<この文章は商業的な意図をもって書かれたものではありません>
文芸工房 紅い靴 エッセイ
2006年12月31日
映画「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」
BS番組紹介で再放送があるというアメリカ映画「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」。
その思い出しの記です。
さて今ではかなり知られた言葉、トラウマ。
語源など詳しいことはネットなど検索していただくとして、極めて私的解釈でいえばこの場合は、幼いころの精神的肉体的な痛手による心の傷。
言い切ってしまえば、受けた幼児虐待の苦しい思い出、といえそうです。
グッド・ウイル・ハンティングと題したこの米映画が扱ったテーマがそれ。
トラウマ、心傷をもつ若者のおハナシ。
さて主人公の若者は並の若者でない。
頭脳はピカイチ。
ただし職無。ニホンでいえば、フリーター。
とはいえ親のスネを囓っているというのではない一人暮らし。
先にいうトラウマを深層にもっている、ひねくれ者だ。
虐待の経験から大人への不信感が強い。
愛情の不足が原因か、常に抱く不満により世間に周囲の人々に当たり散らし、歯向かい汚い言葉で口論を仕掛ける。
ときに社会に背を向け、犯罪行為もある。
受けた虐待は、はけ口として他人や社会へ向かうのだろうか。
先にもいうように、そんじょそこらの半端な頭脳の回転ではないから始末がわるい。
そんなわけで大概の人はそのとげとげしさに退いてしまい、差しのべる手もない。
従って片隅で貧して暮らしているということになる。
ある夜、日雇いアルバイトの清掃作業をしていた。
場所は優秀大学校の舎内。
深夜の廊下でふと見れば、学生向けの掲示板に、数学の極めつけ難問課題が貼られてあった。
これを解いてみよ、と。
在学の学生が頭をひねってよじってしまうこの難問。
これを見つけたひねくれ主人公は、何とすらすらと解いては書きなぐる。
そして何事も無かったように床ブラッシングを続ける。
やがて難問の回答者を探しはじめる高名な教授。
再度の課題を餌にしておびき出すように見つける。
そして就学を勧める。
だがきかず、息巻いて、より高度な高等数式で教授を超えてしまう。
また別の夜。
若者溜まり場で気取り優等生のことばを小耳にはさむ。
と、社会史論争などを仕掛けては、きりきり舞いさせる。
非論理的でも矛盾もなければ、若い相手はシッポを巻くしかない。
そのついでにと、彼女まで口説いて横取ってしまう。
・・・けれど、あくまでも彼は、若者だ。
トラウマの苦しい過去を抱えた心傷をもつ生身の人間である。
彼は産みの親に捨てられた孤児であった。
その後あずけられた先の育ての親から、辛く悲しい虐待を受けて育ったのだった。
今はその親から逃れて、独り住まいで生きている。
そのなかで悲しい生い立ちの夢を見ることが多いのだ。
出生不明なおれなんて、どうせ誰も……。という捨て鉢投げやりに、学びも職も真剣には取り組もうとしない。
そんな彼は、やがて日陰の心理学講師と出会うことになる。
数学の大教授の友人であるその教授に、心傷が不平不満捨て鉢人生の元であることを見抜かれる。
そしてご苦労にもその先生は、明晰なる頭脳が起こす反抗抵抗を受けながら、行きつ戻りつも彼の心を慰め、癒し、そして解きほぐしてゆく。
やがてある日の会話で、ついに彼のトラウマの記憶の核心に触れる。
若者は、深層に巣くう恐怖と孤独感にさいなまれた日々を思い出す。
冴えた頭脳は隙など絶対に見せないはずが。
悪夢のごとき幼き日の、逃れようもない暴力にいたぶられた記憶を見透かされ、泣きもがく。
「そうさ……つらいなってもんじゃなかった。だって、見てくれこの背中……たばこの火を押しつけやがったんだ。そんなことがしょっちゅうさ。あんたになにが分かる…………」
どんな高い知能をめぐらせてもがいても、感情のひだに染み込んでいる人間としての辛さには勝てず消せない。
「いいんだ、忘れなさい。悲しい生い立ちはどれも君に責任はないのだから」
静かに穏やかに、彼のすべてを受け入れる先生の抱擁が心に浸みる。
「回転の速い君の頭脳だ。難解な試問も分厚い本の筋道のはるか先を読み抜くのも容易いだろう。それは分かっている。
けれど、泣きくづれるほどの恋の切なさや、地上にたった一人の心許せる女性を見出して、共に迎える朝陽の幸せなあの光の嬉しさまでは、計算出来ないだろう。
なぜならそんな方程式などどこにもないのだから」
・・と、すでにこの世にない愛しい妻の面影を胸に秘める先生は、ただただ真心ひとつで説き諭す。
このシーン、主人公の若者と、先生の演技は見所で、山場だ。
人間の左脳(知能)は、しょせん右脳(感情)のしも部なのだと感じる。
誠意は、正確さよりも人間には必要なのだ、と感じる瞬間だ。
いうなれば人間愛。または人の出会いと人生の岐路。
そしてそれこそが辛い過去と決別して、新たな「旅立ち」ということになるのだろう。
彼はここに至って、人生における初めの心許せる師を得た。
というのが実におおまかなストーリー。あとは見てのお楽しみ。
たしかに、いかに優秀だとて、飛び級はけして出来ない事が限りなくこの世に存在する。
日常の人間関係や永き人生の辛苦は一歩ずつ越えてゆくしかない。
近道などないし、マニュアルもない。
ところが若いうちは、ややもすると日常生活のなかに何気なくあることや出来事は、さほど意味もないと思ったりする。
あるいは誰でも何の苦もなく行っている様に見えてか、軽く扱う。
未踏の人生の先を知らないがために、この世の大事なんてものはそんなもんじゃないさと軽視して、大げさで最上段に構えたがり、声高に唱えたりする。
そのたびに一大発見でもしたかの様に、特別な存在にも思える自分を過信したりする。
まあ誰しも多少の差はあろうが、無茶そして後悔など多々経験があるわけです。
愚かではあるが、それが若さ。
もちろんそのまま一生続けるわけではないのだが。
ですが、これにさらに映画の様に、世の人のすべてが信じられず頼れない、まさに愛の無い寂しく暗い道を、天涯孤独で生きる若者であってみれば。
反抗の言動も一段と根深いものになるのでしょう。
ただの反抗期ならともかく、実際のところトラウマの心傷を癒すことはなかなか難しいといいますが、いかがなのでしょう。
などなど、子どもへの虐待が話題になり、低年齢化や意味不明な動機な犯罪をいわれる現代社会の親として大人として。
ふと立ち止まり考えさせられる映画、「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」でした。
最後にご参考ほどに加えれば。
この映画は1997年度米アカデミー賞のなかの脚本賞と助演男優賞を受けました。
とくにこうした地味な話の脚本は、主人公若者役のマット・デイモンが書いたことは意味深い気がします。
実際彼はハーバード大学で学んだ秀才です。
当賞の主演男優賞ノミネート(候補)にも上がったほどの名優である。
この構想を練った末に、自たちで映画会社に売り込み、ここまでこぎ着けての脚本賞受賞。
受賞式ステージでも、友との歓喜で大いに盛り上がった笑顔を見たのを憶えています。
あの若さで映画人魂さえすでにその歳で身につけているだけに先が楽しみでした。
そういえばお馴染み「プライベート・ライアン」で、助け出されるライアンを演じていた。
また心を解きほぐす先生役を演じたのがこれぞ大物ロビン・ウイリアムス。
この役で助演男優賞を得た。
私は「グッド・モーニング・ヴェトナム」の主役熱演が印象深い。
彼本来のキャラクター、陽気茶目っ気ユーモアは当「グッド・ウイル・・」にはなかった気がします。きわめて地味な演技でした。
どがーん。ばぎゅーん。の多いハリウッド映画も911の一件以来かなり静かとか。
そうしたアメリカ映画に誠意を探し見ることができた数少なく、また今どきの教育改革ニッポン社会にこそお薦めの映画でした。
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