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夢舟亭
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<この文章は商業的な意図をもって書かれたものではありません>


エッセイ   2006年11月02日


   <ブラス>
    (1)


    響け みんなの吹奏楽

 人生を愉快に楽しむ、というとユックリズム、スローライフ、心にゆとり、ゆるやかな気分でなどと言い交わすことになろうか。
 なかには、のーんびり行こうと、都会から田舎住まいを求めて行く話も聞く。

 じっさい日々すべてを、そういうふうにある種優雅に過ごせるかとなると、経済的にも時間的にも、なかなか難しいものだ。

 また、その一方。
 必ずしも経済的余裕はないけれども心のうえで、一心不乱に、無我夢中に、精魂傾けて取り組める対象を持っているなら、それで充分素晴らしいことだと言う人も多い。

 たしかにつまらないことに脳をすり減らすより、夢中人生はさぞ楽しいだろうと羨ましくなる。
 それこそが真の贅沢であり、生活レベルの高さだと私も常々思っている。
 だからそういう人を見ると大いに学ばなくてはならないとメモまでする。

 考えてみれば、今日困らないのに、明日の悩みがないのなら。
 なんでそんなに深刻ぶったり不満を並べる必要があるのかと言いたくなる御仁にもお目にかかったりする。

 そういう意味で、NHK-BS放送の(BS-2)「響け みんなの吹奏楽」という音楽番組は良い。
 だからつい気づいたこと思いあたったことをメモする手帳が埋まる。
 そしてこれはいつ見ても参る。
 いやとても嬉しくなるというべきだ。

 この番組は毎回地方に散在するアマチュアの吹奏楽団を、プロの指揮者や編曲者または演奏家が、訪問指導する様子を見せる。
 指導を受けたアマチュアたちが腕を磨いて、やったね! という晴れ舞台までを追うドキュメンタリーものだ。

 ほどほどにボロボロな状態の学校のクラブや、アマ市民バンド。
 それら団員のピコピコ、ブオブオの練習風景などから始まる。
 そこへ著名なあのアーティストなどが、やってるな、とばかりに笑顔で登場する。
 わが国のジャズクラリネット奏者といえば鈴木章治、藤家虹二が有名だが、それに並ぶとも劣らない北村英治も指導者として白髪で登場したものだ。

 指導開始。
 課題曲の楽譜を前にして、集う団員にそもそもこの曲はね・・と説明解説などに及ぶ。
 東欧の民謡のときなどもあった。
 ブラスの名曲もあれば、もちろんジャズの曲の場合も少なくない。
 シングシングシングもあって、高校生のドラマーの苦悩ぶりが印象に残った。

 学生はもちろん、家事や店手伝い、あるいは自営業や、営業マンや農協職員、保母さん、消防士とかなんとかかんとか。ありとあらゆる職場で、いまやブラスの響きに集う者あり。
 音楽演奏好き同士の若者に混じってのおっさんや、おばちゃんなど楽団員の私生活の練習風景をカメラが追う。

 映画「ブラス」(英)や、「ミュージック・オブ・ハート」(米)、あるいは「歓びを歌にのせて」(スェーデン)、または「スイング・ガールズ」(日)などの。ああした音楽演奏の素晴らしさのドラマに触発されて出来た番組だろうか。
 などと詮索もしたくなる。
 実際はどうなのだろう。

 田んぼの真ん中で練習する人。
 あるいは出張中の宿で指だけで練習する男。
 または自室でソロパートのためにCDを繰り返しくりかえし聴く女性。などなど・・。
 ときには担当楽器ごとに集まって、あるいは全員で、音あわせなどする。
 生活の支えである本業があれば、それは当然だが練習は深夜が多い。

 団長リーダーが厳しい声をあげることもある。さもあろう。
 一方では、上手く出来ずの悔しさに、一筋流すものあり。
 夜の練習室の明かりに涙も光る。

 さて次の指導日。
 それは演奏発表会の前夜だったりする。
 だからそこまでの苦労が勝負になるのだ。
 人前で演奏するとなればみんなの目つきは、さすがに真剣色に変わってくる。

 人間これなんですよねぇ。
 人はカネじゃないなんてことをよく言うが、ではカネで買えないものってなに?
 そういう問えにこそ、こういうときの真剣な眼差しのシーンを挙げたいものです。

 そしてそして発表会の当日。
 その時刻。
 町のホール客席は、家族や知り合いやそのほかの人でほぼ満員。
 一方楽屋では・・
 くー。たまりませんねぇ。いいですねぇ〜。
 映し出される真顔、緊張状態はサイコーの高まりです。

 私もこれ、好きなんです。
 ですから、ばくばく心臓の鼓動の響き、音楽ではないけれどステージ経験あります。

 仲間内で手を握り合って、ガンバロー! なーんて力づける。
 そしてステージに居並ぶ。

 で・・全員へ拍手が注がれる。
 音出しのそのとき。指揮者の手が振り下ろされる。

 最近の番組での演目は、ジャズの大御所エリントンの曲「スイングしなけりゃ意味無いね」。
 パーラッパパー、パーラッパッパー、シャラッタタ、タラッタラッタ、タラッタラッタ・・。
 乗りますねぇ。
 館内が手拍子で湧き上がります。

 各楽器ごとに前で、並んで右に左に吹き分ける。
 それへ、拍手!

 次が、パララー、ラリララリラララララーの「アランフェス協奏曲」、ロドリーゴのスペイン色のあの曲。
 練習苦労の結果。ソロ。トランペットがおごそかに響く。

 練習の成果あってか、場内はシーンと、聴き惚れる。
 スポットライトをあびて金色に輝く楽器を掲げるステージ上の誇らしいその奏者。
 うっとりとして聴き入る観客たち。
 そして万雷の拍手があり。
 それへ演奏でこたえる団員の合奏へと変わる。


 こういう音楽シーンをホールで耳に目にする子どもたち。
 音楽っていいなー、と思わないわけがありましょうか。
 おれも、何かやってみっかな・・となります。

 生きていることの素晴らしさ。
 その人生モデルとして身近な人が演奏するシーンにじかに接する。
 真剣さが感動や共感を与えずにはおかない。
 これが一番分かり易い。

 良い人生、豊かな時間。
 言葉でいかに説明しようと訴えようと、限界がある。
 大人自身が自分のために良い人生を夢中で愉しむ姿。それが大切なんだ。
 そう思うわけです。

 まわりに良い人生モデルがある子どもは幸せです。
 夢中への羨ましさを知ることで憧れて共感して活性化できる。
 ときにはその日見たことで熱を得て、人生までが変わったりする。

 ブラボー。ブラス!



  2005年07月23日
         (2)


     スイング リトル・チェリーズ!
 
 アメリカのアイオア州。クラリンダという町は年一度盛大なフェステバルがあるとか。
 わずか5000人ほどの人口のこの町は何で有名なのか?

 1950年代の白人系スイングジャズのバンドリーダーとして、多くの曲を世に遺したあのグレン・ミラーの生誕の地だそうなんです。
 そこでは今も毎年、グレン・ミラー・フェスティバルというジャズ祭が行われていて、世界から演奏者の参加もあって、にぎやかに行われるそうな。

 そこへ、ニホンは鹿児島県に紫原小学校という学校から、ジャズバンド(管のオーケストラ)が参加。
 その名は、リトル・チェリーズ!

 ひとあたりの解説を始めた司会者が、
 レディース・アンド・ジェントルマン! リトル・チェリーズ!
 と指し示す。

 すると、真っ白いシャツに赤いチェックのチョッキ。
 おそろいの小学生は黒髪色。
 皆が揃ったブラス3段のひな壇にぞろりと坐ったのです。

 キラリと光るブラス楽器は女子。
 男子がピアノ、ドラムス、ベースをひとなでしている。
 と、一見、NHKの元ドラマ演出家の和田勉氏をほがらかにしたような風貌の、指揮する先生がタキシード姿で現れて、一礼。

 超満員の、スイングなど耳タコほどに聴き慣れた地元ファンは、ほうほうと。
 まずはお手並み拝見とばかりにほほえむ。

 指揮の先生の腕ふりあがる。
 すると・・・、ムーンラート・セレナードが。
  やるじゃないの。
 まずは短くテーマとしての1フレーズ。
 この時点で拍手をとるも、ご愛敬です。

 さていよいよリトル・チェリーズ2000のコンサート1曲目は・・・茶色の小瓶。
 これはなかなかやるじゃないか。

 真珠の首飾り、となる。
 うーむ、これ小学生なの?
 と言いたくなるスイング感がいい。

 トロンボーンなどのソロも見事に、星に願いを、ときましたぞ。
 いやぁ参りましたね〜。

 手拍子そろえて、かけ声も可愛い、ヴォルガの舟うた。
 いいぞいいぞ!

 アメリカン・パトロールとくる。
 と、おいおい、この子たちはなんなでしょ!? うまい!

 セントルイス・ブルース、オパス−1と、なかなか曲想に沿った演奏が続きましたんですなあ。
 なんと、デューク・エリントン・ナンバーの、A列車で行こう、までやっちゃう。
 揃いのあの右に左に楽器の舳先を振るのまで。
 じつにご機嫌にのっている。

 ペンシル・バニア6−5000などは電話のベルまできちっと入れて。

 そしてお待ちかね、イン・ザ・ムードで締めた。

 クローズィングはムーンラート・セレナード。
 さすがの地元方々もここに及んでスタンディング・オーベーション。
 口笛がヒューヒューと。
 もう総立ちの観衆の拍手鳴りやまず。

 いやはや、なんとも見事にやってくれました、リトル・チェリーズ!

   演奏、見事ね。考えられないわ〜。
   私なんかもう泣けちゃって。
 
 以上は先日bs-iデジタル衛星放送を観ての記。
 
 参考まで
 
 

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