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夢舟亭
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<この文章は商業的な意図をもって書かれたものではありません>


夢舟亭 エッセイ   2007年02月15日


     「ゴッドファーザー」という映画


 ストーリーを語るとテーマ曲が思い出される。
 テーマ曲を語ると、ストーリーが思い出される。
 どちらを思い浮かべても、その頃の自分が思い出される。

 映画の楽しさって、そういう点にもある気がするのですがいかがでしょう。
 二度と戻らない自分だけの思い出に重なる、あの映画、この一曲。

 受けた感動とか、心にのこる名優の好演。
 シーンにぴったりで、今も口ずさめる印象深いあのテーマ曲。
 そうした自分だけの思いは、一言で済んじゃうものではないと叫びたいときはないだろうか。
 一言で、あれ良かったな、と口にしたとたん、唇が寂しく心が虚しい。
 やはり秘めた心は、あっさりと人前で開いちゃいけない。
 あとに寂しい風が吹くから。


 それだけに、テレビ再放映などで解説者が、懐かしいあのシーンやエピソードを熱く語ってくれると、そうそう、とうなずいたりしちゃう。

 そうした私的嬉しさのひとつをバラせば−−
 米インタビュー番組で、フランシス・フォード・コッポラ監督自身が語ったあの話。
 いうまでもない彼の出世作「ゴッドファーザー」のエピソード。
 それを「淀長」っぽく書けば−−

 はい。あの映画は、そう、コッポラ監督の大のだいの出世作ですねぇ。
 でもぉ、実際は、あんなにあたるとは、初め誰も思わなかったんですよ。
 まだ二流映画の監督だったコッポラが、「ゴッドファーザー」の原作を読んで感銘を受けた。
 それで、あるとき。彼が勤める映画会社の重役連の、企画会議にでて。
 どうしてもこの映画を撮りたいと提言したんです。はい。
 で、怒られた。
 とんでもないと拒否されたんですね。

 だいたい主役はだれにするつもりだと、ことのついでに訊かれた。
 彼は答えました。
  マーロンブランド!

 重役はまた怒った。はい、あたりまえでした。
  ばかも休みやすみ言いたまえ。彼は大物だ。第一、ライバル社の看板スターではないか。
  わが社が使えるどうか分からないのか。考えてものを言え!

 まあ、口を揃えて怒るエライさんの顔、かお、かお。
 でもぉ、彼はめげなかった。
 はい。退かなかったんですねぇ。
 まあ、エライ男です。世に出る者は、こういうところが違う。

 コッポラは、ねばった。がんばった。
 それで重役たちも、ちょっとだけ、気持ちが動いた。

  じゃあ、いいか。もしも失敗したら、クビだぞ。
  まず、カメラリハーサルで一コマ撮ってこい。それを見て、もう一度検討しようじゃないか。
  当人との交渉は君が個人でやれ。
  会社同士の交渉できる相手ではないからな。われわれはノータッチだ。それで良かったらやれ。

 当時、コッポラは名の売れた監督ではなかった。
 マーロンブランドといえば、世界的大物。
 まさかブランドに、カメラ持ち込んで試しにカメラリハーサルで撮らせろなどと言える立場のはずもない。

 でも、とにかく、電話、入れました。
 はい、ブランドが、電話口まで、出ました。

 何をどうしゃべったんでしょね。

 でもなんでも、やってみるべきじゃなぁ。
 若僧コッポラの熱意に、感じるものがあった、らしいブランド。
 あの大物が、アポイントを了解してくれました。

 その当日。
 テスト用カメラが回りだすと、大物ブランドは、坐った椅子を向こうの壁に身体ごと向けてしまった。
 どうした!?

 さあ、一瞬あせったコッポラと、カメラマン。
 しばらく沈黙。
 どうしよう。

 と、……ゆーっくりこちらに顔を向けた、ブランド。

 肘掛けの椅子で、鷹揚に顔を傾いで。
 上げた片手でほほのあたりを、指でかるく掻く。

 酸いも甘いもかぎ尽くしたマフィアのドン。
 大親分のビトー・コルレオーネの、あの間をおいて、しわがれ声で話すイメージをその時点で創って演じてみせた。
 これだ。OKです! ブランドさん。

 はい。さっそく重役会議に持ち込んだ。
 皆を驚かした誇らしげなコッポラ。見えそうじゃなぁ。

 ゴッドファーザー、第一作の誕生にはこんな秘話があるとコッポラ自らが語ったのでした。


 さてこの作品の音楽は、イタリアの巨匠、「太陽がいっぱい」「ロミオとジュリエット」のニーノロータが担当した。

 映画が始まると、響いてくる音。
 トランペットでしょうか。
 男の悲しい背中、の音がする。

 この映画、一番のテーマがそこでしょうか。
 男の何が悲しいか・・

 ストーリーの山場で。
 ブランドの役、父、ドン。ビトーは襲撃されて瀕死のベッドに。
 息子マイケルの機転で助けられて、癒えて、起きてみれば・・

 不肖の息子、長男が、溺愛の妹の結婚生活に要らぬ口出しで、手を出したすえに軽率な行動で罠にはまる。
 その結果、マシンガンで全身蜂の巣にされて、死す。

 息子の無惨な亡骸を前にした、老父ブランドは……言葉も少なく。
  ああ。われはなんという悲しい稼業だろうことか。
  自分が撃たれ、愛する息子までがこのようになったとは、と天を仰ぐ。
 父は、もはや言葉もなく。涙も涸れて。わが身を切られるより辛い様子。

 ひとりの父親のしぼる様な悲しみを、これでもかと無言で演ずる名優ブランド。
 非情なる親子の別れは、親あり子のある者に、その辛さ痛さを共感させずにおかない。

 俳優同業の皆が、あのシーンの演技には背中ぞぞと走るものを感ぜずには居られなかった、との語りぐさを遺した。
 主演男優賞に値すると認められた名演、その核心といわれます。

 そしてまた、コッポラ監督。あの大物俳優を30歳代で撮った。
 先のエピソードは30歳代です。

 もっとも大物俳優といえど、映画は監督が生み出すものと目的をひとつにして、傲慢な態度で監督と衝突など滅多にしないものだそうです。
 いやぁホントにあの映画は、まだまだエピソードいっぱいでした。
 パートUまでもが米アカデミー賞の名作です。

 はい、お時間です。

 というわけで、エンターテイメントといえば米国映画。
 そのなかの好きなこの一作とテーマ曲でした。
 オーケストラ演奏などもいいが、古くはアンディ・ウェリアムスの歌[Speak Softly Love]が、なかなかに味があって好きだなぁ。

 さいならサイナラ、さいなら。

               記:2004/02/14





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