっともたいがいはすぐ閉門してしまうのだが。
うらめしいその鼻穴を鏡で見たことがある。
鼻孔道奥の喉におりてゆく辺りの周囲が腫れて、肉が張り出している。
腫れた肉団子が穴をふさいでいるのだった。
洟をいくらかんでも通りゃしないわけである。
それにしても私の身体は花粉がよほど嫌いらしい。
いっさいの花粉混じり空気が通ることまかり成らぬ、と私本体自身の願いを無視して、勝手な自主行動を起こし鼻孔を閉じてしまうのだ。
そこで何か良策はないものかと思案したことがある。
おもえばスイミング時はかならず鼻穴が通る。
浸る水に花粉が流されるのだろうか。
そこで湯船で鼻から水を無理にも吸い込んで口に吐いて洗った。
これが鼻から頭の芯までキーンと痛みが走って、いや苦しいのなんの。
同類の苦しみ人はこの方法で食塩水をつかったという。
鼻内部が炎症をおこしてかえって腫れないだろうかと思い、私はやれなかった。
とはいえ鼻の通りがよくなるなら辛子だってワサビだって付けかねないほど、苦痛の酷いときがある。古今東西、病苦の人は必死なのだ。
すでに芥川龍之介の作「鼻」状態だ。
そうした苦しまぎれの話しでもないのだろうが、鼻炎の解消法として「腹の虫」が効果的だと数年前に聞こえてきた。
腹の虫!?
たまたま機嫌が悪く怒り心頭で収まらずという虫の居所の、あの虫ではない。
サナダムシなどの人体内に寄生する虫である。
ぐにゃぐにゃ、ふにゃふにゃひも状の長〜い寄生虫のことだ。
昭和のむかし。寄生虫駆除のクスリを検便の末に飲ました時代がわが国の近歴史にあった。それほどにニホンは非衛生な環境であり寄生虫は多かった。
なにがし菌、というだけでその働き役割もきかず寒気身震いしてしまう現代人には、想像もできないことだろう。
どこのどんな人が坐るか分からない公衆トイレ便座には肌を触れたくない、という若者も多い今、衛生管理、除菌殺菌は病的なまでにメチャの超、神経質だ。
そういう消毒清潔が常識になったのに、なぜか、あちこちに「ぐちゅぐちゅ」とアレルギー症状の洟垂れ人間が溢れてきた。
そして立派にも季節病のトップの座に輝いているのであるとは不思議でないか。
別な言い方をすれば、目にも見えない木々の微粉に悲鳴をあげるまでに文明国の人間は弱くなったということか。
そんな無菌の極みに至ってなんと、腹に虫を飼えば治る、と非衛生なうわさまで流れた。
まさか人体内に長細いあのテの生物が、ぐにゃぐにゃ、ひょろひょろとからまり、うごめいている様子など想像できるはずもないではないか。
ひぇ〜と鳥肌で卒倒する人々が見えそうだ。
私は寄生虫の効用の詳細説明はできないが、どうやら長細い「お虫様方」が分泌するなんらかの物質により、アレルギー症状が抑えられるというのだ。ホンマかいな。
もしそれが効くと確定されたとしても・・一粒の卵からやがてふ化して増えた寄生虫が、人体内そちこちを、身をくねらせて我が物顔に闊歩する様は、我慢の域をはるかに超えているのであります。
しかしこのあえぐような呼吸の困難さに耐えるのもまた辛い。
そんなことをつぶやいたら家人が面白いことをいった。
虫だって自分たち種の保存のために家族子々孫々へ命を継いで必死なのではありませんか。と、したり顔。
好きこのんで不細工な細長身になったのではない、とまでいう。
おやおっしゃいますね。じゃぁあなたは体内にあの生物を飼うことができるの?
すると、さすがは私に鍛えられた家人の名弁。
とうに飼い慣らしましたよとつづける。
ええっ!? 虫を?
母体子宮に忍び込んだ精子と卵子。あの結合からはじまる人間の細胞増殖。考えようでは他生物とも見れるでしょう、と。
知らぬ間に寄生するものも怪奇奇異ではありましょうけど、よくよく考えれば生命体がわが体内に宿り細胞を分裂させながら増殖して膨らみ生きながらえる。
やがて確かな形になって、ついには腹中で動きだす。
これは見方を換えれば発狂するほどの異性物の恐怖といえないこともない、だと。
やがて母体が身動きもとれないほどぱんぱんに膨れかえる腹中の生命体。異なるその生物はほーらほらもぞもぞ動き、もう母体になど用はないといわんばかりに、外に出てくるのです。
女体母体というものは、こーんな恐ろしいことに、一度ならず耐えているのですと、言い切った家人。
さらには、生まれてきてからだって寄生生活する種も居るからけして油断できやしません。それから思えば、虫などなーんですか。蛇などは母腹を食い破って出てくるというじゃありませんんか、と。
しかし奥方。それはまた、別ではありますまいか・・はー、はー、はーっくしょん。ぐしゅ。
|