エッセイ 夢舟亭 2007年04月28日
春沼の死闘
春。日向(ひなた)が、小池水面のさざ波にきらきらゆれる季節。
この季節になると、町はずれの、ひょうたん沼を思い出す。
大川から離れたあの辺りは灌漑用水の池が多く、山から流れてくるせせらぎを集めた水を溜めていた。
池は小学校のグランドほどの広さだった。
雪の多い年の春には満水となる。
水面には、勢いよく水草が、新芽をつき立てて群生していた。
沼の土手には、ふきのとうの黄緑の芽がふっくらと生えでていた。
つくしん坊もひと肌色の茎を、にょっきにょっきと伸ばしてくる。
ちっちゃい青の花びらで芯が白いすみれや、まっ黄色にまるいたんぽぽもぎざぎざな葉に守られて咲いていた。
沼の向こう岸の山肌一面には、橙(だいだい)色の油絵具をぺたぺた塗ったように、やま吹きが群生していた。それは緑の枝葉の色と似合って、さわ吹く風にそよいでいた。
町からは隣村への街道が通っていた。
あの沼はその道路からはずれて田畑のほうに曲がる。
草を踏みながら小道を行くのだ。
町を見下ろす東逆山(ひがしさかやま)の登り口。
山から続く雑木が絶えた、萱(かや)地に。
ひっそりと田んぼの溜め水をかかえて、ひょうたん沼はあった。
この季節は、やま桜が、ひらひらと薄桃色の花ふぶきを降らして。
沼面を薄紅に彩り。葉をのこす木々が映っていた。
そんな春の明けがたに、中学生の私はよく釣りにいった。
さわさわとした朝の涼しい風が、ほほをなでて沼を渡る。
水面に小波を立ててすぎる。
その岸辺に降りて、釣り場をきめる。
一通りの釣り具が入った菓子の小缶をひらいて、竿に糸やウキ、針をつなぐ。
空き缶からつまみ出した薄紫色の縞みみずを、「し」の字形の釣針に刺し通す。
みみずはまだ充分に生気を残していて、くねる。
竿をひと振り。
沼のなかに釣り糸を放つ。
ぽちゃっ。
しずかな沼に、棒状のウキが赤くつっ立って、小波になぶられながら揺れる。
釣り竿のさきから水面にS字を書いた釣り糸が、ウキまでいってそこから沼のなか真下に沈んでいる。
朝の陽が昇って間もなくのこの時間、ひょうたん沼は小ぶなが釣れる。
魚にも朝食の時分というものがあるのだと独り合点していた私は、眠い顔にあくびをしながら沼の淵で竿を差しだしていた。
沼の水面にはその影が揺れている。
仕掛けがすんで、ふっと一息のこの間しばらく、森林入り口の沼の静寂をかみしめる。
野鳥のさえずる声に気づいたりする。
やがて、ウキが波の揺れとはちがう上下の動きが数回。
つんつんと沼のなかで、たしかに何ものかが釣り糸を引いている。
沼の魚がみみずの餌を朝食とみとめたのだろう。
ウキから同心円の小さい波の輪が風の小波とはべつに広がる。
水中で餌をくわえて持ち去ろうとする小魚の動きは、糸から水面のウキに伝わって見える。
ウキを見つめる私は固唾をのみ竿を握りなおして、赤いウキの先に視点を集め、もうひと引きを待つ。
くくーっ、とウキが水中に引き込まれる。
今だ。この時しかないつり上げのタイミング。小学生のころに憶えた勘だ。
水平に差しだしていた竿の角度を縦にして、糸を上げる始める。
最初の一瞬は急激に、ぐいと。
と、ぶるぶるっと強引に沼のなかに引き戻す力が伝ってくる。
釣れた。
竿の細い先が弓なりにしなって、釣り糸はぴんぴんと張り、左右に動く。
掛かった。釣れている。
水中で、引き上げられてくるときの魚は自分が陥ったこの危機から必死でのがれようと暴れまわる。
だからぐいぐいと引いてゆく。
この手応えこそが釣りの満足感のすべてかもしれない。
この瞬間、釣り針をくわえた魚体の大きさが何倍にも想像がふくらむ。
獲物の姿を見るまで興奮が沸きあがる。
引きあげるにつれて、沼のなかで陽の光をにぶくはね返す銀の鱗を見とめる。
獲物の魚は、生まれ育った水世界を離れるその間ぎわに、尾びれで水面をたたく。
私はぶら下げ引き寄せるその姿の大きさをしばし楽しみ、仲間が居るときは大小を競い興じる。
思えば、そうして何十尾もの生命を釣り上げては楽しんだ。
釣り上げて持ち帰って後に、魚をどうしたかはあまり憶えていない。
釣り上げた魚に餌をやった憶えもない。
釣りというものは、魚も釣り餌のみみずも、生命を弄(もてあそ)ぶものではあるが、釣り上げた魚に哀れみを感じたことはない。
では生命というものに何も感じなかったかというと、自然世界はもっと意味深い光景も提供してくれたものだ。
陽が昇りきってしまうと引きはぴたりと無くなる。
魚たちの朝食が済んだ時刻なのだろうか。
釣った魚、ふなが、足下の岸辺に浸した魚籠(びく)のなかでくねって暴れ、ぴしゃっと跳ねる。
一番先に上げたのより、三番目のやつが大きいな。
でもこの沼にはもっと大きいのが棲むはずだ。
鯉と見分けのつかないほどの大ぶなを釣った仲間もいるのだから。
釣り人の心情は、大人も子供も大方このひとつの望みに極まって、やめられない。
けれども抜けるような春先の青空が水面に映して静かに時間が流れるだけ。
かっこー、かっこと、向かい岸の木立の奥で鳥が鳴く。
ちょろちょろと沼に流れ込む清水の音が聞こえる。
釣り竿を持ち疲れて、足下の柔土に突き刺して置き、背面の土手に寝ころぶ。
ほっかりとした日差しが、朝の早起きで残した眠気を誘いだす。
うつらうつらとしたそのとき。
カサッ。ツツツ、ツツツツツ・・・
寝ころんだ私のあたまの上のそばを、沼の水辺に向かって、何か走った。
一瞬何か分からず。まばたきひとつで、緊張を感じて見れば。
小太りのあお蛙だ。
身体に似合わない速度で、跳びはねるというより、土手から転げ落ちるように。一目散に駈けでて目の前を過ぎた。
急な土手を下りおえた蛙は、沼の淵へ。水面に向かっておもいっきり跳んだ。
手足を延ばしきった中空の蛙は弧を描く自分の姿を水面に見たことだろう。
しかしその水面にむかってもうひとつの姿が伸びて、追いついた。
蛙の地獄の始まり。
ツツ〜っと身をひねり水面をたたいたのは一匹の蛇。
後から追って迫って、岸辺から棒状に身を乗り出すと、わずか歯先ひとつで蛙の後ろ足の水掻き皮一枚を、噛んだ。
そのシーンはスローモーション映像を見るように、私の記憶に焼き付いて残った。
両者が水面に落ちた水しぶきのなかで蛇は次の行動を起こした。
くくーと鳴いてはばたばたと水を掻いて逃げようとする蛙をけっして放しはしない。
黒く長い背とクリーム色の腹部を、のたうつようにして蛙にまとわりからみつける。
しっかり抑えた蛙の前面に顔をひねって睨む。
かっ、と上下に開いた口を蛙の頭にもってくると、蛙の鼻先にかぶりつく。
蛙はまたくくーっと鳴く。
無理にも蛙を含もうとするが、蛙の身体は蛇の身体よりもおおきい。
どうするのかと見入るまもなく、蛇の首までの口をさらに割って蛙をくわえたまま顎をはずした。
蛙はたっぷりと伸び広がった蛇に頭から含まれた。
一口一口。ぐっ、ぐっ、と唸るように飲み込んでゆくと、やがて蛙は伸ばして残った後足を蛇の口にでているだけになった。蛇の腹はぶくりと膨らんだそれを奥にすすめる。
やがて蛙の二本の足も、きれいに飲み込まれて蛇の腹中に消えた。
私にとって小魚を釣るのは遊びだ。
しかし蛇の恐ろしいまでの食事の光景は、彼らの命を保つための真剣な生きる姿なのだ。などとはずっと後になって思い知ったものだ。
そんなことを思い出す今日この頃。
春の陽気は今年もかわらず自然の生気をどんどん育み放出してくるように見える。
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