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夢舟亭
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夢舟亭 エッセイ     02/07/27


     イメージ



 歌謡曲の話です。
 ラジオのトーク番組で女性歌手が、若い頃の思い出話をしているのを耳にしました。
 その内容にとても興味を感じてしまいました。
 ところがそこで聞いた話は別に聞いた女優の話とも似ていたのです。
 推測するに、それは良くある話だったのだろうと思ったのでした。

 それをわたしなりに要約すれば−−

  あんなふうな歌を、なんで私が歌わなければならなかったのでしょう。
  いま思い出すだけでゾッとします。
  そりゃあ歌うことは小さいときからずっと大好きでした。

 人気絶頂期の当時、どちらも若くて可愛くて。
 男性あこがれの的だった人だったのです。
 そうした二、三十年前を生真面目に振り返って話すのでした。

 あの頃この歌手は、週刊誌の表紙を飾り、グラビアでは季節に関係なく露出度を上げた水着姿も何度か出てたようです。
 男心を楽しませるきゃぴきゃぴの小悪魔イメージを売ったように憶えています。

 まあそれも売れっ子の宿命だったのでしょう。
 と無責任なオジさん言葉を呟きながら、ラジオからの後の言葉に耳を傾けたのでした。

 流行歌の女性歌手に抱くイメージといえば、失礼ながら若いスターに知性は感じません。
 おそらくそれは期待通りであって、そういうふうに仕立て上げたのでしょう。
 いわゆる大衆性というか男の目を奪い、ファンの層をより拡げる為の手法なのでしょう。

 歌や演技が上手いとなれば、才能があるのは言うまでもない。
 ですが歌手自身が好むと好まざるとにかかわらず、賢さや小生意気さなどはおくびにも出せない。
 あくまでも売り上げを第一に考えた商戦の戦略、売れる商品としての映像、喜んでもらうイメージを創り上げるための被写体、小道具。
 と言う点で、雇われ人、サラリーマンの立場と変わらないのかもしれません。

 自分の思いなどはおくびにもだせないどころか、この立場で充分満足ヨと、このイメージがわたし自信よと、創られて与えられたイメージ通り見せかける。
 その気になって、公私ともに演じ続けてなければならないのでしょう。

  これ以上はもう歌えません。
  だって、男好みの女になるからとひざまずいて、気に入らなければ好きなようにして。
  暴力だっていとわないだなんて、ばかばかしいにもほどがありますよ。
  んもう恥ずかしいったらありゃしません。
  誰が聞いたって女性を侮辱しているわでしょう。
  女性達からクレームが出なかったのがふしぎです。
  私だってそんなイメージに仕立てられてしまうなんて、冗談じゃないと思いましたもの。
  若い女性ってそーんなにバカだと思っているのかしら、と。
  もうこのイメージ路線で行くなら、本当にこの一曲で歌手を辞めます、と当時言いました。
  信じられないですって?  いいえ、本当なんですってば。
  ですが、間もなく賞を頂いてしまったんです。
  だけど本当に嫌でいやで、どうしようもなかったわ。
  それで歌うときは短いスカートはいて笑顔でステージに・・・

 国際政治的の歴史ではないが、今だから言えるのでしょうね。
 賞を与えたのも男なら、その歌を創り、それっぽい身振りをさせて歌わせたのも、そういう姿を期待して囃し立てたのも、われら男です。
 でも人気沸騰中の当時。TVの笑顔からは、とてもそういう悩みは見て取れませんでした。

 男に喜ばれていい気なもんよね。いやらしい。
 という女性の視線もあったのでしょう。
 また一部には、少なからずそうした姿を真似た一般の女性も居たように憶えています。

 やはり若い女性の流行歌手は、本人の歌いたいジャンルや歌唱力などという基準とは離れて。
 とかく男好みの性的イメージに虚飾されて、ゴシップTVやグラビヤ記事などであおられ、男をそれとなくそそる役割をこなしている気がします。
 それは今も同じなのでしょう。

 まあそれがシゴトと言えばそれまでですが。
 作詞作曲も歌うのも自分というシンガーソングライターと違って、作詞や作曲のセンセイの考えや、企画して思い描くエライさんの女性像を優先せざるをいないのでしょう。

 これが同じ女性でもクラシックの歌手や器楽奏者となると、どこか清楚な雰囲気を漂わせ、何か可愛い音楽うんちくのひとつも述べなければ、という期待がある。
 これもまた現実の一人の女性からイメージして創り上げて定まった、別な意味でさせられている虚像に思えますがどうでしょう。

 まあどちらも、それでカネになれば良いではないか、と口走りそうなものです。
 が、先の歌手の思い出話しに、なにか複雑なものを感じたのでした。

 もし当時、今のこの人の思いのように「ばっかばかしい。やってらんないわ」と、化粧を落とした本音の一言を、われら男どもに向けて叫んだら・・。
 わたしたちはいったいどういう言葉を返したたでしょう。

 この女おかしいんじゃないなどと思わずに、若い女性歌手だってひとりの人間だ。当然な思いを述べているのだと聞けたでしょうか。

「歳も18番茶も出花」といえば失礼かもしれませんが、若い女性はどなたもがそれぞれに花のような容姿を見せる最盛期のような時期があるものです。

 一方男はといえば。
 綺麗で可愛い女性の愛想笑顔や、素肌などをチョっと見せられると。先方もその気がある生殖生物のように妄想してしまうおバカさんです。
 事実そういうおバカな性質を突いて男どもに仕掛ける商売は多い。

 はち切れるほどの身体をもっただけで、好き者のように見られ仕立てられ、そういう映画に出されて。その様に見られてしまって。
 我慢できずに海外まで逃げてしまった女優もいたと聞きます。

 芸術においては性的な魅力の表現も必要でしょうし、美麗の才能を活かすこともあるでしょう。ですから大人同士として対等な作品の協業者としてなら大いに結構なのでしょう。

 そうではなく、どこか金銭的妥協や、人気取りへの安易な誘い、または経済的な優位者へ奴属めいた関係に自分を貶めて欺いて。
 好き者も客をもてなす操り人形というなら、これはちょっと悲しいのではないのでしょか。

 じゃあお芝居などの悪役はどうなるのだ、と言われそうです。
 しかし作品そのものが何を表現しているかという次元からしっかり賛同していれば、悪役もお色気役も、取り組みの姿勢や意識はまったく違ってくるのではないでしょうか。

 または従属的な女性を歌に表現して、そのおかれている現実社会を浮き彫りにして、あざ笑うとでもいうなら。
 これもなかなか社会派作品として面白い趣向かもしれない。

 そうではなく、性的興味に仕掛けるというだけのお色気振りまきお人形さんなら。
 本人も、視聴者としても、あまり楽しくはし気分の良いものではない。
 だいいち二十一世紀ニホンにそんな歌があるというなら、ワールドワイドにどう響くのでしょう。

 芸術に生きるというなら、女性側もいち人間としての意識を高めて、それを主張して貫ける強さを鍛えて欲しいと思うのです。
 小悪魔であれ、妖艶であれ。
 泣き言など言わずに、そんな役などひっ掴み喰らってしまうほどに、演じこなし社会を切り返す精神が必要にも思えるのです。

 そしてそれは歌手に限らない主張する女性共通の精神確立なのではないでしょうか。
 まさか自分流の信念を貫くはずの文学系の方々にそうした安売りおもてなしの姿勢はないのでしょうが。「おまえもか」という失望はしたくないものです。

 そういえば、最近のイタリア映画で、綺麗なゆえに多くの視線を浴び、イメージを作り上げられて。
 その他人が抱くイメージに翻弄されてしまい。
 辛い人生を歩むことになったという話。戦争に夫を連れ去られた女性「マレーナ」を描いものがありました。

 けっして本人が求めたり望んだりしているのではない性的イメージを、周囲の男たちが勝手に創り上げたマレーナ像。
「そのはずだ」、「そうにきまっている」と、面白可笑しくいやらしい噂で塗りかためられ、仕立て上げられて。
 やがて周囲の女性からは男の目をくらますとんでもない女だと白い目で見られ、袋叩きになる。

 そして最終的には、創られたイメージ通りの娼婦の立場に追い落とされてしまう。


 それを見て、今回の話を聞いて。

 あの当時、やっぱり女ってのはよ、こむずかしい女のはつまんねえ。生意気な娘なんて必要ねぇ。
 アイドルなんだからさ、モチッと見せなくちゃ面白くねえよな。

 などとニヤつき目尻を下げて見ていた私たちは、皆ただそれだけで映画「マレーナ」の一般市民のひとりとなっていた。
 他人(ひと)を大きく誤解して、無責任な方向に追いやった男たち女たちの役を、意識しないまま演じていたのかもしれません。






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