<この文章は商業的な意図をもって書かれたものではありません>
文芸工房 夢舟亭 エッセイ
2006年03月04日
クラシックはジャズにのって
ジャズ、というどんなイメージを持つでしょう。
これは、クラシックというと誰の何という曲を思い出しますか、という質問に似ている。
発祥も歴史も大きく異なった種類の音楽であってみれば、好む人たちも異なるのかもしれない。
悪口を先に出してしまえば、酒や麻薬や娼館などの場末のアフリカ系アメリカ人(黒人)のうめき声にも似たイメージを感じると言う人もいるだろう。
それがあながちウラの無い虚言でもないとなると、穏やかではない。
それは19世紀末20世紀初頭辺りの誕生話だろうけど。
ともかくも、ジャズは名門音楽学校の大先生の机の上で生まれ出たのではない様だ。
先日、強大な台風ハリケーンがアメリカを襲った。
アメリカの南のミシシッピー河口。メキシコ湾に注ぎ出る辺りに位置する町、一躍有名になってしまったニューオリンズ市。
フランスのニュー(新しい)なる土地、というのがその名の由来とか。
つまりはフランス国の持ち物だった地帯だとか。
その前はたしかスペインのもので、その後はイギリスの持ち物となった。
そして独立アメリカ国に、編入されたらしい。
新大陸アメリカは、どの国の白人の旦那がたの持ち物でもなかったわけだが。
それはそのまま新大陸をヨーロッパ各国が地奪い合ったことの歴史を物語っている。
そんなこんなの経緯から、ニューオリンズには世界各国からの人が、出入り住み着いたという。
そこへ奴隷解放後の黒人もまた、栄える町へと移り住み、貧民街を成した、らしい。
なにせ奴隷生活で蓄えもなく手職とてなく、家系も分からず自由を得たのだ。
以上でアメリカが生んだジャズという、今では聖なるクラシックを向こうにまわし音楽世界で双璧を成して張り合う音楽の、誕生劇出演者がニューオリンズに揃ったわけだ。
混沌とした当時のアメリカ社会。
その歓楽街は黒人たちの空腹に幾ばくかの食を得るチャンスを与えたのだろう。
大人も子どもも、居酒屋などに出入りする白人の旦那がたにすり寄っては、何かさせてもらい、小遣いを得る。
そこの小僧。酒のつまみに何か歌えや。踊ってみろ、奏(やっ)てみろ。
楽譜も無ければ読めもしない。
楽器もなければ、演奏など出来るわけもない。
それでも、手拍子、タップ、瓶や皿でも叩いたか。
あとは白い歯を見せる微笑みでご機嫌を取り結ぶひととき。
それで、せめて今夜家で待つ母親や祖父母、兄弟の口を濡らせれば儲けもの。
旦那がたのお好みは世界各国のふるさとの調べかもしれないと。
やがて皮の破けた太鼓や軍払い下げの壊れた管楽器などを手にして。
見よう見まねであちこちの店や街頭で、盛んに演奏したらしい。
そういう生い立ちのなかで黒人特有のテンポとリズムを含んで、陽気で賑やかな音楽が生まれた、らしい。
ジャズの誕生だ。
というなら、白人世界の音楽が種(シーズ)で、黒人世界のエネルギーが溶媒(キャリア)ということに成るのだろうか。
むろん当地では人間の側も実際に混血化がかなり進んだという。
クレオールなどと言われたとか。
また黒人が皆無学貧民かといえば、もちろんそうばかりも言えなかったようだ。
やがて黒人が演奏して白人客が楽しむジャズは、そのままデキシー(こ汚い)な地域(ランド)で発展して行ったという。
デキシーランドジャズがそれらしい。
しかしながら黒人の方々の、生への執念その勢いが、そのままエネルギーとなったジャズ音楽は、デキシーランドに留まることはなかった。
形を変え演奏スタイルを変化させながら演奏され聞かれ国内に広がって、ニューヨークまで炎の様に駆け上ったという。
即興、インプロビゼーションこそが、ジャズの魂だ。
ファンはそう言う。
そのジャズの魂の根源は、じつは楽譜も読めない人々の、やもうえない手段だったのだ。
また楽器に固執しない自由さというのもジャズだ。
ここでもまた、楽器を限定してこだわるほどに楽器は手に入りようなかった、貧しさの結果だったということ。
何せジャズの歴史を生きたかのルイアームストロング、サッチモさえが、トランペットを持てたのは、名が知れ渡ってずっと後だというのだ。
居酒屋の音楽から、やがて集団的バンド演奏によるスイング時代。
アメリカ中がスイングしながらジャズに酔ったという。
やがて音楽として認められたか、鑑賞できる音楽になってステージ演奏も始まった。
そしてジャズの次のエポック。
腕自慢の器楽演奏合戦に興じたジャズマンたちの時代だ。
バップジャズ。
我らが、モダンジャス、と呼ぶのがこの頃のスタイルだという。
ここまでジャズの歴史は1世紀ほどなのだろうか。
未だに、この頃のきら星のごとき熱き奏者たちは語りぐさであり、名演はファンの間でプレミアム付きのレコードとなっている。
そして今。
私が耳にしているのはここまで来たジャズのエキスをそのまま戴いて、ヨーロッパのクラシック音楽の素養を持ったアーティストらが奏するジャズだ。
この時点では、貧民街場末の居酒屋に産声を上げた音楽は立派に成長して、伝統有るクラシックへ見事な影響を与えたことになろう。
それほどに楽しい音楽となっている。
たとえば−−
フランスのジャックルーシェ・トリオで、プレーするはバッハ!
平均律クラヴィーア曲集、主よ人の望みの喜びよ、トッカータとフーガ、ブランデンブルグ・・シュッシャカシュッシャカと弾むのが楽しい。
生真面目なのに痛快。ジャズはここまでに至れりてバッハと会す!
イエェー、「プレイ・バッハ」。
次に同じくヨーロッパはルーマニアに生まれ。
オイゲンキケロのトリオで、モーツァルトは幻想曲ニ短調から聴こう。
スカルラッティ、クープラン、バッハが適度な間をためて一瞬、でスイングするのがまた何とも言えないではありませんか、「ロココジャズ」。
そして名前からが、ヨーロピアン・ジャズトリオ。
ショパンやサティ。モーツァルトからビゼーやリスト、ラヴェル、ヘンデル、フォーレ・・・と何でもいただける。
そしてなにより、ここでジャズ味に仕上げたクラシックの曲たちは、ジャズの軽快感のなかにも、そこはかとした甘さが添えられてある。
その食感が耳をくすぐってたまらない。
彼らの奏するマドンナの宝石(ヴォルフ=フェラーリ)、月の光(ドビュッシー)、愛の夢(ルスト)となると、これはもうジャズなのにムーディーの極みに昇る。
かように、60年代辺りのほとばしるバップなジャズサウンドこそがニューオリンズ発祥のあのジャズのパッション。
そう言い切ってはばからないジャズファンの世界とは、すでに離れて。
スイング感を大事にしながらクラシック原曲の美しさを活かして。
現代の都会の夜に、ジャズサウンドがどこか上品に響くのです。
ドラムとベースがリードするリズムに快く乗りながら転がる様なジャズピアノのタッチが痛快ですらある。
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