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夢舟亭
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夢舟亭 エッセイ     2003/02/19


    鼻血


  ただいまー! おとうさーん、どこ〜?

 学校から帰ってきた次男が息をきらしてわたしの部屋にとびこんできた。

 あの土曜日、小学四年生だった次男は、使い込まれてひしげたランドセルを背中からおろした。
 そして、貰ったんだと、ぺたぺたにゆるんだ革の被いをあげて、噴きでる汗も拭わないで顔を突っ込むと何か探している。
 ぶつぶつ言いながら掴みだすと、わたしの前にもってくる。
 その目は、ほらねっ、と言っている。

 アルミ箔の銀ぎらが、ハートの形に押し痕でふち取られ板状にくるまっていた。そのアルミ箔を一辺づつおし拡げる。
 と、手つかずの茶色ハートの原型はどこも欠けていない。
 大きさは次男の手のひら半分ほどだ。

 いくら無粋な父親でも、これを目の前にしては理解した。
 本日はバレンタインディなのだ。
 そういえば朝登校の出がけに、新聞見のわたしの隣で妻と子らがなにか話題で盛り上がっていた。あれはバレンタインのチョコレートのことだったと思いあたる。

  ほう。こりゃあ大したもんだ。へーい手作りか。どれどれ。
 手を出すわたしに、だめだよとばかりに引っ込める。
 これは大事なんだからねというふうだ。

  だれに貰ったの?
 そこは男同士。貰う気持ちは分かる。
 からかい口調で顔をよせる。
 途端に次男の大きな目が弧を描く。
 くっくっくっと、喜びを隠しきれない。

  なんだぁこいつ。どうした。えっ。言えよ。だれ? どこのだれだよ。
 肩のあたりを小突いては、こちらも男としての口調で問う。
 うーん、と顔をかしげて、しばしわたしの目をみつめる。

  誰にも言わない?

  ああ言うもんか。

  そう。なら言う。あのね、A子ちゃんさ。
 くくくっと肩で笑いながら口をおさえる。
 そしてここまで言えば用は達したとばかりに、アルミ箔の周りを順ぐりにたたみ込んで仕舞う。

  あれぇ。しまっちゃうのかい。

  そりゃそうさ。
 見せびらかせておいて自慢し終えると、満点の答案の成果にだって見せない得意顔で出て行った。
 もちろん恋だとか愛だというものではなかろう。
 それにしても日に日に成長してゆくものだと、読み途中の本を閉じたまま窓のさきの雲を見つめた。


 夕がた。部屋の灯りを点そうとすると、どっどっと廊下に足音が聞こえた。
 ドアのノックもそこそこに入ってきたのは長男だった。
 中学一年生ともなるとわたしの部屋へは滅多に顔を見せなかった。
 その長男もこの日だけは報告があったのだ。
 上着のポケットから無造作につかみ出すそれは、赤いリボンが結ばれて四角の、きれいな包装小箱だ。
 ひとつ、ふたつみっつとわたしの机に並べてゆく。

 小学生生活から中学に進んでほぼ一年。
 男の子ともなるとこの年齢は少なからず自己顕示欲が増す。
 ぼくなら当然だけどねとばかりに、あとふたつほどを反対側のポケットからもとり出した。

  へーい。さすがお兄ちゃん。モテるんだな。

  父さん。喰ってくれよ。どうしようもねぇ。
 不愛想に七個も並べてはいっぱしな男を装う。

 あとで妻に聞いたことだが、この年齢は女の子もまた捧げる男の子が多い。
 あちらこちらの男子に渡してはバレンタインを数で競って愉しむという。

 そこへ次男が顔をのぞかせた。気になっている兄の成果を確かめにきたようだ。

  どへぇー。すっゲー! 七こもかぁ。お兄ちゃんモテんだなー。

  おまえは。

  ぼ、ぼく。一個、だけ。へへ・・。

  ちぇ。たった一個。しゃあねぇな。

  うーん。でもさ、ほんめいチョコだとおもうんだ。

  ばーか。だれにもらったんだ。見せろ。

  あ、うん。これ。
 次男がうしろ手に持ったアルミの包みは手製チョコのハートの形がまだそのままで、まだ口をつけていない。
 もっともその形はいささかいびつではあるのだが。

  これっ、作りもんじゃねえか。ダッせぇー。

 数年前に十四歳が起こした殺傷事件が話題になったことがある。
 あれは極端な例としても、この年齢に入った男の子は小学生のころの親にとって安心で扱いやすいペットのような物わかり良さが消え始める。
 わが家で一番上であるこの子も、子どもらしい小学校の生活から中学へ進んむと、一挙に三年生の大人びた先輩を真似だす。
 それも成長する男の一過程だと大目にみていた。

  うん。でもねA子ちゃんがね。お母さんにおそわって溶かして、作ったって。

  A子って。あのY町の、橋の通りのか。汚ねえな。これお前食う気か。

  うん、そうさ。へへへ。

  汚ったねくって食えやしねえ。知らねえのか、あのうちはな・・。

 いま思えば当時の長男へのわたしの期待は小学から幾分過剰だった。
 小学校ではどうにか持ちこたえた成績もあの頃から疲れがみえてきた。
 どうしちゃったんだお前はという視線をあびせていたのへ、年齢相応の不満と反発が中学で増し始めた。
 ぼくは父さんが考えているようなタイプの人間が素晴らしいとも思わない。だからそういう種類の大人に成りたいと思わない。
 崩した態度や言動に示し始めたのだった。

 そうしたさなかのバレンタインディだった。
 次男とわたしが先に交わしたであろう会話を、今までの自分の経験から見通したうえで、そんなきれい事を中学にもなったぼくは言いやしないと、A子の家の恥をあばき始めたのだ。

  A子ちゃんの家って、こまってんだね。

  ああ、A子の親はばかだからな。とくにおやじはばかだ。オンナめっけてどっかへ行っちゃったんだってさ。おまえ意味分かんねだろう。あんなばかなうちの子と関わるヤツはあほだ。おまえのほか誰か貰ったのか。

  ううん。ぼくだけ。でも、ぼくのために作ってきたんだ。

  ばっか。ほかに貰いそうなやつ居ねえからだろ。何が入ってるか分っかんねよ。食えねえよ。ほらこれ食え。そんなもの捨てろすてろ。

 長男は自分が貰ったなかの一箱を差しだし、かわりに困ってしまった次男の手の中のチョコをわしつかみにしようとした。

 正しいこと、きれいな言葉、優しさ、思いやり。
 どこの子もそうだろうが、そういうことを妻やわたしから耳にタコで教え込まれてきた長男である。
 この状況を良しとしているわけはない。
 良しとしないことこそが、お仕着せから自力で自分的世界に抜け出ようとする理屈で割り切れない大人への男道。そのあがきなのだと思う。

 だからこの時期から先の男の子は、個人差もあろうが、「話せば分かる」「人間は獣とはちがうのだ」などの声が届かないトンネルに入るときがある。
 ちょうど月光を見て豹変する狼男に、理屈が通じない様なものだ。

 そのターゲットにこの場合弟のAちゃん手作りチョコを選んだにすぎない。放っておけば際限なく弟を困らせる。自分では停めようもない暴走でもある。

 よかろう。大人の坂道に大いにトライせよ。精一杯自分が思う大人への道を登ってみな。
 わたしもひとりの男として大人の門に立って歓迎しよう。
 必要な軌道修正には遠慮しないから覚悟しな。
 そういう心づもりが男親としてのわたしの腕にみなぎった。

 わずか一、二秒のあと。
 長男はわたしの部屋の壁に顔をぶちあて、鼻から一筋血をながしてころがったのだった。
 人の好意にそんなことを言ってはいけないという理由は、いちいち説明しなくとも本人は分かっているのだ。
 そのときの軌道修正のための外圧エネルギー量で自分の戻り幅を理解するしかない。

 あれから何年間か。このわたしはそうした命四っつと格闘してきたものだ。


 そりゃあ殴られた意味なんて百も承知だったよ。
 長男はいま、自分の手の中に小さいちいさいわが子を抱いている。
 その寝顔に笑みをそそいでやっている。
 わたしは、おまえもその子に手をやいたりするのだろうかと心のなかで呟いたものだ。


 さて今日。あの次男の、彼女のすがたが拝める日だ。
 朝から落ちつかないわたしたち夫婦。そして長男と孫がこうして昔話などしながら待っている。
 そんなひとときの懐かしいバレンタインディの思い出話だったのだ。


  ただいまー。父さんいるかぁい。





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