・・・・
夢舟亭
・・・・

<この文章は商業的な意図をもって書かれたものではありません>


文芸工房 紅い靴 エッセイ     2010年12月01日



     頭


 庭で立木の手入れをしていた祖父に、ほんとにみーんな死んじゃうの、と孫の祐也(ゆうや)が訊いた。
 おう、ゆう君おはよう、と振りかえる。
 すると差しだす小さな手のひらに、クワガタをのせていた。
 祐也は、うん、と応えただけ。手のひらをよく見ると、昨日まで逃げられないようにと気遣っていたはずのクワガタは、一対の黒いぎざぎざ角がゆるやかな弧を描いたまま動かずただ仰に向けた茶黒い腹部を見せている。数本の細い足は内側に折り曲がったままだ。

 祐也は、もう片ほうの手を悼ましそうにクワガタの躯にかぶせてからそっと開いてまた見せた。
 祖父の言葉を待ちながら見あげる目は、焦点が定まらず困っていた。
 みんな死ぬなんてそんなこと、誰におしえられたんだい、と問う。
 クワガタがうごかないんだといったら、パパがしかたないさみーんな生きてるもんは死んじまうんだからと、そういって仕事に行ったという。おじいちゃんほんとなのと問いを繰りかえす。

 祖父である洋三(ようぞう)は、そういうことにも気持ちが向かうほどまで育ったのかと思い孫に向き合って、腰を下ろす。ゆう君はどう思うんだいと、落ちつかない瞳に目線を合わせた。
 そんなことないとおもうよ、だってママもパパもおじいちゃんもおばあちゃんだって、と祖父の顔に訴えはじめた。それへ頷いてやる洋三。
 クワガタは……虫だから死んだのかなぁちがう、そうでしょと問うのへ、そうかもしれんなぁと返す。そうだとも、ゆう君もこのお祖父ちゃんも、虫じゃないもんな、と。
 それへ、うん、と一声、頷くとしばらく沈黙して、でもぉとまた瞳が揺れた。
 ふくしまのおじいちゃんは死んじゃったよねと祖父を見つめる。
 そうだったね、と小さな頭をなでてやりながら、よく憶えていたねぇと微笑み、話を換えようとした。
 じゃぁおじいちゃんも死んじゃうのと、小さな人差し指が、洋三の鼻先にふれた。
 冗談じゃない、死んでたまりますかね、このお祖父ちゃんはね死んだりしませんと力を込めて立ちあがった。祐也は頼もしそうに見あげる。

 それよりもそのクワガタ、そうだなあの辺にお墓を掘って埋めてやりな、と敷地境のフェンス下を示してやる。と、おはかぁ、と訊きかえす。そうだよ穴を掘って埋めてやるんだよと教える。どれ掘ってやろうと先に歩きだす。クワガタをつちにうめちゃうのと問いながら着いてくる。
 そう死んだらお墓に埋めるのさ、ふくしまのお祖父ちゃんもお墓に入ったろうという。そこで深呼吸してから一段大きく、ううん、と否定した。ふくしまのおじいちゃんは燃やしちゃったんだよ、おじいちゃんは知らないのと不思議がるのだった。
 おうそうか、ゆう君よく憶えていたねぇ。火葬だったもんな、と振りかえって孫を見つめる。
 と、ゆうくんはママのおじいちゃんの葬式のこと、憶えているのさと真顔でいる。
 そうだったね、ママのパパは、人間だったから火葬にしたんだっけね。でもクワガタは人間じゃないから、そのまま埋めてやろうと諭す。
 と、なにいってるのさぁ、ふくしまのおじいちゃんは、パパじゃないでしょ、ママのおじいちゃんだよぉと正す。
 そうかゆう君はまだ知らないんだな。いいかい、ふくしまのお祖父ちゃんはね、ゆう君のママの、お父さんなのさ。だからママにとってはパパなんだ。分かるかい、とまた腰を下げて小さな両肩に皺手をそえた。
 わかんないよぉ、だってパパってのはぼくのパパでしょ、さっきおしごとに行ったじゃぁん、と可愛い唇をとがらす。

 おそらく目の前のこの小さな頭のなかでは、脳味噌がはじめての知識を整理しきれずに、あっちを突つきこっちをひっくり返しては目まぐるしいまでに、こんがらかっているのだろうと洋三には思えて、嬉しくなった。
 真っ白い脳の更地にこの先芥塵埃のような情報が飛び込んでは大人の脳になってゆくのだろうと、ちょっと可笑しくもあった。自然界の生物のおもしろくも不思議な一面がここにもあるのだなぁと……。





・・・・
夢舟亭
・・・・

・・・・
夢舟亭
・・・・



[ページ先頭へ]   [紅い靴のページへ]