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夢舟亭
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エッセイ  夢舟亭      2008年04月10日



     ヘストン逝く


 私のようなムサくるしいアジアのおっさんにも若いときがあった。

 でも若者みなが生きておっさんになれるかどうか。
 未来のことは分からないのだから。

 でも誰にも死はおとずれる。
 それは確かだが、それがいつなのかは分からない。

 私が今こうしてキーボードに触れていられるのはこの年齢まで生きていられたから。
 そして今日何人かが逝ったように、私にもその日は来る。

 生きとし生けるみな命が尽きる。
 その時社会への影響などあるか。惜しまれる度合いの差だろうか。

 昨日、米国の映画俳優であるチャールトン・ヘストンが亡くなったという。
 享年84歳。
 私はあまり映画俳優への深い思い入れはないほうだと思っている。
 しかしこの人へはそうでない。

 そう言えるのは、私が多感なる若き日に観た真っ当な映画の主役だったということが大きい。
 真っ当な映画、とは何とも困った表現をしてしまった。
 その映画とは「ベン・ハー」(1959年)であり、「十戒」(1956年)であり「猿の惑星」(1968年)、ソイレント・グリーン(1972年)などだ。
 のちにも多くの作品を観たがどれもこれらより後であり、多感な時期を少々過ぎていた。

 当時の私は二十歳前後の田舎者だった。
 洋画の欧米の、作風の違いも分からず。
 話題作ならとばかりに通って観たなかの作品だったに過ぎない。
 だから今日で言われる価値は観てから知ったものだ。

 そんななかで観たこれら。
 とくに先の2作は、面白いものという娯楽エンターテイメントの域を超えて私に迫った。
 迫った、というのが言得ている。
 大作なのだ。
 宗教的であり生真面目な内容だった。
 洋画とはこういうものだとしっかり記憶した。
 ある意味で私の映画作品の評価基準になった。

 ヘストン主演でウィリアム・ワイラー監督版のベン・ハーは、たしか3台の映写機で映していた。
 特大のスクリーンに、光の3本の帯を投げかけていたのだ。
 音も四方から聞こえていた。
 仕掛けが何とも凄いのだ。

 パンフレットを目にすれば、数十億もの巨額制作費や、助監督ほかスタッフの多さに圧倒されたのを憶えている。

 そして名物の競技馬車シーン。
 本物の大競技場をあのままのサイズで造ったのだという。
 CGなど無い当時のその撮影。
 映画というものはストーリーの素晴らしさだけでなく、徹底豪華な映像、そして映像と音声、三拍子揃うとここまでになるのかと思った。
 そうした作品全体から迫るものに、ただ感嘆の叫びをあげずにいられなかった。

 当時はまだまだ手書きの看板であった。
 ストーリーのなかのクライマックスシーンの、その死をかけた4頭戦闘馬車レースを、大迫力に描いては映画館の屋根を隠していた。

 当時の私は、ユダヤ人とローマの関係など、ただ映画に観るまま受け入れるしかなかった。
 戦後のユダヤ民族が受けたナチからの非道行為は多くの書物で公開されていたから、ユダヤ人であるベン・ハーの勝利には大いに拍手を送ったごく普通の青年だったのだ。

 その主人公ハー家の息子、ベン。
 彼の役こそが、精悍な面構えのチャールトン・ヘストンこの人であった。
 以来、ヘストンの姿形や姿勢、リベラルな物言いなどは私の男的理想イメージとして、常にどこかにあった気がする。

 あの作品で彼は米アカデミー賞の主演男優賞を受けた。
「ベン・ハー」は最優秀作品賞をふくめ11種の賞を得たという。
 これは今日においても最多らしい。

 時は紀元30年ほど。つまりキリスト30歳のころ。
 ローマ帝国の傘下の国の一つとしてユダヤの民の地もあり、統治者はローマから派遣されていた。
 当時のローマ帝国内は統一の宗教というのは無く、それぞれのものが認められていた。彼らの宗教はユダヤ教。

 そのユダヤで、新興邪宗として要注意でマークされていたのがキリストと教え。
 旧来への改革の思いをもつのはいつの時代もどこの国も、若者ということだろうか。
 この人もそんな一人だったようだ。

 やがて信奉者が増えるにつれ、既成の宗派が苛立って、裁判を受ける。死刑である!
 重い十字の木材を背負わせて町を引き回せぇ。
 統治者はその裁定を認める。

 ユダヤの商家で由緒あるハー家にその人と歳が同じベンという男児が生まれ育っていた。
 ハー家に兄弟のようにして育った男児メッサーラ。彼はローマ人であり育って帝国の都にのぼって、軍人になった。出世して統治者として、町に凱旋する。

 ハー家の娘ベンの妹は、幼い頃からメッサーラにくびったけ。歓びは隠せない。
 またハー家の腕利き番頭には、輝くような娘がいた。
 ・・と、同世代の出演者が揃う。

 そして大型スクリーンいっぱいにそれぞれが友情や恋そして憎しみや復讐など織り交ぜて、壮大なドラマを展開することになる。

 原作者は米軍人であるルー・ウォーレス。
 1880年生まれという。原作の小説はベストセラー。
 芝居に映画に何度もなったようだ。

 この映画でのヘストンは、いかにも知性派好みの西洋好男子として演じた。
 ブルーの瞳と堂々とした身体をもって、正義感も誇りもけして隠さずぶつかって行く。

 それはそのまま当時のアメリカそのものだったのではないだろうか。
 世界が、アメリカに抱くイメージはヘストンによって形作られた気がする。
 その後ベトナムの名が世界を駆けるまでは・・。

 そのイメージは同時にハリウッド製作映画の超大作ブームの頃でもあった気がする。
 歴史的大作群のど真ん中にチャールトン・ヘストンが居た。
 つまり正義のシンボルというべきか。

 それほどのイメージに、近年陰りを与えたのも映画だった。
 2002年の米ドキュメンタリー映画 「ボウリング・フォー・コロンバイン」(監督マイケル・ムーア)が扱った、高校銃乱射事件。

 そのドキュメンタリー映画のなかで、全米ライフル協会の会員としてのヘストン老人に、制作者ムーアが質問をする。
 アメリカにおける銃社会と子ども達への影響を。
 受けて嫌な顔を写されたこの意外なワンシーン。
 それは100年のベン・ハーへの憧れも曇りそうだったという人は多い。

 ここで皮肉にも現在の嫌われているアメリカのイメージを、彼がかぶってしまった。
 世界を魅了させた輝かしいスターが、老いて後こういう晩年を迎えることになろうとは・・。

 ちなみにヘストン出演のベン・ハーの音楽作曲担当はミクロス・ローザ。
 スペクタクルに盛り上がるテーマ曲はシーンを彷彿とさせる。
 だから私は今でもときどきスクリーンミュージックのCDで楽しんでいる。

 しばらくぶりでよき時代のアメリカスペクタクル映画を思い出した。

 チェールトン・ヘストンに、合掌。




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