エッセイ 夢舟亭
2007年09月22日
不都合な猿知恵
先日、映画「不都合な真実」を見た。
地球は温暖化の傾向を顕著に示していると問題視する米元副大統領アル・ゴア氏が提唱、そして講演する。
そのドキュメンタリー映画である。
この映画はアメリカで2006年度分上映作品から選ばれる第79回アカデミー賞において、最優秀ドキュメンタリー賞を得た。
ほかにも種々映画賞を受賞したという。
今では環境問題を考える集まりやその参考資料で、この映画を引用するのを目にする。
自然界この地上の各地で、すでに起きている温暖化による自然破壊の状況を報告しているのだ。
なかでも氷河の万年氷壁の融解喪失には愕然とする。
このままゆけばニューヨークはじめ世界の主要な都市が、海面下になることをゴア氏は力説する。
そしてこれは季節変動の範囲内を大きく逸脱している状況なのだと、数万年のデータをもって示すところに説得力を感じる。
そうした危機的状況というにもかかわらず、多くの政治経済界の対応不要という姿勢には、考えてしまう。
思えば見る私たち自身が、そうした方々と少なからず同じ思いを抱いていることを実感する。
従来石油が枯渇すると叫ばれていたではないか。
しかるに未だ道路は拡張され原油はくみ上げられ運ばれて。ガソリンスタンドは増え新車の開発量だって減っていないじゃないか。
そんなわけだから科学者たちの予測ごっこなんかは、ほどほどに聞き流しておけばいいのさ。
温暖もあれば厳しい寒さもあるのがこの自然地球だろう。
それにいちいち驚いていてはこちらが保たない。
だいいち発展無き人間はどう生きて行けというのだ、と。
とはいえ温暖化に対しては、この日本の京都で議定書が1997年に、国際条約として採択されたことは世界周知の事実。
当のゴア氏も少なからず関わっているらしい。
この京都議定書は今世界の大気汚染削減の目標値になっている。
つまり世界が真剣に取り組んでいる達成目標なのだ。
ただしアメリカを除いてだが・・。
大気空気を汚染する二酸化炭素その濃度は、いうまでもなく地上の王者人間様の生活排気ガスだ。
煮て焼いてのほか多くの人間の知恵の所業である燃焼の副産物だ。
よりよい生活を目指して生きるための科学技術というものは、人間にとっていったい味方なのか敵なのか。
ここまでの我々は科学技術は便利発展の代名詞と信じていた。
希望だったし夢を叶えてくれたのだから。
神は無限の可能性がある知恵の宝庫という脳をプレゼントした。
人間がどのくらい賢いかのテストに、なかば冗談で脳を与えたのではないのか、と思うことがある。
人間が、サルやヒヒなど類人猿の知恵を試すとき、彼らに単純なおもちゃを与えてみる。
器用に使ったりすると、うまいうまいと拍手や笑顔そして餌を褒美にする。
同じく、神はたとえば「電子の流れ」や「内燃機関」の原理を人間の居る地球という檻にそっと置いたのかもしれない。
やがて、エジソンが。賢いサルがその不思議さおもしろさに気づく。
そして知恵アイデアを連発して、便利な道具、光るもの、回る物、音を出す物、絵を映すものと。マジシャンの様に生みだして見せた。
雲の上の神たちは、そのとき大いに拍手を送ったかもしれない。
お上手おじょうずと。
いや、あんがい冷笑をあらわしたかもしれない。
まて、これから先に繰り広げられるであろう資源浪費と廃品ゴミの山を先読みして、眉をしかめたかもしれない。
いやいや人間ごときにそこまでの発展を思うのは早い。
買いかぶりではなかろうか、などと神々の思いが交錯したのではあるまいか。
だが人間は内燃機関エンジンを、糞尿より害毒なガスをまき散らして走り回るクルマの発明につないだ。
さすがの神たちもこのニュースには顔を覆ってしまっただろう。
何といっても空気中の酸素を介した心肺呼吸で生きる地上の生物に、無くてはならないクリーンな空気を煤煙で汚して走るのだ。
人間の肺とエンジン内部が同じ空気を共有してしまったのだ。
馬糞と食料を同列にしたのより怖い。
自画自賛のこの文明の利器大量生産は、人間が自殺行為をおっぱじめたことに等しい。
今に続く大気汚染は人間に知恵が付いた瞬間から予測範囲内だったろうに。
とはいえさすがの神も、おのれの内臓肺と毒ガス発生エンジンを同列におく暴挙までは読めなかったかもしれない。
そんな神々の眉ひそめる様など知ろうはずもない人間は、今日も明日もハイセンスだモダンだと、尻に毒ガスノズルのマフラー付きニュウモデル発表に驚喜感嘆する。
そして極めつきは、欧州の科学者が思いついて米国で1945年7月に成功をみた核だろう。
武器としてのこの実験は、人間世界の終焉を目前に予測したのではあるまいか。
あの1ヶ月の後8月。人類の町上空に運んで投下。成功の二つの大爆発はもちろん平和を願う応用と考えてのことだろう。
だがしかしこれはあまりにサル知恵の極みだった。
なにせ瞬時に万の生命を無にしてしまう。
そう、いっさいが無である。
檻の中のサルがナイフという利器に思い当たり、物を斬ることが出来ると気づいた。
それを眺めた神は人間もなかなか知恵が付いたものだわいと感心する。
だが果物の皮でも剥いているかと思いきや人間というサルは、一刀のもとに自分と大勢の仲間の首を斬り倒した。
神は何という狂気だと驚き目をおおう。
だが神のなかにもいろいろな性格があるだろうから。
なかには物知り顔で斜にかまえた気取り屋などがいて。
ふんと鼻先で笑うと、すべてお見通しさとばかりにつぶやく。
人間程度の知恵は何ひとつとして自滅行為でないものなどないのさ。
だって、そうだろうきみ……この映画を見てみたまえ。
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