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夢舟亭
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夢舟亭 エッセイ     1997/09/18


    ホームの上司


「やあ、おはよう。
 キミぃ。そうあんただよ。
 昨日まで、姿が見えなかったじゃないの。
 どこへ行ってたのかな。

 なに、実家へ。
 ふむ、娘さんのところへか。ふむふむ。帰ってたんだね。なるほど。

 いやキミねぇ。それならそうと、長のこのわたしにさ、ひとこと言ってくれなきゃ。
 報告だよ。分かるでしょう、報告。
 困るんだなぁ。まるで、このわたしがさ、何ンにも教えてないみたいじゃないの。


 数日も空けるならね。電話くらいは、出来そうなもんじゃないのぉ。
 いや出来ない事情が仮にあるとしてもだよ。
 戻ってからでも、ひとこと言えないもんだろうかなあ。
 どういう意味かって!?
 連絡ですよ連絡。
 連絡をひとこと入れなさいってこと。

 長としてのこのわたしの、立場ってものが有るじゃない。
 社長、いや責任者に訊かれてだね、室長としてのわたしがですよ、知らないなんてことわぁ、言えんじゃないのぉ。

 な、なぜって!?
 こりゃ参った人だ。
 組織のなかの長と部下の関係ってものは、そういうもんでしょうぉ。
 だってもしかの場合ですよ。何かあったらどうしますか。
 そんなこと言われんでも決まっとるよぉ。

 ごほっ。
 で……。どう、娘さんたちとは、うまくいってるの。
 なぜそんなコト訊くかって!?
 そりゃあ相談も受けられない長なんて、ただ無能でしかないからねぇ。

 報告、連絡、相談。
 これをホウ、レン、ソウという。
 サラリーマンの基本でしょう。
 キミんとこでは、そういう社員教育が出来ておらんかったようだねぇ。

 ま、今こうして教えたわけだから、今後はちゃんと憶えてもらわにゃ困る。
 ぼほッ!」

「ちょっとちょっと。お爺さん。
 あなたは、すぐにそれなんだから。

 あのね。ここはホーム、老人ホームなんですよ。
 あなたは、とうに会社を定年退職したのですよ。
 もういつも忘れちゃうのよねぇ。

 お仕事コトバ上司セリフは、もう止めましょうね。
 人を見下すような言い方の上役命令コトバは、ここでは無しですよ。
 ね、もう忘れましょうね。
 みんな同じ立場なんですよ。いいですね。
 ほらほら、同じ部屋のみなさんが不愉快な顔してるじゃありませんか。

 『長』っていったって、あなたは今月だけの、この部屋の室長というだけなのですからね」

「そうおっしゃいますが。
 そこなのです。
 いやいや、このお方は、元一流の、あの凸凹株式会社の、部長さまだったのですから。
 私の様な三流会社の万年ヒラ社員とは、格が違う。

 ウチの上司なんてものは、相談も出来なかった。
 部下をアホウ呼ばわりするだけでしたからなあ。

 えへへぇ。
 ここに来て私も、一流会社に入社して社員になった気分ですわい。

 はい、部長!
 次からは、ご迷惑かけないように。ホウレンソウを皆に良く言っておきます。
 この場は、私に免じて。
 さあ、あんたからも部長にお詫びして」

「あなたまで、そんなカイシャことばを。
 部下にでもなったつもりなんですかぁ。
 あぁーあ、もう。
 あなた方男性って、ごく普通に、みんな同じホーム仲間になれないんですか。

 まるで軍隊生活の後遺症みたいに、上司と部下コトバしか使えないんだから。

 あなたもあなたも。そちらも。
 みーんな子供時代と同じに、対等なんですよ。

 笑っちゃいけないんだろうけど……。
 男性って、本当に《長》に弱いのねえ」

「対等!?
 皆が、同じですと!?
 うわっはっはっは。
 冗談いっちゃ困る」

「キミはまだ若いんだ。
 だから地位や立場というものの重みが判っとらん」

「まあいずれ、あんたも判るよ。
 人にはね、それぞれ与えられた道、役割、分というものがあるんだ。
 ほら猿の群にもボスが必ず有るのを知らないかな」

「その境を越えたり無視したり、忘れたり取り違えたりすると。
 物事は、けっしてうまくいかんのですなあ。
 会長、社長、部長、所長、次長、組長、委員長に町長に区長に生徒会長や班長、町会自治長なんてのもあるでしょう。どれもみな《長》がまとめるでしょう」

「む。とにかく。部長が、課長やそれ以下と同じだなんてぇ、キミ。あり得んじゃないか」




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