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夢舟亭
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エッセイ  夢舟亭        2008年12月20日


   今では驚きもなく



 つい先日。出先からの帰り道。
 今年も20km弱の夜道を独り歩いた。

 孤独の時が好きということもある。
 孤独といってみても100%の独り生活を望むほどではなく。
 また他人と完全なる没交渉を決めこむほどの人間でもないのだが。

 道具など要らない原始的な表現手段である話言葉。口、喉、声帯の人体で発しうる。
 その次に原始的な文字言葉。文章表現は手指に筆器一品で紙面に書ける。
 そうした人体による本質的な動作として、歩行もまた足に履き物で、できる。

 自分自身が起こす行動として歩む独り夜道に、なにか惹かれるものがある。
 もちろん昼の道が嫌いなわけではない。
 だが歩きやすさでは夜だ。


 蕪村の句に−−

  月天心 貧しき村を 通りぬけ

 というのがある。

 江戸のころ、旅の途の蕪村が夜中に、山道を通ったのだろう。
 寝静まった寒村だ。
 その道沿いにごくちいさな小屋が、数軒あったのだと思う。
 見上げれば、月が煌々とある。
 状況を語るだけのこの極短文に村人への思いが感じられていい。

 夜道を知る私は、この句がとてもよくイメージできる。
 なにせ今回の私もちょうど満月の深夜の、旧街道を歩いたのだから。


 日頃は2、3kmでさえ自足で歩く機会はない。
 それだけにまとまった距離を歩いてみると、踏み足はもちろん全身が目覚めるのが分かる。
 大気の匂いや地表のちがいが気持ちよく感じられる。

 一歩一歩の上下動に刺激されてか、夜風の冷気のせいか。
 日頃とは別な脳細胞が働きだす。
 するとしぜんに、自分を見つめ直し思い返してみたくなる。
 そんな3時間ほどの小旅だった。


 ときおり過ぎゆくクルマ(自動車)。
 数倍の速さで遠のくのを見ると、なんと便利なものだなぁとあらためて感じる。
 思えば、これほどに便利なモノの時代に生きているのかと赤いテールランプを見送った。

 私の世代は、モノの無い時代に生れ育ったのだ。
 クルマが通るぞとを追いかけては眺め、飛行機を珍し気に見上げた。
 高速の開通や新幹線の、初日の通過を時代の幕開けとばかり見に出たものだ。

 そんなわけで、無い状態をゼロ基点として、考え比較することが多い。
 無いよりは、有ることが喜びとする価値観とでもいうのだろうか。

 ここでいうモノとは現在の生活環境にごく普通に、散在しているほとんどの物品と言っていい。
 それらいっさいが存在しなかったころに物心付いたのだ。
 無の生活から人生が始まったということだ。

 私の目の前で無が、有となった。
 モノが次々と出現してきてはそのまま今日まで、居続けていると見えるのだ。

 それらの出現は、私だけでなく多くの人々を驚かせ憧れを引き起こし、買い求めさせた。
 以後、人々の生活、社会を変えてきた。
 もちろん私自身も、その喜びを味わい恩恵を享受しつつ変わってきたのだった。


 ラジオも無ねぇ、の時代に生まれて。
 最初のモノは木枠のラジオだった。
 中を見るとダルマ型のガラス管電球のような真空管が三本あった。
 スイッチをひねると赤く輝きだすのだ。

 今と比べるまでもなく、音の良し悪しなど問える代物ではない。
 けれどそれは今だから言える話。
 当時はそれが皆の大切で驚くべきモノだった。
 そうだ。有るだけ良かったのだ。

 放送の音が聞こえれば楽しみであり喜びだった。
 大事そうに置かれたラジオに耳を近づけては、はるか空の彼方から送られてくるニュースや歌やラジオドラマに聞き入った。
 徹子、小百合、宮田輝などの声を運ぶ正体は「電波」だという。
 その科学的現象を不思議に思い、夜空を見上げたものだ。


 やがてテレビ時代がきた。
 白黒の動く画像を映すテレビ。
 音だけのラジオに慣れたなかでは、姿が見えることはなんと楽しいものだろうと思った。
 世界の人々とその様子を映して見せる魔法の箱だった。
 寝ころんで見るなど誰もしなかった。

 どういう仕組みなのだろう。
 なぜ遠くのものが見えるのか。
 これも電波が運ぶという。受けるのはアンテナ。
 いったい誰が考え出したのだろう。
 やはりこれも中を覗いてみた。
 魔法の箱の中で部品が複雑に入り組んでいた。

 それだけに誰の家でも簡単に買えるモノではなかった。
 先に買い込んだのが客商売の店。
 集客の道具になる床屋などは早かった。
 テレビのある家はお金持ちなのだ。

 そこで競い合ってはテレビのある家の子と友達になった。
 行くと座敷の隅に坐らせてもらって見入った。
 ゴールデンタイムまで居座る毎夜。
 さすがに他家の夕食の膳の匂いは、子ども心にも気まずさを感じた。
 見たい気持ちと、帰るべき思いが、幼い胸を乱した。
 夜道に駆け出るときの気持ちは今も憶えている。

 自宅に設置されるようになったのはかなり後だった。
 やがて数本の細棒が屋根にのせられて、ラジオを迎えたときのような感動の時を迎えることになった。
 わが家の中でテレビが見られる日がきた。
 今だから、白黒、とことわる。
 だが当時はテレビといえば白黒でしかない。

 その後何年も経たないで画面の隅に「カラー」と文字が表示された。
 その文字の意味を、街の電気店頭で、天然色で映る見慣れた番組を目にして、理解した。
 カラー番組とはなんときれいなものだなぁ・・と。
 ここでまた、新式の科学的モノは、私を驚かせ興奮させ、憧れさせた。

 科学技術はどこまでこの私を驚かせてくれるのだろうと、空を見上げて帰宅したものだ。
 自分が社会に出て働いて是非購入するぞ。
 希望の第一目標がカラーテレビ入手になった夜だった。

 何年かの後、夢に見たカラーテレビが自宅に運び込まれたのも夜の電灯の部屋。
 自分が購入して家族に見せることができた。
 その夜の皆の笑顔の輝き。今も変わらないエポックの図として心にのこる。


 月賦の分割支払いでわが家に並び増えては喜びを沸かせていったモノといえば、ほかに洗濯機、冷蔵庫。しばらく後にクーラーやファンヒーターもあった。
 クルマという大物の訪れも忘れるわけにはゆかない。

 音と映像に関してだけでもテープレコーダー、電話機、カメラ、ステレオ。
 そしてヴィデオテープレコーダー、パーソナルコンピュータ、衛星放送受信機、DVD録再機。そしてハイヴィジョン受像機や録再機と続いた。
 それぞれに初めての一瞬、驚きの様子があった。

 途中に何度かの買い換えや増設もあったが、月並みな言葉でいえば、わが家の生活を豊かにしてきたモノたちだった。
 花鳥風月を見ない日があっても、これらのモノ無しには日も明けず暮れない生活のなかにいる。

 この先に、いったいどんなモノが生み出されてはどんな形で出会うことになるのだろう。
 今この時代だって充分すぎるのに、さぞ不便だったろうと、驚かれたりする日がくるのだろう。


 そんなことを思いつつ、気付いてみれば・・
 何も無いところから始まったはずの私なのに。
 近年のあれもこれも、無かったあのころに不自由も感じずによく生活できたものだ、と存在に慣れる期間は短くなってきた。

 木枠に入った一台の中古真空管ラジオを興奮をもって向かい入れた子どもは。
 他人の家の夕食時の座敷の隅にお座りして、テレビを見て気遣う子ども心などまるでなかったかのように。
 今、モノに対して、沸き上がる喜びや驚きとか不思議さをあまり感じない。

 世の中に現れ出ては世界初との報道や、そのモノを直かに目にしたときの。
 好奇心も露わに息をのんで輝いた目は、失せてしまった気がする。
 驚き無き体内には、好奇心も湧かないのだ。

 どう見たところで、当時のラジオには真似もできない夢のような機能が内蔵され、いとも簡単にやってのけている超便利な機器小道具に埋もれて。
 それらのモノを当然視する文明人的気持ちまでに、成り下がっている気がする。

 まるで最初から存在する環境に生まれてきた今どきの幼子のように、有ってあたりまえな空気や水のように気にもとめない、素朴さの失せた自分がいる。
 聞こえて一瞬の後に消えてなくなる声が、録られ再び聞こえたときの驚き。それをわが手で耳で試したときの興奮。
 そんな貴重な経験を忘れたというなら・・。
 それは人間としてのわが精神の危機である。


 今、先にあげた品々のどれかが、わが家に有りません、という方が驚かれ不思議がられるだろう。
 それはちょうど、人影もない夜道を独り、クルマにも載らずおのれの二足で歩く奇異なる行いに等しい驚きなのかもしれない。
 幸いなるか今どきは、乗ってゆきませんかなどと停車するクルマはない。


 満天きら星のもと、しばし立ちとまり、煌々とした月の丸さを仰ぎ見た。






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