・・・・ 夢舟亭 ・・・・ |
<この文章は商業的な意図をもって書かれたものではありません> エッセイ 夢舟亭 2009年 1月 7日 誤解の地デジ 最近気になるのだが・・ 学生の理工科離れがはげしいという。 模型や工作の品々を扱った知り合いの元店主は、今時は商売にならないという。 具体的なコレというモノに興味を抱いて、四六時中夢中になったりするのを、他人に知られたりすると恥ずかしいのだろうか。 こつこつと長い時間かけて試行錯誤した先で、ついに自分だけの一品を生み出す。 ようやくの思いで何とか仕上げてみれば「ネクラ」や「オタク」と口達者な者のしたり顔が待っていて軽くあざ笑らわれる。 なぁんだそんなことなにになる。 くだらなねぇ。 ばっかばかしい。 なにが面白いんだ。 世界のもっとすごいものからみりゃ、んなあもんカスだぜ。 そういう声が聞こえたりすると、圧されてあえなく退いてしまう。せっかく抱いた興味を捨ててその後、二度とアホで恥ずかしいことだと手をださない。 そればかりか、自らが嘲る側にまわって指さして、いっしょに嗤い合う。 そんな状況を目の当たりにすれば、たとえ自分の手で組み立てて作る喜びの海辺に立っても。苦労したうえに恥じるよりは、仲間と非難する気楽な側に行ってしまう。 それが子どもかもしれない。 時間を費やすばかりか道具や材料の準備や後かたづけも大変だし、そうしたことの場所もない。 そしてなにより親たちの支持共感もなければ、やらなければならないベンキョウ日程予定が気にかかる。 こつこつと取り組む手作り趣味や夢中な遊びへの眼差しは、子どもばかりではなく大人も冷やかなのではないだろうか。 店に行かなくとも何でも手に入る。 どうしてあれほどと思うほど安価な品揃えの時代に。 わざわざ見てくれの悪い手作りなど、誰が好んで作ろうと思うか。 けっかとして、ものを作り上げる面白さを味わうチャンスを失う。 指先ひとつでピコピコゲームの金融や、言葉ひとつで人気者になるなどへ若い関心はむかう。 ところで今、「実業」「実体経済」という言葉が聞かれる。 実業とは農業、商業、工業、水産業という、形ある『モノ』を中心とした生産や販売を行う産業と考える。 おカネを動かし利益を生みだす経営活動としての金融もあろう。 だがマネーゲームというかたちのビジネスが苦境に入り崩壊した今年を思えば。 それらと区別する意味で、ここでは「実体経済」の意味は、形あるモノを優先したい。 マスコミのラッパに響く不景気の声、政治が悪いという生活苦況論、あるいは人心の乱れなどに、国民総ジャーナリスト化の今。 人間生活の基盤であるところの、形あるモノを生みだす科学技術。 それを活かす産業をどう考えているだろう。 私はその分野の先細り感が気になる。 元エンジニアの端くれとして、今気になっているのは「地デジ」。 地上デジタルテレビジョン放送。 クルマと家電といえば輸出国の双璧。わが国自慢の家電器機テレビやビデオ。それにまつわる関連産業の、技術的状況。 政財界の策謀でも思わせるアナログ放送打ち切り宣言や、そのために費やすことになる各戸の負担。 その不満は私も知っている。けれどそのために産み落とされた放送技術の方は、雑音に穢されて、可哀想にも生まれ損なったふうに見えるのです。 政治と、技術テクノロジーの進展は別もの。 だのに「地デジ」は輝かしい技術の成果として扱われないままと見える。 進歩は歓迎したい。 科学的新技術に政治的責任はない。 賢明な人なら分かるだろうけれど、地デジは今、生まれたまま放置される新生児のようです。 私などが言うまでもなく、今映像技術は鮮明で精細なハイヴィジョン時代に入ってしまっている。 撮るも、録るも、編集や印刷、動画も静止画像も、すさまじい勢いで精細度を高めている。 ハンディビデオカメラでもデジカメでも。幼稚園児さえハイヴィジョンのスターになっている時代なのだ。 白黒映像がカラーになり、そのカラー画像はより鮮明に精細度をあげてゆく。NHKでは現ハイヴィジョンのまた数倍の精密映像の放送技術も試験中。 また10数メートルのスクリーンへ投射する映像技術も博覧会では展示済み。 そしてフィルム無しのオンラインで映写する映画シネマ館の仕組みも、一部開始されているという。 視聴者側にとっては、「見える」時代で始まり、「伝える」や「面白」映像に変わって。 この先は、ただ見え報じられるだけの映像ではなく。 鑑賞に堪えるほどで、再々観て味わうに値する映像の時代になっているように思う。 その先頭にある地デジのハイヴィジョン映像は、明るい未来のきわめて健全なテクノロジーの進展だと思います。 そうした映像の素晴らしさは純粋な子どもたちほど、見分けては感嘆の叫びさをあげます。 けして従来の放送映像と同じに見えることはない。 技術的には順調に進歩しているわけです。 映像を見れば、今のままで良いとは思えない。人間の叡智、健全な進歩を止めるべきではないなぁと。 人間に必要なのは、止めることではなく、いかに活かすかが大事だと思うわけです。 ニホンのハイヴィジョン放送はNHK-BS衛星放送で先に始まった。 ハイヴィジョン放送は先にアナログ放送電波だった。が、デジタルテクノロジーの急速な進歩によって電送精度のきわめて高く安定したデジタル方式に切り替わった。 それをそのまま地上テレビ放送に活かそうとするのが地デジの放送。 今、地デジのメリットは何か、と問うのは、白黒放送からカラーのメリットは何かと訊くに等しい。 より鮮明な映像の追求。 この先もかぎりなく続くわけです。 白黒放送の移行期に「カラー」表示があった。 それへ、べつに色がついても内容はかわらん、という声を思い出す。 けっきょくはそういう人もカラー受像器を望んで、手にしたのでした。 当時、国の旗振りも支援もなかったが、白黒テレビを見続けた人がどれほどいるでしょう。 今回の地デジ化も、取り残され感はあろうが従来の受像器をそのまま見られるなら不満は湧かなかった。 だがここからの技術的な変化は大きすぎて、そのまま残すことが難しいといわれる。 ある時点で従来のテレビが見られなくなるというのはたしかに脅されている思いになる。 けれどもニホンだけデジタルのハイヴィジョン化を止めようかとなれば、これもまた停滞しては困る科学技術立国、モノ造り先進国のニッポン。 残念というべきか当然というべきか、若い感性から見れば、一度ハイヴィジョンの映像を見たらもう戻りたくないという声も多い。 かくいう私自身はといえば、年甲斐もないと言われるほどに素晴らしさを知ってしまっている。もう戻りたくない一人です。 デジタル化の良さは、ほかにも音声の高質化や左右前後からの多チャンネル化、そしてインターネット接続や双方向交信などがあるようだ。 また制限付きではあるが記録複製しても画質も音声も劣化しない。 放送局の側もキー、ローカルの別なくすでに設備は完了。放送波を送出しているようです。 デジタルという新生児の誕生は、それ自体テクノロジーの進歩の象徴として。 映像と音声を味わってみれば、本質的に異なる特上の映像と音。 人間社会にとって歓迎すべき映像時代の象徴と分かる。 けれども、それはもちろん素晴らしい映像ソフトによって確認できる話。 言うまでもありません。 従来放送と変わらぬ壁貼り新聞パクりの、高収タレント演ずる市民の味方ぶる顔などを見ては画質の識別はできない。 おなじく、番組表が埋まるなら『誰でもよい』出演者が、ひな壇から笑う宴会ふうお粗末番組ではなおさらのこと。 好みもそれぞれ、テレビ放送へ期待するものも種々違いはあるけれど。 民放の視聴率争いのなかで、地味で誠意を感じるNHK番組が首位をしめているという。さもあろうことと思う。 また新作映画のほとんどが、往年の名画であるところのベン・ハーやアラビアのロレンス、十戒、ゴットファーザーほかが。 ハイヴィジョンのデジタル映像版が制作され、地デジ放映もすでにある。 おりしもまたドイツが誇るベルリン・フィルハーモニー管弦楽団が世界に向けて。 コンサートをネット配信するという。 インターネットもハイヴィジョン化が進行している。そして地デジ用テレビはインターネット接続口をもっているものが市販されている。 また、来るお正月にはベルリンフィルと双璧をなすオーストリアの宝、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団の、世界に向けた恒例ニューイヤーコンサートが放映される。 あの華やかなウィーン楽友協会大ホールからの演奏を、ハイヴィジョン映像と音声で。 一度味わったなら・・・戻りようがないのも、うなずける。 そうした動きのいずれもが、過去の番組映像制作とは異なる技術をひっさげて駆使する、次世代エンジニアや演出家映像作家の時代のものだろう。 思えば私などが子どものころ夢に見た科学技術の未来図が、お正月特別号に描かれていた。今その多くが現実となっている。 ここでもまた映像次世代の開幕を目に出来たこと思えば浮き浮きしてきます。 よくよく考えれば、つねに少数一部の人の不幸は免れえないのが世界です。 どうしても皆の目が気持ちがそういうものへ、心を曇らせつつも惹かれがちです。 画質の向上などが人の幸せとどう関わるのだという声をあげたくもなる。 けれどそういう思いや声がいくら強くとも、実体ある経済は増えもせず高まることもない。むろん失業者が減ることにもつながらない。 つねに健全なテクノロジーの発展が経済の川幅をひろげ流れる水を増やし、豊かな方へと引っ張って行く。 科学技術の進歩こそが、人々に目を見張らせられる驚きであり、なかでも音と映像となれば興奮もおぼえさせ、なにより人々に明るい夢を地上の素晴らしさを味わえせしめる。 明日への希望だと思います。 だからこそ優れた技術の良いモノは良いと理解できる人の目が大切。 それは生み出した苦労に報いることにもなる。消費が増えればお金が回る。 せっかくの平和的進歩へ屁理屈をならべてあざ笑ったり、巷の愚痴屋に口裏を合わせては「誰がそれを望んだ」などと恥言を吐かずに。 そのものの真実の価値を自分の目で確かめれば、感謝も感動も喜びも、新鮮な驚きとともに湧いてくる。 そうした大人を子どもたちが見ていて共に感じて、真似て見習えば。 科学技術の価値と可能性に目覚め。やがて自ら生み出すひとりになるとも思うわけです。 モノ作りニッポンの未来の担い手を大切にするには、大人が親がその理解者になるべきかと思うのです。 そんな思いもあって、今日も選りすぐった映像ソフトをデジタル・ハイヴィジョン映像で堪能しているというわけです。 ご参考: 「地上デジタルテレビジョン放送」(ウィキペディア) NHK技術公開「走査線4000本級超高精細映像システム」 |
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