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夢舟亭
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夢舟亭 エッセイ     1998/11/07


   捨てる神あれば 拾う神あり



 皆んなに冷たく見捨てられ、あるいは無視や拒否されることがある。
 けれどそんなことは長く続くわけはない。
 手をさしのべるひとが必ずや訪れるものだ。

 そういう意味の、捨てる神あれば 拾う神あり。


 先日、山ぎわの静かな公園へ散歩したある男のはなし。

 全身が白毛の子犬が、土ホコリに汚れた小さなからだで鳴いて、じゃれついてきた。
 くんくんとして彼を見上げる。
 足にからんでは、ちっちゃな体を擦りよせて離れず、歩けない。
 周囲に人影はなく、石造りのベンチの下から出てきたのを思えば、捨て犬だろう。

 必死なその犬の様子からは、どうかどうかこの私を預かってほしい、というふうだ。
 幼い私がここにこうして居れば飢え死にするのは時間の問題なのだ。
 人間のオトナのあなたにとってはわたしのような子犬一匹飼うなどたやすいではないか。

 まさか自分の家で飼うなんて……と、彼はその場を離れようとした。
 すると短い足を繰り出し追ってくる子犬は鳴きやまず。
 かまわずに振り切って、駆け出した男。
 さすがに背後の泣き声は遠くなった。

 ふうふうと、胸息荒くして立ち止まり……、振り返ってしまった。

「やっぱりこの人もだめかぁ……ああ、どうしよう」
 そんな声がした気がした。

 幼くて悲しげな子犬。
 あきらめたのか、向こうへ戻って行く。とぼとぼと。どこへ行くの、か。

 あどけないあの子犬にいったいどんな罪あって、捨てられたというのだろう。
 こうして知らないよと振り切って逃げた人間が、自分のまえに何人居たのだろう。
 こんな小さい犬が、その度に悲しみを味わったというのだろうか。

 いいや、このオレはいままで逃げ去ったヤツらとは違うぞ。
 さぁこい!
 おまえはこのオレに出会ったんだから、運の良いやつさ。

 手を広げてその子犬の後ろ姿に呼びかけてしまった。



 あのねぇ。捨て犬見るたびにいちいち哀れみをかけて拾っていたひには、家中が犬だらけになっちゃうわよ。

 …………。

 どうせエサもシッコもウンチだって。もう面倒みるのみーんなあたしなんだから。

 たかが子犬一匹じゃないか。たのむっ。

 連れ帰った男は、うんざり顔の妻を説得した。
 そしてその顔に、朝早々に家を出て勤めに行くとき両手をあわせて拝んだ。
 男の背に、もうぉ、と憤懣をあびせられながらクルマ発進。
 それを途中まで追う白い子犬は、座って首を傾いで、見送っていた。

 帰宅。
 迎える妻の声は、あら。お帰り。早いのねぇ。
 たしかに、早い。
 そして妻に抱き上げられている子犬の小さい舌に、鼻のあたまを差しだしては舐められて、くすぐったく笑う。

 いつもよりも早い入浴。
 自分よりも先にシャンプーしてやる。
 毛は見違えるようにふさふさと白い艶がでた。
 ぶるぶるっと身を振るしぐさが可笑しい。

 おい。ドライヤーだ。ちがうそうじゃないよ。

 いいえ。これがいいの。連れて来るだけで、なにも分かってないのねえ〜。

 とか、なんとか。
 奪い合いする人間夫婦の間を、小さい命ひとつは、今たしかに生きている。

 巣立った子供たちが幼いころに。
 こうして育てたっけと、就寝の枕にからむ子犬に手を伸ばす。

 その手に触れたふくよかな温もりを感じて抱き寄せた。
 ふと、男が真顔になって考えた。

 拾ってやった。そう思っているこの自分たちだが。
 けれど、おれたちの方が……この小さな生き物に拾われたのかもしれない。






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