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夢舟亭
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文芸工房 紅い靴 エッセイ     2003/01/17


     ブコウスキー


 過激な断言調で言い捨て、暴言、毒舌の類の本がある。
 読んでみて、痛快なものもあれば、なかには不快で胸くそがわるくなるものもある。

 上手に吐き捨てられたことばは、誰もその的にならない。
 快笑をさそって無限のかなたに消えて行く。

 だがなかには読み手に突き刺さって、その矢尻を抜くとなーんとも言えぬ悪臭を残すものもある。

 その違いは作者と読者との多様な相性によるのだと思う。
 良否の両極間を微妙に振れながら楽しまれているのかもしれない。
 同じページの印象も読み手によって、快笑か悪臭か違ってこよう。


 ブコウスキーという作家などは、読み手の好みによりかなり振れるのではないだろうか。
 もっともこれ以上もこれ以下も、わたしはこの種を選ぶほどに作家も作品も知りはしないのだが。
 たまたまわたしは面白く読んだというに過ぎない。


 そこで忘れないうちにブコウスキーっぽく真似てみれば−−

   いま、世界は愚かなおとこの手ににぎられている。
   おれよりも、おんなのあれを知っていそうもないやつの手にだ。
   そして世界の隅々の連中が戦争ジャーナリストを気取って、コメンテーターの口調をなぞって、居やがる。なにアナウンサーだって分かっちゃいないのだ。

   兵隊はどのくらいの数が要るか、武器はなにで、何日あればアラブのクニをやっつけるだろうとか。おっ死ぬのはどれほどだとか。
   ウソーつけ。
   てめえの女房の強さも知らないくせに、何が分かるものか。

   そういえば自分のサイフの中身も自由にならないやつらが、経済だとか景気だとか占っている。どの顔をみてもカネをもてあましているふうではない。

   おれはばかがきらいだ。
   だのにあたまの良い程度のばかでこの世はあふれかえっている。

   クソまじめな茶番劇はいい加減にして、みんなはやく帰ってヤってればいいんだ。
   それが世界平和のもとだ。
   おんなは、下手なやつを訴えればいい。
   下手で続かないで、あれが小さいおとこが、せっかくのおんなを不幸にするのだ。
   おんなが不幸なクニのばかなおとこが戦争をおっぱじめるんだ。


 あの作家殿は、いまでは故人である。
 本屋の棚をふらとながめていてたまたま目にとまった本だった。
 映画監督北野武が薦めていた帯を見て、ぱらぱらめくった。

「町でいちばんの美女」。
 美女と野獣は聞いたことがあるがと1ページ目を読む。
 数行で、かの女は町で一番きれいだったと言い切る。
 なんで一番だと分かったんだよ。こんな言い方ってプロにあるのかね。

 と思いつつ、そこはおとこ。
 町一番の女の話につい読み込む。
 なに簡単にその手にハマった。

 つべこべ堅いこと言うヤツはアホだ。
 即そう叩かれる雰囲気に笑う。
 ひとつ上で言い切っているところがいい。
 ああ、ここがこのひとの強さであり魅力なんだ。
 多分、北野暴力トーンとの共振点かなと感じる。

 読みすすめると、このひとのこの本はけっして計算ずくには見えない。
 ただ足の向いた人生行路の先々の出来事や思いを書いている気がする。
 欧州でも訳されて読まれるほどの人気作家らしい。
 だが生活は乱れているようなのだ。

 呑むし、賭けるし。米国社会ということもあろうが、女性関係ではとにかくよく買う。
 まるで立ちしょんべんでもするようだ。食事の回数より多いのではないか。

 語を隠さない。
 そのものをけろりと言う。それに加え、殴る。そして殴られる。
 失業のくり返しで、住みかも職も、延々と渡り歩く。
 それも作家文士様には似つかわしくない職業。日雇い、アルバイトの類だ。

 身体をだめにして入院しても逃げだしてしては、アルコールと女性器を追い求め、評価などする。
 ギャングやマフィアっけもない、好き者のよっぱらいおっさんだ。
 したがって綴られる出来事のどの話も、カッコ悪いし、ときに吐き気さえもよおす。
 なにせ死体とヤる話まであるのだから、型破りもいいとこだ。

 表現もごく自然に、売春宿、ファック、射精や交尾、と並び、ときに過激だ。
 15センチの体長になって、美人になぶられたとか、空想妄想のホラ話も多い。

 でも全体に匂うのは堕ちた裏側の生活だ。
 それでいて目が離せない。
 ようは面白いのだ。


 わがクニにかぎらず。フツウの表通りの我ら業績ノルマ達成型の、苦しそうでぜんぜん面白そうじゃない団塊とかベビーブーマー世代。
 優等生や秀才っぽく正しいだけの話や、小学生時代の成績自慢話などして真顔で聞き入ったり。毛玉ほどのゴミ知識にご丁寧に一目置いたりしている。
 お笑いだ。

 安全圏をいかに小賢しく生き抜くためにとうそぶくノウハウ集が山と積まれている。
 見れば人生訓や宗教じみた本にまで群がる。
 そんな時代が今年も続き、そういう中に生息してはのたうちまわって、あっぷあっぷと過ぎている。
 互いの生き様などは、たかだか見え透いている。
 それでいて本音はあかさない。
 頑張っても、努力しても、争いに勝ち抜いても。
 振り返ればたいした差もついていやしないのにだ。

 なぜうまくなる必要があるワケ。
 なぜ勝たなくちゃダメなの。
 立派って素晴らしいかなあ。
 と若者が首をひねろうものなら。
 直ちに、ものごとを理論立てては自慢を交えて反駁する。

 自分たちは良く知っているからと教えてやりたがり、良かったのはむかしで今は問題山積みだから困ったものだ。
 と、深刻に大人ぶっては効率良い方を、正しいと言ってのける。
 でも実際は、探しても追っかけても、理想にだって正義にだってたどり着けないことは百も承知なのだ。

 そういうなかで、暴言も毒舌も、言い放ってみたいし聞いてみたい。
 それは清涼飲料水のような、のど元一瞬の気休めにはなる。

 だがこの作家の書いたものは、それだけに終わらない一抹のむなしさがある。
 そこがただものではないということになろうか。


         読んだ本   新潮社:町でいちばんの美女
                作:チャールズ・ブコウスキー
                訳:青野 聡




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