<この文章は商業的な意図をもって書かれたものではありません>
夢舟亭 エッセイ
2006/05/08
第九だ、友よ(ベートーヴェン交響曲第九番)
未だかつて、「現在はとっても景気が良い」などと言い交わす声を耳にしたことがない。
とくに年度換わりの時期には産業企業各社が、そろって暗い顔と明るい顔を使い分ける。
一般社会向けの外面は、「わが社は儲かっています」であり。
待遇改善賃金引き上げの雇用主の立場では、「なかなか厳しい状況でねぇ」となる。
「不景気」を枕詞にしては、売り上げ利益に目減りがあって、なかなか期待に沿えないと拒否するのだ。
この時期は企業実績だけでなく、何とか白書という政府のお仕事総決算の集計も出る。
いつもながら倒産に失業、果ては生活苦の自殺死など暗い話は例年多い。
社会に吹く風の温度がそうであってみれば、楽しいとか嬉しい面白いなどの明るい話題は、申し述べるのは少々気がひける。
だからそういう中のひとりとしては無難なオトナの挨拶となってしまう。
いくらか伏し目がちの陰気に、浮いた物事とは縁遠いふうにすると目立たない。
そして、ぼちぼちですわ、ほどほどですな、という。
思えば、何ともかんとも小心市民の狭く貧しい雰囲気に呆れてしまうのである。
とはいえ影があるのは光があるからであり、陽あればこその陰である。
ポジティブにはネガティブ。
長調には短調という様に、暗さもうまく使えば効果がでよう。
いすれにせよ、北風にふるえて立って顔を伏せ、上目使いのうらめし幽霊姿ばかりではどうしようもないではないか。
私的には、やはり音楽はぶわぁーっと行きたいのであります。
そういう気分のときは、ダイク、です。
そう、第九。楽聖ベートーヴェンの足元にひざまづこうではありませんか。
交響曲第九番の第4楽章の、合唱「歓喜の歌」。
ああ友よそんな調べなどではだめだだめだ。
さあさあ声高らかに。
もっともっと歓びを歌わなければ・・
と歌うのが聞こえるではないか。
深刻顔のベートーヴェン。あの人の、歓びの歌声を求める曲である。
九番目の交響曲だから、第九。
十、十一、十二番と、交響曲をたくさん生んだ作曲家はほかにいる。
なのに、「第九」といえばベートーヴェンの交響曲第九番ニ短調「合唱」作品番号一二五を指す意味として通じるのだ。
燦然と輝くこの交響曲の作品は、1824年に完成。そして初演した。
1770年生まれの彼の54歳の作ということになる。
1827年に亡くなったのだから、余命3年の時点。
ベートーヴェン最後の交響曲である。
四楽章構成の管弦楽と混声合唱を含む、人生賛歌だ。
後に、ベートーヴェンを信奉したブラームスの一番目の交響曲が、これに続く第十番だと称えられたことがある。さぞ名誉なことだったろう。
また、マーラーは交響曲の9番目の作品「大地の歌」を生み出したおり、ベートーヴェンのように遺作になってしまう気がすると、怖がった。
そこで第九番としないで、大地の歌、としたというエピソードもあるのだ。
そして2006年の、今。
独唱とコーラスで歌う終楽章「歓びの歌」のあの有名なメロディーは、街の丘の鉄塔から、正午お昼の時を告げていたりする。
電子拡声音から地域に響きわたっているのだ。
あるいは今どきのケイタイ電話の着信を告げていたりもする。
第九は、第一楽章から第四楽章までの全演奏時間がゆうに1時間を超える。
CD(コンパクト・ディスク)発案期に、このすべてが収まるのを目標にしたなどとも聞く。
歓びの歌の合唱部分で唱われる部分は、シラーの詩にベートーヴェン自身が手を加えたそうだ。
独語など解らなくともそこは音楽。
「おお、友よ」の絶唱へ至る盛り上がりは充分に、喜び、否、歓喜の想いが、私などにも感じられるのである。
ところでこの曲を合唱する大コーラス団員はもちろん、鑑賞する者はなじみのあの歓喜の歌声を、終楽章まで待たされる。数十分間である。
コンサートともなれば、まさか途中入場も出来ないし、トイレに立つわけにも行かない。
こんな大変な曲をよく創作したものだなどといえば、音楽への理解程度の低さがバレて、失笑をかいそうだ。
なに構うものかと下世話ついでにいえば、大曲であるが故に、あの曲演奏の経済効果の裏話もある。
100人規模の管弦楽団員と、独奏者4名。それに200名もの男女混声合唱団を要するのが第九である。
この人員数は、ちょっとした小規模の会社ひとつ分。
学校でいうなら数クラス人数。
大型バス数台分の乗員数にもなろう。
だから年末に揃える手はず準備や費用は大変なことだろう。
言い方を代えれば、年末好例のコンサートプログラムが第九なら大勢の演奏者が出演できるというわけだ。
つまり演奏者の多くにシゴトを配ることが出来る。
少しでも演奏者を招集するためには、この楽聖の作品がじつに適しているようだ。
さあ音楽同業仲間よ、幾ばくかの収入を得てみんな良い新年を向かえようではないか。
もちろん世界へ向かって生きる歓びを歌いあげる曲であることが、なによりの選択基準ではあろう。
ではあるが、戦後復興期から第九が歳末イベントになったにはこういう「いわれ」もあるのだということだ。
ホールいっぱいにどよめき沸き上がるあの歌声。
そこには歌うがわはもちろん、観客もまた一年分の心の憂さを洗い流し、来るべき年に希望を見いだそうと期待が湧くだろう。
現在クラシック音楽の演奏家たちが、どのくらい窮しているのか知らない。
が、「第九を唱おう会」などのコーラスファンが、歳末の催し会場にはせ参じては、ぱくぱくとお口を揃え唱うがわにまわっていることはたしかだ。
さぞかし天にましますベートーヴェン先生も、あの深刻顔を弛め歓喜にむせぶのではないだろうか。
ああ友よ。それにしてもである。
大作とは限りない波及効果を生むものである。
世界の大作大樹というものは、拡げて茂った枝葉から滴を垂らす様ではないか。
放送、で考えてみよ。
世界各地の、演奏する者はもちろんだが。
楽器、衣装など。
または撮る者。録る者。照明、ステージ設定。
またはパンフを作り、刷る者。配る者。
などなど、その前準備から関わる人すべてに、去年も今年も来年も、この一曲の恩恵は、かようにも多くの者に降り注ぐのである。
こうまで言ってしまうと、第九は歳末。
年の暮れには、第九。
と、皆の脳髄に合い言葉のように焼き付くだろう。
思えば、それもまた困る。
例えば、12時34分56秒の半端な時刻に、ビッグベンのキンコンカンコン音を鳴らしたりすれば驚かれるだろう。
また「だんご三兄弟」を世界のテノール歌手ドミンゴ、パブロッティ、カレーラスが唱ったりすれば、ファンは眉をしかめ、絶句するだろうか。
つまりお定まりができている人の頭には、年末以外の第九はどこか変だとなる。
暗黙のお約束が出来てしまっている歳末と第九の困った関係ということだ。
過去の偉大な作曲家は、アジア極東のはずれにへばりつく小島列島ニッポンの、文部科学省の為に作品を遺したのではない。
ベートーヴェンもまた、12月のアーティスト失業対策のために最後の交響曲を創り、それへ大勢の合唱付きにした、わけではないのだ。
だのに、今、歳末のほかの季節に「第九」を演奏すれば・・、揃えた演奏者総勢をまかなうだけの売り上げ集客力があるだろうか。
つまり5月に初演されたこの曲も、今では歳末の定番となってしまった感があるのだ。
メンデルスゾーン「真夏の夜の夢」、ワーグナー「歌劇ローエングリンより婚礼の合唱」、それぞれからの「結婚行進曲」。
優勝証書やカップの授与式の、ヘンデル「見よ勇者は帰る」などなど。
世界人共通の遺産とも言われるような偉人の大作は、ときにこうした誤解を生じる「お定まり」になっていることに気を付けたいと思うわけであります。
ところでこの作品を生んだ大作曲家ベートーヴェンは、その晩年、聴覚がほとんど利かなかった、というのは有名な話だ。
実際に音を皮膚へ振動を伝えて、ピアノ演奏を確かめたともいう。
おお友よ。ベートーヴェンは聞こえない音楽家だった。
作曲者のがわに立って思えば、である。
あの時、歓びの歌などという心境からは、何億光年も離れていたのだ。
広く知られるあの深刻顔からさえ、まだ遠いのではなかったか。
地団駄踏んでのたうち回り。
手近なものすべてをほうり投げ。
在るもの手当たり次第に破壊して叫んでも、まだ足りない苦悩であったろう。
誰を憎もうが、呪おうが。罵倒しようが。
せめてもう少し、この耳が聞こえれば・・と、こぶしを固め。
その手を血の出るほど噛んで、髪振り乱す絶望の底に、情け容赦ない運命が彼を引きずり込んでしまっていたのだ。
よく聞け、友よ。
後年、楽聖と讃えられ名曲を生み出したかのベートーヴェンその人は、つんぼたったのだ。
分かるか、友よ。
作曲家であった彼は、音を自分の耳で聞くことができなかったのだ。
指を無くしたピアニスト。
足を失ったランナー。
舌を切られた調理師。
目を潰された画家。
嗅覚が麻痺した調香師。
喉を切除した歌手。
文字を失った文筆家・・・
そして、音楽を唯一無二の生き甲斐として命をかける男の、聴覚。その喪失だ。
この悔しさをどう思おうか、友よ。
だのに、その無音世界に突き落とされた音楽家当人が、である。
「さあ世界の友よ。もっと歓びに満ちた歌をうたおう」と、外向きになるのだ。
この意味の深さが分かるか、友よ。
20歳代で第一番交響曲を生みだして以来。
第二、第三、第四、第五、第六、第七、第八。
そしてここに絶望にあええでなお、歓喜の合唱、第九を創りあげてしまった。
音の届かない所にあって、悲嘆に暮れる精神を独り励まして編んだというのだろうか。
曲想を変えろという申し出に、その交換条件に「王の地位」を差しだされても、断じて断ると言うほどの男だ。
友人であるあのゲーテに、貴族とのすれ違いの礼所作で「卑屈になるな」ととがめたという男なのだ。
彼以前の音楽というものは、王侯貴族のムードミュージックとかバックグラウンドミュージックの位置づけでしかなった。
だのに彼は音楽家の意志を表現する手段芸術に高めて、磨き上げたのだ。
ここから音楽の存在理由と立場が変わったことはいうまでもない。
これが楽聖といわれるゆえんだ。
私はここに大いなる尊敬を感じるのだ。
こうした男の不屈の意志に、我々の心配など要るだろうか。
たとえ人一倍聞こえる耳をもっている者とて、後世に残りうる作品の完成は難しかろう。
たとえ一曲でも、である。
それなのに、今でも多くの指揮者やオーケストラ演奏者が、彼の九番までの交響曲すべてを踏破するのが憧れにして人生の偉業だという。
当時すでに特別な才能と言われて、妻も子も無いこの男を生前に訪ねると。
借り部屋の隅で、独りもくもくとペンを走らせていて、その友人が肩に手をかけるまで気付いてくれなかったという。
努力とか刻苦勉励、あるいは頑張り、または一生懸命などの言葉には、必ずしも快さは感じない。聞いただけで陰鬱な気分にさえなる。
そういう言葉ではなく、そうしないではいられない自身の内から噴き上がって来る衝動や、欲求に従ってただ一心不乱に。無我夢中に没頭できることがあるなら、人間最高の幸せだと思う。
そういう意味で、雑音から離れて、好きな楽想に浸れたベートーヴェンという人は、こちらで思うのとは異なって、大いに幸せの時をもてたのかもしれない。
われら凡人などには聞こえようもない壮大な音楽ステージを、内部にもっていたのではないだろうか。
何の楽器演奏もできない私などは、音楽を聴くだけしかできない。
そして恥ずかしながら、ベートーヴェンの表題のある交響曲から聴き憶えて、第一第四番の良さを味わったのはつい最近なのだ。
第九番を第一楽章からしっかりと聴き終えることは、恒例の歳末コンサート放送など見てもさて何度あったろうか。
だから「第九」などと上段に構えても、実は何も大きいことなど言えないのだ。
目の前で第九の一楽章が鳴りだすとき、いつもそう思う。
そこで今回第九を聴き込んでみて思うのは、第一楽章にも二楽章にもそれぞれに特徴的なメロディーがあって、それはそれで素晴らしいと分かった。
また三楽章の弦楽器の穏やかな美しさには嬉しくなる。
とはいえ第九はやはり四楽章。
第四楽章は言うまでもないあの高まりに向かって、何度もなんども挑みながら昇って行く。
それだけにクライマックスの終わりは、待っていた思いより早く来る。
クライマックスとはいうまでもなく歓喜の大合唱のことである。
演奏が済んで曲全体を振り返ると、スケールの大きさにいまさらながら驚く。
こりゃぁ生みだした男はけして並の人間ではないなぁ。
とてつもない理想を音楽で示した最高の例ではないでか。
だからこそ最高の時をこの曲で迎えたいという思いが現代人も湧くのだろう。世界のここぞという場に鳴り響いているのを見ても、それが分かる。
音楽の完成度にただ圧倒されたまま、「とてつもない曲だなあ」と放心……。
交響曲を語るには第九を聴け、だ。
ただし、とても生半可な気構えでは聴けない。
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<鑑賞した演奏>
CD:
カール・ベーム指揮、ウィーン・フィルハーモニー・オーケストラ、ウィーン国立歌劇場合唱団
フェルベルト・フォン・カラヤン指揮、ベルリン・フィルハーモニー・オーケストラ、ウィーン楽友協会合唱団。
VTR:
レナード・バーンスタイン指揮、ウィーン・フィルハーモニー・オーケストラ、ウィーン国立歌劇場合唱団。
クルト・マズア指揮、ライプツィヒ・ゲバントハウス管弦楽団、東ドイツの複合合唱団(1990年東ドイツ国最後の記念特別演奏会から)
*独奏者名省略
2002/01/12
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