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夢舟亭
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夢舟亭 エッセイ     2007年04月05日


    発声障害


  泣くなよぉ。おれもかなしくなっちゃうよぉ。おれだってさぁ……。

 チューリップの植え込みがある保育所の玄関先で泣きじゃくる。
 置いて出る私の後を追って、着いてこようとする弟の手をつないで引きとめる兄のほうも、半べそ。

 その二人の子を見守る保母さんに、挨拶もそこそこでクルマを発進。
 大小お揃いの帽子半ズボンで突っ立つふたりの姿が、バックミラーのなかで小さくなったっけ。

 そうした春の朝も、すでにむかしの話になった。


 今ではそれぞれに自活して、兄のほうは家庭をもち子どもふたり。
 泣きじゃくっていた弟のほうも、すでに30歳に近い。
 仕事の状況など訊くと、新人らには手をやくよとかなんとか、したり顔をする。


 泣きじゃくって兄に引き止められた三男であるこの弟のほうは、あの後、話し言葉に支障をきたした。
 吃音、つまり「どもり」はじめたのだ。

 どもり、といえば「山のあなあな・・・」と丸顔にメガネの落語家三遊亭歌奴が、新作落語で、自分の吃音の昔を語って笑いをとっていた。
「たちつてと」など息を吐く言葉に詰まって、一音をくり返すあれは、当人にはつらく恥ずかしいものなのだ。

 それが五歳の子に現れたのだから私たち親のほうが驚いた。
 医師に相談すると精神的なものではないかという。

 当時収入の乏しかったわが家では、夫婦共稼ぎ。
 子どもを母に預けていた。
 この子で三人目の子沢山となれば老いた手にはあまる。

 そこでまず上二人を近くの公営保育所に預けて働いた。
 その長男も小学校へ。
 その春から三男を、残る二男といっしょに預けたのだった。

 子育て経験のあるかたは分かるだろうが、そのときまでの育て方も関係するし、子どもの性格もいろいろある。
 家庭から集団生活に切り替わっての子どもの反応はさまざまだ。

 この子の反応は上二人とかなり異なった。
 日がすぎても一向に保育所の皆にも雰囲気にも慣れなかった。
 前述のような状況が毎日つづいた。
 日中も似たような寂しげなものだと告げられた。

 寂しさの毎日が不安になって、言葉に自信を失って。
 仲間にも兄たちの活発な早口にも交ざれず出遅れてしまうようだった。

 これに妻は悩んだ。
 その症状があらわれるたびに、落ちついて話しなさいと顔を覗く。
 これが身に付いてしまったら大変だと。
 やがて原因を確信して、職を辞めると言いだした。
 わが子をじっくり自分の手で面倒みるべきなのだと唱えたのだ。
 こういう事を二の次にしているようでは親ではないと。

 私は、だって収入が……と喉まで出ていたのを止めては、しっかりしてくれよと三男の不安顔をにらんだ。

 今思えば、私は何度かの転職の繰りかえしの頃だった。
 だがこのことがあって落ち着いた。腹が決まった。
 高慢なこの空元気男は、あのときの収入減によって仕事観が地に着いたのだ。

 妻は、この三男の集団になじめない不安感解消のために、自宅に閉じこめたりしなかった。
 この先の入学まで、集団に慣れさせることが第一に考えた。

 そちこちの集まりの場を見つけ出しては自転車の荷台に乗せて。
 毎日駆けずりまわった。

 当時いなか町とはいえ某会と称した保護者付き添いの親子の集いが開かれていた。
 そのころから公営の保育園はなかなか空きが得られなかったのかもしれない。

 公に認められていたのかどうか、資格や規制の多い今なら難しいだろうが、互いに集まった親子で、ノリやハサミの細工物あるいはパズルやゲームを毎日のようにやっていた。
 三男は自宅でも復習することで手作り好きになった。
 好きになれば上手くなる。
 それを褒める。
 上手くできると分かれば自信が付く。

 その成果だろう。
 入学前でほぼ吃音はなくなった。

 この苦労のおまけとして、三男にはじっくり取り組む癖が付いた。
 お勉強は二の次の兄弟のなかでは、珍しい勉強好きになった。

 中学の辺りでパソコンの時代となって、好きなことへは独りじっくり取り組む性格にフィット。
 当然のように飛びついた。
 そこで私は情報系の大学祭に連れ出してみた。

 あのとき目標が定まったと当時をふり返る息子はそのときの思いを抱いたまま入学した。
 そして院生にまで進む。
 修学後は順当な職を得て今に至っている。

 人生、何がどう影響するか分からないということだ。


 家族そろったお彼岸に、私の親の墓に参るのは通例。
 自宅にもどって歓談に杯を交わす息子たち。

 それへ親の遺影を見ながらそれぞれの息子に関わる昔話。
 老夫婦はさかんに恩着せがましく並べ立てる昔話。
 それら大概が、皆には耳にタコができるような繰り言なのだ。

  ・・そんなわけだからお前は母さんには恩が多いよ。
  そぉですとも。どもりが大変だったんだから。誰のお陰でここまで無事大きく育ったと思ってるの。
 いつものことだが皆大いに笑う。

 後に生まれた四男と顔を見合わせる下兄弟、独身組。
 誰のお陰かなぁ、と口をとがらして軽い冗談を返す。
 子どもをあやして、それぞれの話を笑い、受け流す家庭持ちの上兄弟とはここがちがう。

  人間ってものはね母さん。親が無くても育つんですよ。そうしてみればまぁ太陽の恵みってとこかな。
  そうですよ母さん。この地上に生きるもの皆、自然の摂理にしたがって光合成で細胞分裂で増えて。それをぼくたちが摂取して育つ。このサイクルは誰が止めようったって無理。育っちゃうのです。

 などと、何とも可愛くない言葉を、どもりもしないで放つ。

 と、親も兄弟もその妻子も、皆が口のものを吹きだすほど笑う。

 言われた妻は、しばらく言葉が無い。
 そこで、いつもの決めせりふを返す。

  そんな屁理屈いってないで、今度来るときはせいぜい良い人連れて来ることですよ。
  そうだとも。子どもを育ててみればね、少しはその屁理屈が変わるさ。
 私も妻に加勢のひとことで支援する。

 春の日。親側としては、勝ち目のないジョークバトルを、ぎりぎりのところで切りあげたものだ。




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