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夢舟亭
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夢舟亭 エッセイ 2006年10月14日




     デタイユの「夢」


 アジア大陸の、その東のはずれの小島列島。
 そんなわが国であればこそ、異国を、海外といいます。

 国が違えば、人の姿も衣食住のすべてが異なるものです。
 歴史の違いからでしょうか、生活の仕方も考え方や、ものの見方も異なることが多い。

  年に何たびも足元の地が揺れ動く島に、よくも平気で住んでいられますね。
 欧米の方々が、わが国市民を、そんな風に不思議がると聞いたことがある。
 そんな疑問が湧くのは、地震が少ないせいで石造りの建築物が多いからか。

 美術といわず、文学といわず。
 音楽や哲学までもが花開き、世界に波及せしめた。その中心パリの街並は、たしかにどっしりと構えた重厚な石造りの宮殿や寺院、橋が連なります。

 ノートルダム寺院を筆頭に、丸く、四角に、楕円に。またはアーチ状に。
 壁面には人物や獣の像はいうにおよばず、彫りものを施してあり。尖塔屋根を形成して建っている。
 あの高さにして、切り出された大小の石材を積み上げられているだけなら。
 いかに地盤安定かが伺えようというもの。


 だいぶ前になるが、そういった建物のひとつを見物したとき。
 思い出となった絵がかけられてあった。
 オルセー美術館。
 1900年に駅として建造されたという建物だ。
 今、展示品点数2万点の美術館となっている。

 同じパリのルーブル美術館は、広さも保有作品でも世界一。
 セーヌ河をはさんで向かいに、このオルセーの館が並行して建っている。
 作品の新鮮さは建物に従って新しく、1848年以降のものばかりという。

 マネ、笛を吹く少年でもおなじみ。
 バレーの踊り子の絵のドガ。
 モネは緑茂る中の池水面いっぱいに咲き香るような睡蓮(すいれん)で有名。
 ルノワールはふわりとした女性画が多い。
 ムーランルージュ酒場の市民の哀感を描き残した、身体不遇なロートレック。
 農事農民姿を描く画家といったらミレー。落ち穂拾い、ほか。
 そしてゴッホ、セザンヌ、ゴーガンと、まだまだ世界に知れた名が続く展示絵。

 大美術全集の類をひろげると、在所の記載を見ればフランス・パリ、ルーブル美術館とこのオルセー美術館の名が多い。
 けれど現地に足歩を踏めば、写真集のヴォリュームでは現しようもないことが、ただただ驚きとなる。

 観る者の目を引き、足を止め。
 心に染み込む味わいの大作名画力作が、ところ狭しと先にさきにと連なる。

 そんななかで私が感じ入ったひとつに「夢」という題の絵があった。
 作者の名は、デタイユ。
 1888年作の、縦横が3×4メートルの大画である。

 ナポレオンの率いる軍でもあろうか。
 朝もやのなか、大平原の地面に体を横たえて休息中の大隊兵士たち。
 遠くのいたるところで戦火の残り焼煙が発ちのぼっている。

 隊のはずれも見えないほどのはるか遠方まで列になり横たわる兵士たち。
 連日の戦いの疲れから、明け渡る陽の下でまだ起き上がる者もいない。

 その兵たちの命の銃剣が刃先を上に向け組み合わせ、立てかけられたおびただしい銃器が整然と並んでいる。
 そこに軍規律が静かにしかし敢然と存在することをうかがわせる。

 おそらくは今日もまた、陽が頭上に照るころにはこの静寂を裂いて砲撃音が轟き、地を揺るがし炸裂するのであろう。
 大小の鉛弾丸が攻める兵のなかを飛び交い、目覚め間もない兵(つわもの)の、多感な頭蓋を、熱き心臓を射抜くのであろう。

 そうした明日をも知れぬ仮眠の中で、彼らの瞼裏に写る夢は……………
 雄壮なる、大勝利を信じて進む自軍兵同胞の姿なのである。
 けっして疑いやしないその夢が、絵の上半分の雲間に描かれてあるのだ。

「すすめー!」「突撃ッ!」
 わーっ。

 虚しい兵(つわもの)どもの夢。
 と、ひとことで言い切るには、あまりに惜しく。

 今もさして変わらぬこの世界を思えば、どこか切ない気持ちが湧いてくる絵なのである。




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