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夢舟亭
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エッセイ  夢舟亭    2009年 4月 11日



     科学の時代



 “米ロ”、アメリカとロシア。
 先日世界のこの二大大国のボスが笑顔で会談をした。
 その映像が国際ニュースとして流れました。

 たった一組の握手が世界を変えることができるかどうか……

 現代において最大の武器は核。言い方を替えればそれは人類最大の恐怖。
 日本人にとってその脅威は実感です。
 世界唯一のあの瞬間から60年を越えて今。
 とてつもなく高性能になった威力と、膨大な設置数が抑止力となって。地上平和の均衡を保っているという数千から万頭にも昇る弾頭。

 その数を減らそうと言う握手なのだそうです。


 科学の落とし子、核。原子爆弾、水素爆弾。
 とてつもない規模の殺傷力を有して地上のどこへでも正確に飛ばせるミサイルに搭載。

 出来ることなら人類世界から無くしてしまいたい思いは、誰しも分からないではなかろうこと。
 だから過去にも制限や削減の協議は何度かあった。

 だが、互いが油断ならない相手だ、敵はいつ攻めて来るか分からない、と思う限り減らせない、無くせない。

 私たちだって簡単に人が信じられるものなら、とうに鍵の施錠やパスワード更新など不要なのだ。
 でも現実には子ども学童にGPSケータイまで持たせてしまった。
 設置され続けている防犯の監視カメラもまた。
 不信感が不安を生み、不審者を逃すまいとの思いからではないでしょうか。

 皆が互いに信じるに足ならば、個々人の生活や社会において簡素化できることはいっぱいある。
 その最大級のものがこの核武装ではないでしょうか。


 そんなわけでアメリカ期待のニューリーダーとて、理想はともかく現実には簡単にゼロにできやしない。
 この地上は綺麗事だけで生きて行けるような性善説型神世界ではないということでしょう。


 二大勢力の一方が、個人尊重の自由平等な、民主主義社会だよと自慢すれば。
 もう一方は自堕落な奔放自由な社会などはけっきょく衰退破滅するよと、平等共生の社会主義体制を貫いている。

 お互いそれぞれがそこに至ったにはそれなりの茨の道があった。
 現在にたどり着いた背景や経緯、歴史があるということ。


 アメリカの方は、ヨーロッパ地域の住人が外の世界へ生きる路を見いだそうと新大陸を目指したことから始まる。
 けして物見遊山な観光旅行などではない、苦肉の海外移住選択だった。

 各国で溢れこぼれるように押し出されて、寄り集まった地には元々先住の民が住んでいた。
 けれど戻るにも引き返せない、故郷をすてたのだからと居着いて、増えてきた。
 移民中心の国家誕生までには何度も内戦や独立戦火があがった。
 その末の建国だった。

 フランス提供のニューヨーク女神像が自由平等の灯火を掲げるまでもなく。
 爵位地位も伝統もかなぐり捨ててきた人々の歴史である。自分と家族以外に頼りになるものなどない。
 そういう意味の平等から始まっていまだ300年も経たずにいる新天地、まさに新世界。

 それだけに永々先年のしがらみなどは無く。
 自由社会というが悪く言えばあまりにも、はちゃめちゃ社会。
 神さえも絶句しそうな営利手法も称賛や羨望のなかでまかり通る国だ。
 これこそがダイナミックさの本性かもしれないと人はいう。

 暗部汚点をあげるなら、東西南北からの人種混合のるつぼには、家畜同然に拉致され運び込まれた人種もあって、未だ差別社会を払拭できていない。


 他方のロシア。
 王朝帝国の時代が延々とあって市民大多数が農奴として貧苦にあえいでいた。
 それが続いていたが、18世紀からフランスでわき上がった市民革命が飛び火し、起きるべくして起きた、20世紀の革命。

 独裁圧政からの決別できた。
 市民が念願悲願の皆平等のユートピアを手にして、共生社会をめざしたのも無理からぬ話。
 市民の同志が代表、社会主義共和連邦の政治体制を握って維持して、現在の体制がある。

 帝政の恐怖が残っていたか、平等の徹底が行き過ぎたということはあるようだ。
 すべてが国民の所有物つまり政府の管理物となれば、すべては皆で分け合うのが道理。

 個人の自由奔放さを戒める思い危機感が強いあまり、抜け駆けや突出あるいは個人持ちを嫌い、チクリ告げ口に妬みも加わる恐怖もあるらしい。
 政治の批判や思想に抑制制限も強く、罰は残忍でさえあるとか。
 知識人から不満が囁かれることも少なくない。


 ・・というように、良かれと理想を目指した国家においても夢社会などはありえないようなのです。


 こうしたそれぞれの状況を誇大表現した社会派小説や映画をひとつづつ−−

   ・

 町全体を映画撮影の大規模セットとして離れ島に作りあげて。
 それを生活環境として人々が日常生活をごく普通に過ごしている。

 その町が作りものの世界であることを知らない主人公の男は、その町で育って成人した。
 町で巡り会った女性と家庭をもつ。

 セット内の男の生活の様子すべては、隠し撮られてテレビ中継されている。
 外の現実世界に放送され面白く見られているのです。

 知らないのは本人だけ。ほかはすべて俳優さん。

 主人公が年月を経るなかの生活の転換点で迷い悩むことは、外部の視聴者に生のドラマとして見られて。彼が判断することはクイズとしてその結果を賭けられる。
 日々の映しだされる物は宣伝CMの意味さえあるのだ。

 たしか最後で主人公はそのカラクリセットにおかれている自分に気付く。

 そういうアメリカ映画を観たことがある。(トゥルーマン・ショー)
 主役俳優の人柄もあろうか表面上はけっこう明るいストーリー進行だったと思う。


 とはいえこの状況をわが身にして思えば。
 ここまで自分の生活がガラス試験器(スタジオセット)のなかの実験材料か被写体として。
 そのすべてが白日のもとに曝(さら)されていたと知るのは、そうとうに辛いだろう。
 戻せぬわが運命を呪い自暴自棄にもなり、自滅の道だって選びかねない。
 それほどに動転すると思う。

 いかに自由で儲けるためには何でもありのアメリカとはいいながら、個人生活をまな板に載せて始終撮して大衆の面白さのために提供されることまで許されるか。

 娯楽作品でありながらきわめて痛烈な皮肉あるメッセージを感じたのを憶えています。


   ・

 映像によって逐一個人を監視する話といえば、「1984年」というジョージ・オウェル作の社会派小説が有名。
 まだ映像放送が成り立ってしない1949年代に、来るべき映像時代を予見して書かれたもの。これも映画化されたようです。

 社会主義体制下の政府当局は、現代でいうところの超大画面テレビを全国いたるところに設置して、プロパガンダ放送を終夜表示し続けている。
 その内容は政治的意図をもった国民を欺くための映像情報ばかりで、自由放送はない。

 自国はうまくいっているから何も問題はない。
 要らぬ心配せぬように。
 と、国の安全と、幸せそうな人たちの偽りの笑顔、を映すばかり。
 抑圧社会の悲惨な真実はいっさい見せない。

 これにあわせて、全国くまなく設置したカメラで国民番号を付番された全国民の挙動を終日監視している。
 一切の隠し立てができない国民に何か不審不満の言動を見つけると、大型画面は切り替わる。
 かような楽園において不満をもつ精神の異常者が居た、とばかりにクローズアップで映しだされる。
 公の目にさらされて勧告を受け、減点カウント記録される。

 だから町の皆は関わりを嫌って物陰に身を隠す。
 誰もがつながりをもたず、みなが孤独。

 心の平穏のないなかで不満や批判などもあろうが、誤って吐露したりでもすれば。またたび重なる者へも。
 どこからともなく現れる秘密警察が人知れぬところへ連れ去る。

 こうして日頃流し続けられている国民が直には一度も見たことのない平穏な仮想世界映像そのままの嘘の楽園は保たれてゆく。


   ・

 以上ふたつ。
 歴史的背景が異なる政治的にも市民生活意識でも両極にあるアメリカとロシア。

 それぞれの特徴を表現したような内容を見れば、現実はそれほどのことはなかろうさという声も聞こえそうです。

 とは言うものの、実際のアメリカ的奔放なまでの自由社会も、制限多いといわれるロシア社会にも、その間にある多くの国の政治でも。
 最強の利器、核を武装して、はずせないのは同じ。
 国民の批判の声も出来ることなら聞きたくはない。

 そこで、出来るけどやってはいけないことや、使っては罪になるとしても。
 望む結果に有効だとなれば、使えるものは使って活かすだろうし、出来ること可能なことはすべてやってしまうのが、人間の弱い性のようだ。

 原爆も水爆も、クラスター爆弾も地雷も。衛星だってミサイルだって。催涙ガスだって中性子爆弾だって。
 レーダーだって無人飛行機だって、インターネットだって偽情報怪情報の流出だって。
 なんでもかんでも、勝つために、事なかれに治めるために、手段など選ぶはずもない。

 武器のすべては科学技術の応用品であり、科学技術のすべてが社会的反社会的両面に諸刃の剣となりうると言われます。
 ではいったいどこまでの利用が許されるか、妥協できるか。

 米ロはこれから最も難しい協議に再挑戦する。




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