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夢舟亭
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夢舟亭 エッセイ     1998/11/07/2008/08/21


    100万本のバラ


 バラの花。
 ローズのはなし。

 秋の今日。
 垣根にからまる細い枝で咲きひろげようとしている真っ紅なバラを、たった一輪見つけた。

 季節にははずれているせいだろう。春、盛りのころに支えに立てた竹の棒が、花に隠れて見えないほどに咲きほこって華やいだのとちがっていて、淋しくも愛らしい。

 まっ赤なそのバラの花を見ていて、歌を思い出した。


  あるところに一人の絵描きの男が居た。
  男は一人の女性に心を奪われた。
  そのひとは今町に来ていて、華やかなステージにたつ歌手だった。

  その歌を耳にした日から彼の心に居座った彼女。
  以来彼の毎日は彼女のためにだけ有ると思われるほど恋い焦がれた。
  もちろん彼女はそんな彼の心など知るよしもない。

  ある日彼は家と自筆カンバスのすべてをなげ売って花を買った。
  バラは百万本。
  真っ紅なばらだ。
  それを彼女の泊まる宿の前庭に敷き詰めた。

  朝。
  外の気配に気づいた彼女が窓を開けた。

  そこには朝陽をうけた真っ紅なまっかなばらの絨毯があった。
  息をのんで、目を見はった。
  窓から見える広場一面が甘い香りを放つバラで埋め尽くされていたのだ。
  見下ろす彼女はただ深いため息で、言葉もない。

  いったいなにが起きたのだろうと。
  けれども彼女は、一面が花の海の意味など知る由もない。

  男は華やかなステージにも負けないバラの絨毯に驚喜した彼女の顔をしっかりと胸に納めた。

  華麗な歌姫の彼女だ。
  ステージの後の宴には毎夜言い寄る男幾人もあろうこと。
  翌日。
  彼女は大勢のファンに惜しまれつつ、華やかなステージが待つ次の町へと旅立った。

  男はあの日の思い出を胸に、そのあと独り人生を送ったという。


 かの国でこの歌を聴いて感動した歌手、加藤登喜子さんが日本に持ち帰った。
「あなたに、あなたにあげる。100万本のバラを」が、その歌。

 かの国とは、石敷き道の街イメージ、旧ソビエト連邦、今は独立したラトビア。
 ライモンド・パウルズさんがその曲を創ったという。
 詞はボズネ・センスキー。歌が女性歌手アラ・ブガチョワ、ロシアの名歌手。

 一人の男が、たった一瞬の恋する女性の笑顔を生み出すために、財産を投じ捨て身の演出を企てた。
 生涯のその思い出を胸に焼き付けたその話を歌にした。

 聴いたことのある方ならご承知だが、けっして叫ばず淡々と物語る歌である。
 かの国でも売れに売れたというこの曲。

 バラの様に熱い想いを秘めたこの曲の作者は、同国の文化省の大臣だという。
 更には統首にも推されているとか。

 こんなロマンティックで男の切ない思いを歌い曲を創ったのは、政治家なのである。




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