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夢舟亭
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夢舟亭 エッセイ    2006年02月08日



    いなかのバスはぁ〜



 昭和時代の地方はエネルギッシュでした。
 今よりもずっと力仕事だったし、それに従事している人も多かったせいでしょうか。
 活力が漲(みなぎ)っていたように思います。

 だからとてもあっけらかんとした人間臭いシーンがあちこちに見られました。

 たとえばこんな歌、憶えてませんか・・・

  いなかのバスは おんボロぐるま〜
  でこぼこ道を ガタゴト走る〜


 おらが村のバスが走る様子もこの歌のようでした。

 見渡せば周囲が緑の山ふところです。
 初夏ともなると若葉萌えて茂って。
 こんもりとした林の枝葉に、藤つるが紫の滝のように枝垂れていました。

 田んぼの土手を見ればクローバや餅草やすかんぼ、それにたんぽぽが真緑に黄色模様のじゅうたんです。

 向こうの山岸を見ると山吹の黄色い花が群生していて、まるで黄金の輝きでした。

 娘を複数もったなら、嫁入り支度で家(財産)が傾く、といわれた当時。
 せめてもの嫁入り箪笥の材料に畑の所々に植えられた桐の木。
 娘が年頃になる頃にはすっくと立ちそびえる。
 その木の天狗の団扇のような大きな葉っぱのなかに咲く花は、ちょうど桔梗の花の形の紫色。とてもきれいに匂っていました。

 そういう山里を縫うように走るバス。
 それがいなかのバスです。
 今どきの綺麗でスマートな大型観光バスなどとはほど遠い車形です。

 鼻が突き出ていて全体が丸みをおびて。
 舗装もしていない峠の坂を登ってゆく。
 のろまな走りはいまにも停まりそうなのでした。

 曲がりくねった山間の細道はバス一台で道幅いっぱいになる。
 雨でも降ったなら泥海のぬかるみです。
 乾けばいっそうデコボコ道。


 でもバス車内の雰囲気はなごやかでした。

 乗りこむと客のほとんどが村の者。
 知った者どうしがぺちゃくちゃと。
 会話の花が咲いているのでした。

 迷惑顔する人もなく。
 聞き苦しいなどとと言う者もない。

 たとえばどこかのおやじが、町の代議士さまがおかめみてえな妾(めかけ)を連れて温泉に居たぞぉと、まるで鬼の首でも取ったみたいに報告する。
 おれはこの目で見たんだと。

 すると、待ちかまえていたおっさんが、おかめってのはこういう顔がや、と日焼け顔の口をひん曲げて白目になって。舌をベーと出して立って、見まわす。

 車内の人たちはまるでバスの車体が伸び縮みするほどの大爆笑。
 まるで漫才会場です。

 かと思うと中年のかあちゃんが立つ。
  そりゃぁまるで林ノ里の寺坊主の顔だべぇや。
  おらの婆ぁの葬式さ呼んだでぁ。
  挨拶して顔あげて見て、可笑しくってハァ。笑っちまったわい。

  いやぁ、あれはよぉヒヨットコ顔だぞや。

  あの坊さまは婿(むこ)だべぇ。舅(しゅうと)坊主をえらく大事にするって話だぞ。

 と、そちこちから、ンだンだ坊主だけあってたいしたもんだ、とうなずき声があがる。

 そこで“舅(しゅうと)”の言葉に奥のおばちゃんが反応する。

  舅しゅうとって、そっだに大事せねばいかねがなぁ。

  なぁに構うこたねぇ。おらも爺婆なんてものはぁ、あんまり威張ってもらいたくねぇもんな。

  ンだンだ。爺ちゃん婆ちゃんなんてハァ。さぁっさと逝ってもらわねどよォ。
  後がつかえて困っちまぁ。

  おい、こら。なぁんで年寄りが長生きすっと、困んだぁ。
  おめぇだって、歳とるべぇよ。

 向こうの老人がわなわな震わす手で杖をもちあげ、おばちゃんを指さす。

  ほんだってよ。おらが爺さまときたら、作ったものを、あれは不味いこれも食えねぇって言う。
  そのくせにぃ。歯も無ねぇ口でまぁ。美味いごっつお(ご馳走)ぜーんぶひとりで食っちまぁんだよ。

  わっはっはっは・・いやまったく年寄りはそんだなものだわい。

  そりゃな、おめえがよ。あぁんまり柔く美味く煮過ぎるからだぞぉ。

  ンだども。芋でもトウミギ(トウモロコシ)でも、固く茹でてやれぇ。
  直ぅぐに弱ってぇ、ぽっくり逝っちまべ。

  あっはっは。それはいいこった。すぐ逝っちまぁわなぁ。

 おなじ年格好のかあちゃんが澄まし顔で合点してみせる。
 それを見聞きする者の笑いの渦が巻く。


 言っていることだけをよくよく考えれば、きわめてきついジョークなのだけれど。
 当時その程度の冗談ばか話は、そちこちで交わされていたように思います。

 けれど、そうした話にあいずち打っているその人の手と目は、隣にすわる老婆をしっかりいたわって動くのでした。
 じっさいの生活のなかでも、なかなかどうして皆人情味がありました。

 ですからこうした冗談話をいちいち実際の事として真に受けるなどは、まず与太郎さんでもあり得ないのです。

 こういう場で言うことと、実生活での行いはまったく一致しない。
 そこが世間話は潤滑油とする無駄話の愉しみなのでしょう。


 そうして思うのが、今どきです。
 冗談が通用しないとはよく言われます。

 皆が言行一致とばかりに、裏表変わらずとまじめ顔。
 優しさとか、気配りを、真顔で唱えています。

 だのに・・誰でも良かった通りすがりの殺傷事件とか、親殺し子殺し、あるいは家族や縁者を殺める、などがやたら頻発します。
 そして死体遺体をゴミのようにポイ捨て。
 あるいは押入に床下に、または燃やしてしまう。

 それらは必ずしも、貧しさゆえの欲得とか、抑えていた堪忍袋の緒を切った末の怨念とか、または恋しさ一途の男女間のもつれ、というような人間っぽい犯罪動機ではないという。

 なんで? と、動機がさっぱり読めず、どうにも不可解な、瞬間的な衝動行動。
 それがじつに多くなっていると言われます。

 さらには、気短になったのは、必ずしも無分別な幼児や若い世代や見るからに思慮に欠けそうな人ではない。

 老人も、女性も、職種の別なく、悪人顔ではない人が、何でその程度のことでと首を傾げるしかないほどに。
 触った押した引いた言った書かれた思ったほどで、じつによくキレるのだという。

 おそらく内部にはストレスがパンパンに充満していて破裂寸前なのでしょう。
 心は、遊びも緩みも余裕もない状況で、針の一刺しで即、パーン。
 惨劇が起きてしまう。

 あの当時の、いなかのバス冗談などをうっかり口にしようものなら、笑いどころか、車内は血を見ることにもなりそうです。

   ・

 ところであの時代のお婆さんたちは、隣村のなにがしの家の冠婚葬祭の様子はもちろん、向い山の集落の、一軒一軒の家族の名前はもちろん、生老病死の状況にいたるまで。
 それはそれは詳しく知っていました。

 今どきのマスコミのローカル放送や新聞支局に負けない情報をもっていたのです。

 またその話を人に聞かせるとき。
 もらい泣きする者がでるほどに、悲しいところは悲しく。
 可笑しいところはなんとも可笑しく。
 気の毒なところは一段と声を落として語るのでした。

 なんでまたあのころの婆さんというものは語り上手だったのでしょう。

 名所旧跡のいわれ因縁などもまことに仔細に、見てきたように。
 歴史家がメモを取りたくなるほどに。


 そんなわけでバスのなかは話題が尽きないメディアだった。
 絶えることなく湧き出る情報の泉でした。

 会話は女性の専売特許かといえば。
 爺さま小父さんたちも負けていません。
 こちらは政局時事や経済のしょせんは放談。

 けれどそれよりも単刀直入な助平話がまた楽しい。
 しわがれ声でカラッと言い切る。
 うわっはっはと車内が大いに沸く。

 そのての話というものは今のメディアにおいても万国共通の下ネタ。
 誰しも興味があり飽きないもののひとつでしょう。

 それへ若手のおっさんたちがさらに輪をかけて混ぜ返す。
 手真似さえ交えて、懇切丁寧に喩える。
 生々しく話を追加するから、大変です。

 聞いてる若い娘たちは、わぁ、やンだなぁー、と黄色い声をあげる。
 赤らめた顔をおおうのでした。

 わたしたち坊や連中は何のことか分からず。
 分かった先輩たちは、にやにやする。


 そんなわけで、今でいえば、げらげらバラエティー番組から、エンターテイメントなドラマ。
 ヒューマン人情劇も、民話や市民文化講座までを。
 あの頃の田舎のおんボロバスは満積していたのかもしれません。

   ・

 秋の朝、でこぼこ道のバスに揺られているとクラクションが鳴りブレーキがきしむ。
 車中の皆が一斉に前にのめりながらフロントガラス窓に視線を向ける。

 見れば、秋の刈り入れ農作業の牛が一本道を塞いでいて、通れない。

 でも運転手は慣れたもの。
 バスを停め、そして窓をあける。

  いよぅ! 精でるなぁや。
  どうだ今年の米の出来ぐあいはぁ。
 などと声をかける。

 大きな牛の鼻ずらを引く道の農夫。
 バスを停めたとて、さして申し訳なさそうな顔もせず。
 焦るようでもなければ、慌てる素振りもない。

  んだなぁ。今年はぁ、まあまあの出来がなぁ。

  そうがぁ。お盆の陽照りが良いあんばいだったもんなぁ。豊作けっこう。
 運転手も澄み渡った空など見上げる。
 時間厳守などというつもりはない。

 農夫のほうは、牛が引く荷車の山盛り稲穂を、あごで指しながら応じて。
 牛の鼻先を、どうどう、などと御す。

 それを見ている運転手は、まぁったく、いつ見ても良い牛だなぁ、と褒める。

 バスと客の皆は、牛があぜ道によけるまで、口を半分あけたまま見おろしている。

 けれど車中で焦る者がある。
 あの頃もやはり若者は生真面目で時間にうるさい。
 腕時計とにらめっこして口をとがらす。

  早くしてくれよぉ!

 と、すかさず車内のおっさんの突っ込みが入る。

  そンだに急ぐならば、おめぇバス降りてってぇ牛動かし手伝って来や。
 若者に気遣うなどという気持ちは微塵もない。
 そこへまた誰かが言う。

  ンだぁ。それはええこった。

  なぁに、出来ねえ相談だべ。
  今の若いもんに、牛なんて動がせねえべぇ。

  そりゃそうだ。

  うわっはっは。
  ぎゃっはっはっは。

  笑うならわらえ。
  見てろぉ。おら東京さ出てって、出世して。
  自動車買って帰って来っからな。

  えへへへ。威勢いいやつでねえか。あンりゃどっこの息子だや。

  ああ、あれは、下の滝のぉ、ほれジンクローの、次男坊だぁ。
  汽車でガッコ(学校)さ通ってんだど。

  てっ。ガッコにか!?

  ンだ。見てみろ。あたま良いとかでぇ。まぁ、口ばかし達者になってはあ。
  父ちゃん泣かせだべ。

  うンだ。ヤロの家は、ガッコに払う金なんて無かったべによ。

  なぁに先祖さまから預かってる田んぼでも、売んでねえのか。

  田んぼ売る!? はッ。バチあたりもんが。

  大臣様にでもなったればぁ、元は取れる計算だべ。

  どうだが・・


 やがて牛も気が乗ったか、動きだす。
 そして通り道が空く。

 プー、と一音かけて制帽を手で取りあげ、窓から礼するバスの運転手。

   ンモ〜ォ。
 それを見送る黒い牛の巨体に汗がにじむ。

 手ぬぐいを襟に巻いて農機具メーカーの野球帽などかぶった農夫。
 牛の肩のあたりを撫でながら、後ろ窓の先に小さくなってゆく。

  あいつは、たしかぁ……中の畑の婿(むこ)か?

  ンだ。ゴンザエモンとこの婿(むこ)だべ。

  はぁ。よぉく働く婿だなぁ。
  ゴンザエモンもいい婿もらって、儲けたなぁ。

  ンだども。またあのやろうは、盆踊りの太鼓のばちさばき、上手いのなんのよぉ。

  ほうがぁ。村も、儲けたな。

 とかなんとか・・・
 見るも聞くもが、話の種になり情報交換になり、盛り上がる。
 ストレスなどには一切無縁。

   ・

 そういえば近ごろは老人のぼやき、はけ口の場も減ったのではないでしょうか。

 老人が、乗り合いバスの停留所にいるうちから話相手を見つけて、逃がすまいというようにバスに乗り込んでは隣にすわりまた語りかける。
 そういう姿があったように憶えています。

 そうしたときの話題ベストワンはといえば、自宅の嫁さんの口説き。

 口説き、といっても愛の語りかけラヴコールではありません。
 ぼやき、悪口、ケチつけ。

 何でまたあのように、同居の嫁さんを悪者役に仕立てるのかと思うほど。
 もとが他人とはいえ、わが息子が選んだ最愛の女性。
 それをまるで鬼女のように表現するのですから、知らない者は驚く。

 料理では、食い物が口に合わず、甘い辛い油っこい。
 何が憎いのかおらに盛る量に差がある。
 言葉が乱暴で、気遣いがない、優しくない。
 茶のたてかたがなってない。不作法だ。
 化粧が濃い。髪型がどうで、無駄銭をつかう。
 何かにつけてお里(実家)と較べては嫁ぎ先の自家をあてこする。

 とかなんとか、そうした日頃の不満を次々に吐きだすようなのでした。

 しまいには、おのれの哀れさに、深いしわの溝幾すじかを、涙でぬらすほど。


 するとなかには、
  お婆さんそういいますけどあなた面倒みてもらってんのよ。
  自分がサイフ握ってやりくりした若いときとは違うのよ。
 と、老人の意識改革を試みるご婦人もいた。

  いや、そういうがあんた。
  そもそも今どきのおんなは年寄りを大事にせんですぞ。
 と、爺さんが咳き込みながら唾をとばして、反論を力む。

 そうかと思うと。
  うむ。そりゃぁ息子さんもいかんいかん。
 と、あの寅さん映画の笠智衆ふうに、受け入れて応じるご老人もいたりする。

 幼いわたしなどは、こうした大人風景を向かい座席に見ていた。
 陪審員のようにどちらが、だれがと、話し手の顔や目を見つめながら、善悪を思ってみる。

 ・・と、目的の停留所近くになると話をきり出したはずの老女は、悩みが解決したわけでもなかろうに、すっかり気の晴れた顔になっている。

 歯のない口元を、もぐもぐしながら、さいなら、と立ちあがる。
 そして降りてゆく。


 あの婆さんは周囲の同情やご意見などとうに分かっていたのです。
 そんなありきたりの問答は何度もなんども聞いていたのです。

 では何でといえば。
 ただただ他人の声の同調がほしかったのでしょう。

 まぁいわせていただけるならIT時代のシニアSNSとなにも変わらないということ。

 ですから、悪いはずの嫁さんにだってじつは口ほど不満などあるわけではない。
 そんな気持ちは有りはしないのです。
 とくに大問題として訴えるほどの不満はもとより無いのです。
 挨拶代わりの話の種提供。

 そしてまた。
 それへ応じた人たちも。
 ほどほどに会話を愉しみつつ、老女の心情は百も承知だったと思えるわけです。

 つまりはどちらも、世間を知った大人、なのでした。


  つぎは藤の沢でございま〜す。
   プップー。

 何んともかんとも、こののんびり感。
 いいなぁ〜。

 どこにおいても、主役は人。
 バスがステージ。
 故郷のオールスター出演。

 婆ちゃん、爺ちゃん、お嫁さんにお婿さん。
 小父さん小母さん。
 若者に子どもたち。
 牛も脇役で。

 いなかのバスは自由でおおらかな無駄口と笑顔があふれていつも賑やかなのでした。







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