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夢舟亭
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<この文章は商業的な意図をもって書かれたものではありません>

文芸工房 紅い靴 エッセイ   2011年 11月09日

   フランク・チャックスフィールド・オーケストラ


 フランク・チャックスフィールド氏率いるオーケストラ、フランク・チャックスフィールド・オーケストラは、私の好きな演奏団体のひとつだ。
 前述べのマントバーニー・オーケストラとおなじイギリスの、しっとりとしたストリングスの演奏の管弦楽器演奏のひとたちだ。

 フランク・チャックスフィールドもまたすでにこの世のひとではない。1995年逝く。
 けれど録音で遺してくれた演奏の数々はどれも聴くたびに心を清々しくしてくれ、それはこれからも変わらないと思う。音楽というものが持つ「力」というものだろうか。

 フランク・チャックスフィールド・オーケストラの演奏といえば、先にあげたポールミーリアなどフランスのエスプリ風な軽快感とはちょっとちがって。イギリスというお国柄なのだろうか落ちついた渋さがあり、それが深味となって、とてもいい。
 そのせいだろうか、先にあげた二つの演奏者たちより知名度は低いのかもしれない。

 そんなフランク・チャックスフィールド・オーケストラだが、ポールモーリアを世に知らしめた「恋は水色」のアメリカでの大ヒットにおなじく、フランク・チャックスフィールド・オーケストラの名が世界に知れわたったのがアメリカでの、あの大ヒット曲のデビューだったという。
 曲の紹介のあと一瞬静寂。
 聞き耳をそばたてるラジオから……砂浜をなでるさざ波の効果音。ザーザザー・・
 それへ、かもめが数羽飛び交って、ヴァイオリンの群奏がすっと入る。
 フランク・チャックスフィールド・オーケストラの十八番(おはこ)「引き潮(エブタイド)」のイントロがそれだ。

 聞くところによれば、軍役中の浜辺で夕陽にあびて湧いた曲想との作曲は、ロバート・マクスウェルというハープ奏者という。
 その曲をフランク・チャックスフィールド的編曲により自らのオーケストラで演奏した。
 聴けばうなずける大人心をくすぐる名演であるけれど……。そうして思えばまた当時のこの曲を受け入れた世界の聴衆の、音楽的センスの良さにこそ敬服してしまう。

 こうしたスイートなストリングス演奏を活かした演奏団体はどれも、世にすでに在る数多の曲目から選びだし、独自の味付けで聴く者を虜にした場合が多いようだ。
 ポールモーリアなどは自作曲も演奏しているけれど、やはり他作のものがほとんど。
 マントバーニーのテーマと言えそうなとろけるような演奏の「シャルメーヌ」もまた、すでに世にあった曲だ。

 さてフランク・チャックスフィールド・オーケストの演奏を楽しもう。
 彼らの看板曲とも言えそうな「引き潮」につづいて「白い渚のブルース」「いそしぎ」「夕陽に赤い帆」「砂に書いたラヴレター」。遠く海が波が見えそうな曲をつづけて聴いてみた。なんとも贅沢な数分間。

 フランク・チャックスフィールド・オーケストのサウンドはストリングス弦楽演奏にふっくらと厚みを感じる。それは中音のビオラやチェロの音のせいだろうか。ヴァイオリンの高音も耳を刺すようでないのと相して、とても心穏やかになれるのだ。フランク・チャックスフィールド・オーケストサウンドの渋味がここなのだと思う。そこに私は惹かれる。

 こうしたストリングス系のオーケストラの常としてどんな曲でもこなす。フランク・チャックスフィールド・オーケストも例外ではない。
 今回とくに耳にとまったのは「白鳥」。サン・サーンス作曲の動物の謝肉祭、あのなかの舞踏バレエでも有名なクラシックの名曲だ。
 白鳥、というより、シルバー色の老いた翼をゆるやかにはばたき、黄昏の陽に輝く雲海のかなたに昇天して逝く姿をイメージしてしまう。
 作曲者サン・サーンス的な地上の生物模写だというので、意図したものではないのかもしれない。あのバレエのせいだろうか終曲部が消え入るとき、つい手をあわせてしまう。地味なだけに名演奏だ。

 次ぎに映画のテーマ曲「ライムライト」を聴こう。チャップリンが創った。
 このところフランク・チャックスフィールド氏のお国からはるか遠く極東の島国ジャパンでは、年齢差を超えた愛がささやかれているとかいないとか。このライムライトもまたそうした世代差の淡く切ない恋心。そのメロディーを楽譜も読めない喜劇王チャップリンみずからが創った。
 その曲を演奏する人たちは数多いけれど、わたしもフランク・チャックスフィールド編曲指揮するライムライトがいい。甘すぎず冷たすぎないシルバー色が中音の渋さにある。

 こうして聴き浸っていると時間などが流れる現世にいることさえすっかり忘れてしまう。まさに至福。

 三十年もさかのぼるあのころ、名編曲を名演奏の集団で楽しむことがことさら幸福感など意識せずに、選り取りみどりだったとは……もったいない話。
 今は、とても経費がかさむのでシンセサイザーで伴奏をなどという時代。
 音楽業界も形ある物質を造るのとおなじく、安く数多く生産するのとおなじコスト意識が強いくなっている。
 腕利きの編曲者に託した楽譜を、演奏家数十名もそろえて録音するなどという贅沢な無駄は、もはや夢物語でしかない。

 そうして思えば、こうしたレコードやCDの価値を楽しめる感性がいかに貴重であるかを、再認識してしまうのだ。
 良い時代を経てこれたものだ。心がふるえるだけでなく持つ手までがふるえる。これは老化かもしれない…… .





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