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夢舟亭
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エッセイ  文芸工房 紅い靴 2007年04月07日


     遊 び


 初春のちょっと見に晩秋のような殺風景な自然も、日々風に温かさを増してゆくと、やはり春めいてくる。
 野道をよく見れば、そこここで芽を膨らませ、日一日と葉も小花も開こうと、その数を増している。
 やがてふきのとうや水仙、たんぽぽが一斉に黄色や黄緑に埋まるだろう。

 もっともそれはこの地の話であって、関東ではすでに桜が咲き散ると聞く。
 そうした春の小道を、今年も真新しいランドセルを背負った一年生が通るはずだ。

 そういえば今年からは学校が週に二日の土日曜が休みになるとか。
 勤めの大人の多くは以前より週休二日。
 なのに学校がそうでなかったというのも、思えば遅かった気もする。

 悪童どもの面倒見に、先生はさぞ手を焼きお疲れのことだろう。
 育ち盛りの頃の、わが子のいたずら顔を思い出すと、頭が下がる。

 今年から子どもたちは、子ども本来の自由の翼を思いっきり拡げて個々人が豊かな時間を過ごせるだろう。
 と、思いきや。

 教育に熱心なかたからは、勉強時間の減少による学力低下や、遊び場も無い子どもたちに目が届かず心配、という声が出ているという。

 なかには、どうせ遊ぶ暇が増えるのだから、徹底的にボランティアにでも追い込め、という脅迫じみた言葉まで聞かれる。

 元来、放っておかれることが遊びであろうに。
 それが嬉しかった私などには、週休二日の目的が何なのか見えなくなってしまう。

 たしかに束縛も強制も全く無い教えはあり得ない。
 しかし子どもとは、遊ぶものである。
 遊びで育つのだ。
 育つことは、体が覚え込むことだろうと思う。

「野生性」を奪ってしまって、遊べなく去勢してしまうのはさけるべきだ。
 逞しさをほとんど持たない弱々しさを、優しさとか、素直さとして大人が喜ばずに。
 争いも、もめ事も、大いに味わい体得しながら子ども時代を過ごして欲しい。
 そういう遊びをスキップすると、一生遊べない人間が出来上がってしまう気がする。

 呑み交わしたとき、「趣味は何ですかと問われることが一番辛い」と真顔になった先輩が居たっけ。
 大人になっても自分を遊ばせることができず、他人と仕事を離れたやりとりが一番疲れる、というのだった。
 どういう姿勢をとってよいか分からないのだ、と。

 これでは生きている意味の半分も無い。
 何とももったいなく気の毒な気がした。

 だからただ本人の意志に任せて戯れ遊ぶがままに、大人が一切介入しない時間が、子どもには必要なのだとつくづく思った。

 もっとも、いかに教育ママやパパが抑圧しようが、一向に気にかけずに舌をぺろっと出して遊び抜く子どもはいつの時代も居るだろう。
 子どものあるがままの遊ぶ姿とはそれなのだと思う。

 大人が準備や整備してくれた遊び場などの、ちまちまと出来合い遊びにはあまり生気が感じられない。
 ましてやカネ儲けにカモられた遊び遊技などは問題外だ。

 風のなかを、駆け抜け行き来しては日が暮れるまで。
 衣類を汚して存分に遊んでこそ。
 心身も健全に育とうというもの。


 そういえば、昨今は東京の秋葉原電気街で、電子部品の中古ジャンクの山を見ないと聞く。
 昭和のころにあの辺りを通ると、人混み列の先でつまずきそうになるほどの数の子どもが居た。
 店先に並べられた用途も出所もあやしい中古電子部品の類に、潮干狩りの海岸の様に覆い被さり、さも欲しそうに取っては置いて、置いては別な物を取り上げ、ひねり回していた。

 小一時間もそうして選った後。
 こんどは店主と値段下げの交渉を、しつこく繰り返す。
 ついに店主が分かったよと折れて、OKを出すと笑顔がはじける。
 ポケットに小さい手を突っ込んで小銭入れを出して、惜しそうにつまんで差し出す硬貨。
 買った部品を後生大事に、さも得意げに。ついに探し出したぞ、とばかりに抱えて帰る。
 その姿は見ていても嬉しかった。

 何を作るの? と尋ねたくなったものだ。
 もっともそういう子どもは、私などが聞いて分かる様な答えは返さない。
 アンペアとかボルトとかワットとかヘルツを、遊びの用語として使いまくるのだから、とてもかなわない。

 現に大人顔負けの、カタログデーターが頭に収まったコシャまくれた小僧が「おじさんその電圧じゃ足りないぜ、こちらのにしときなよ」と、毎日入り浸って店番をするのも居たのだった。
 そういう子が長じてニホンの電子立国の今日を築いたのかもしれない。

 昔模型店をやっていたという人と知り合ったことがある。
 模型工作のセットやキット。それらのパーツを商っていたのだそうだ。
 一時はかなり客が多かったらしい。
 その爺さん自身が模型好きで、無線操縦つまりラジコンの話をすると異常に口が回る。

 ラジコンは子どもから大人までの遊びで、常にランキング上位にあった。
 模型用エンジン付き船やボート。
 飛行機やヘリコプターを組み上げては遠くから上下左右と自在に走行飛行の操縦する楽しみだ。
 すでに大人の遊びだろう。
 電池でモーターを回転させるクルマにも、ラジコンものは多かった。

 だが最近は模型店ではなく、おもちゃ店やデパートで出来合いの商品が扱われ、客はそちらへ行ってしまうらしい。

 昔私らは、竹を細く削った枠に薄紙を貼ったゴム動力の飛行機を作って楽しんだ。
 青い空に向けて飛ばしあった記憶がある。
 今自作の工夫や組み立て過程を楽しむ時代ではないのだという。
 即時の結果を求め、即物を失敗なく得ることが大切だとされる。

 一方、鉄道模型も良く売れたと言う。
 箱庭、レイアウト。
 といってもなかなか理解して貰えない時代だ。
 今でジオラマなどという。

 畳1,2枚分の広さに、山や川、海や湖、町や村風景のミニチュアを立体的に手作りする。
 そこに数ミリ幅レールの鉄道模型を敷設、セットする。当然トンネルも陸橋も駅も作る。
 ミニチアの列車を、電気を通して走らせて楽しむ。

 凝ってくるにつれて線路の配置レイアウトは複雑かつ精密になる。
 列車そのものも、世界の珍しい本物の写真を見つけだして精度良くスケールダウンして作り、色を工夫して塗る。こうなると子どもだけの楽しみではない。

 近年は時刻表を設定するパソコン制御がある。
 発着やポイントや夜間照明の切り替えが自動的に出来るという。
 それでも愛好家は減って、模型店が商売として成り立つのは難しいそうだ。


 昭和中頃に野外を駆けずり回る遊びといえば、やはりチャンバラごっこだろうか。
 エイー! そら斬った、きったぞ、と棒きれを刀として持ち。敵役の子に振り下ろすその声は、山野に響きわたったものだ。
 宮本武蔵、鞍馬天狗、赤胴鈴之助、白馬童子、矢車剣之助、中村錦之介、大友柳太郎など、当時の映画のヒーロー役になって斬り合う。
 大まじめにセリフまで真似るのだった。

 棒きれが刀とはいえ、ルールでは立派に身を守る正義の剣なのである。
 腹や背中を袈裟懸けに斬られた相手は、やられたあ、とか、うわぁと叫んで、倒れなければならない。
 再び生き返って闘うには、イチ、ニイ、サン・・と10まで数えることになっている。

 だがイチ、ニイ、サンからハチ、クウ、ジュウと数えを端折って起きあがる不埒な死者もいた。

 ずるいゾ! と指す。
 が、相手との年齢や力関係次第では、この不正をあばけないこともある。
 文句あるのか?
 威圧的な応答が、とくに年上になどある。

 ここで押し切られれば皆の前で訴え出ただけに恥をかく。
 自分の地位も下落し見下される。
 明日からは小間使い下部の家来役ばかりになるかもしれないのだ。
 遊びの雑用使い走りにもなろう。

 それだけでなく、法を曲げた特例が出来てしまう。
 だからこの場はしっかり主張して固持して、押さえなければならない。

 おお文句あるとも。10数えるのが決まりじゃないか。
 一言踏み出したら、もう後には退けない緊張のときだ。

 ここからは、ごっこ、の遊びではない。真剣勝負だ。
 孤立することも覚悟しなければならない。
 自分の勇気ひとつを試す瞬間なのだ。

 それでも今思えば、これはやはり、かけがいのない遊びだったのではなかっただろうか。
 老境の辺りに居る今の自分にまで続くいくつかのものが、あのような場で出来た気がする。

 そうした闘いに小さいオトコを賭けて相打ち。
 共に泣きをみた遠い日の友の顔がこのところ無性に懐かしい。


                  記:2002/04/02





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