<この文章は商業的な意図をもって書かれたものではありません>
エッセイ
2005年10月22日
ビゼー「カルメン」
秋の夜の音楽鑑賞エッセイ。
ビゼーが1875年にフランスはパリで発表したという「カルメン」オペラから幕を切って落としたい。
ドラマの舞台はスペイン。闘牛場のある町。
言ってしまえば、恋。
若い三角四角の関係が生む悲劇。
ストーリーの中心に、情熱的で移り気な女性カルメンがいる。
それへ絡む登場人物は、生真面目一途な男、ドン・ホセ。
カルメンに恋いこがれて身を破滅する竜騎兵伍長だ。
おなじくカルメンに恋するエスカミリオ。
人気者の闘牛士。
さすがに恋には手慣れた男。
そしてドン・ホセの許嫁のミカエラ。
ホセの老母も認めるお似合いの許嫁は心優しい女性。
純朴な心をもっている、と言えばほめ言葉と言えるか。
以上配役はそろった、メリメの小説が元にあるという。
私はこのオペラの実演ステージを直接観たことはないので、テレビ中継録画のイメージと、録音したアリアや、オーケストラの組曲にした演奏で、楽しんだことになる。
それにしても、なんと印象に残るメロディーが多いことか。
序曲からして、ざわざわと奏される弦が何か不安な気分を誘う。
そこへ管の意味ありげな音で、穏やかな展開で終わることのないのを暗示させる。
それにしても、ハバネラ、闘牛士の歌、のこの2曲。
これこそが歌劇カルメンを代表する曲と言いたい。
だがそんなこと言いきったら、なんと音楽知識の浅いやつだと笑われそうだ。
でもかまわない。
そう思うほどに、奔放なカルメンを、気ままな闘牛士を、的確に表現しているのだ。
考えてもみてほしい。
わずか3分たらずの曲が表現しうる人物像が、これほどに知られていることを、である。
らーり、ららららんら、ららんらら、らりらりらんらんらん。ザザンザザン。
でカルメンが妖しくも歌えば。
らーらりらんらん、らりらりらーん。
と、得意満面の高笑いで闘牛士が歌う。
知らない人、聞いたことのない人は、まず居まい。
そう思えるほどにポピュラーな曲だ。
よくポピュラーに墜ちる、などと見下げた言い方がある。
あまりに知れ渡った曲は軽くあつかう方がいらっしゃる。
しかしながら印象深さあってこそ多くの人の心を惹きつける。
こうした音楽本来の意味を甘く見てはいけない。
大衆性。
言うはやさしく、実現するにこれほど難しいことはない。
この評価基準が、永く残ってきた芸術作品には、良くも悪くもあるのではないだろうか。
印象深さ、あるいは強烈さ、である。
クラシックの名曲といえど、そういう力を持ち、共感を呼び、世界60数億人その過半数の人に、一度聴いたら忘れられない音楽となる。
その印象は必ず憶えさせてしまって、二度と忘れさせない調べを持つ。
この価値は、音楽の理論や知識情報があろうとなかろうと超越して、聴く者を説き伏せ、感じ入ってしまうものだと思う。
人々にしっかりと印象付ける名曲のメロディーが、この曲にもあると思うのであります。
さてこの歌劇は、カルメンの生き方、そのストーリーにこそ妙味がある。
カルメンが酒場で歌い踊るあのハバネラのシーンの、妖艶な素振りは彼女の恋愛観そのものか。いや人生観というべきかもしれない。
理想の男性がいつか現れて必ず自分の良さに気付いてくれて声かけて来るだろう。
などというしおらしい待ちの考えなどは、さらさらない。
おあいにく様、持ち合わせていないわよ、というわけだ。
自分の目にとまり、気に入れば。その場で自分から声かけて、振り向かせる。
そのことで誰彼に気遣うなどは、もとより考えもしない。
だからあたしに挑まれたら覚悟をおし、といった流し目艶目。
そして厭になれば飽きれば、その時それまでのこと。
再燃すればそれも面白いじゃないか。
いずれにしたって、人の気持ちは気ままなもの。
恋とはその様なもなのだもの。
だから止めたって離そうたって、意味のないこと。
ねぇ、そこのあんた。どう〜。
一方、我こそは当代きっての名闘牛士だと歌うエスカミーリオの、闘牛士の歌。
勇猛にして命知らずの伊達男。
おれが真っ赤な布をひら付かせながら、どでかい牛の血をたらふく吸い込んだ闘牛場の砂地に立てば。
どんな女だって熱くならないではいなさ。
それは闘う牛の野郎だって、女だって同じこと。
ほれほれ、ほれ。さあ向かってこい。どうした、怖いか。
うふふふ。そんな簡単には行かせないねえ。
お楽しみはもっと先だ。どうだ。
このおれの手に掛かったら、もう観念しな。
たっぷり楽しませておいて、最後の一突き。昇天させてやるさ。
といったふうな二人こそ、お似合いなのだろう。
だが……そんなシンプルな話筋立てではないところがこのドラマの面白さなのである。
恋こそ人生系のカルメンを好きになるのは闘牛士の前に、純情で生真面目なホセなのだ。
となれば多情な女心に翻弄され軍職を汚し、無職の失恋男になり果てる。
やがて彼はその一途な思いを闘牛士よりも短い剣で、牛ならぬ最愛のカルメンを一刺しする。
この世で昇天させ得なかった男はあの世への昇天をさせてしまう。
そうした場面展開のシーンで奏される曲はどれも素晴らしい。
しかしながらこのオペラが観客に喜ばれたころ、作曲者ビゼーはこの世の人ではなかったという。
今、世界のクラシックファンでカルメンを知らない人は居まい。
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