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夢舟亭
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エッセイ  夢舟亭     2008年 1月11日


   寛美と寅次郎


 いまだにニホンの代表映画として指折るひとが多い、男はつらいよ。
 感動するというひとは少なくないようだ。
 だのにわたしは、俳優渥美清はともかく演じられる寅次郎が好きになれない。

 同じような人物を演ずるように見えるが、関西の藤山寛美のお芝居は好きなのだ。
 いまではどちらも故人となってしまった。
 生前の活躍では、ともにどこかマイナス面のあるひとを扱った喜劇人である。


 寛美はステージが主で、歴史ある松竹新喜劇を演技と人気で立てなおした。
 当初、主な演目に障害児関係者から批判を受けて、演ずるのをやめたシリーズものがあった。

 しかしその後も、自分の世界を再構築して人気は持ちなおした。
 その絶頂期のエピソードに、当日その日来場客の投票によって演目を決めるという、なんともスタッフ泣かせの暴挙を長期にわたってやった。

 芝居は生ものがいちばんうまいとでもいうのだろうか、客はもちろん驚喜した。
 演目はどれも人情の機微をもって人の道を訴える。
 金銭や地位名誉にかたよる生き方に道義を説き改心の場でおわる。
 そのときを観客は笑いつつ待っていて、納得の涙を流す。

 じっさいに足をはこんだことがあった会場は、中高年世代の女性が多い。
 手弁当で観ていたそれら顔は、笑いころげてうなずきながら、目は濡れていた。


 渥美寅次郎の方は、山田洋次監督が育てたというべきだろう。
 テレビドラマを映画化したのが始まりだという、男はつらいよ。
 その主役、寅次郎。

 わたしは当初のそのドラマは、泣いてたまるかよぉ〜のテーマソングのあれかと憶えている。
 映画化のとき、これほどあたりが続くなど思っていなかったという。
 それが正月やお盆の定番封切りものになった。

 日本庶民の楽しみに欠かせないといえばおおげさか。
 五十作ほどにもなるのだろうか。

 寅次郎はなにか信念をもっているとか、秀でた行動を示したりはしない。
 風来坊とでもいうような、一般的にみれば分かりにくい旅する男だ。
 ひとなみに、まともな恋愛面でのつき合いを女性とできない。

 気の向いたときふと実家に戻ってきたりする。
 実家とは、代々住み着いた下町のおばさん老夫婦の駄菓子屋。妹がともに暮らしている。
 妹もすでに夫を得、子をもつ常人。

 下町風情の住民と家族の交流。
 それへ寅が旅から持ち込んだ騒動に、観客は笑いながら同情する。
 このパターンは毎回おなじ。

 旅先の思い出ばなしなどに、ふと人生訓めいたせりふが添えてあったりする。


 どちらも底流には人情ものの落語ストーリーが漂っているとわたしは思っている。
 そのなかの与太郎の役回りだろう。
 わたしにはその表現が分かっていて面白いのが寛美で。
 どうにもうっとうしいのが寅次郎だ。

 演ずるステージ出身の渥美清は、本当に寅次郎の生き方に共感できていたのだろうかと思う。
 俳優商売とはいえ、あのような役を永年させられ、まるで本人と二重写しに観客に思われていることに満足していたのだろうか。

 わたしが山田監督の作品で良かったと思うのは、学校Vだった。
 失業の人々が社会復帰再起のために、学び通う職業訓練校。
 その教室風景であり人間模様だった。
 それなりのハッピーエンドが待っていた。

 じつはこの映画といっしょに、フルモンティ、を見た。
 ほぼ似た状況設定のストーリーで、失業者をテーマとしたものなので対比が印象深かった。
 日本と英国。
 失業による生活再生を図ろうとする窮地の人々の姿勢の、それぞれの違いを見ることとなった。

 失業は家庭の危機であり生活の行きづまり切実さがあろう。
 だが学校Vの表現はあまく感じた。
 対して英国の作品はおなじテーマを、その苦悩や切実さがリアルに表現されて迫った。
 その違いこそが映画という芸術性であろう。

 わたしは、学校Vにかぎらず山田作品には、極端な山谷の抑揚やメリハリを感じない。
 それがストレートな心情表現をきらう日本人の代弁なのかもしれない。
 山田作品の息の長い共感を集めるみなもとがそれかなと思ったりしている。

 時代物も撮りはじめたようだ。
 死をあつかってもおなじで、人情的なるムードで良しとまとめてしまう。
 そこには藤沢文学の味もあろうか。


 年末BSの過去ステージ特集があった。
 松竹新喜劇名舞台からは、船場の子守唄、がとりあげられた。
 そこに懐かしい寛美を観ることができた。

 大阪船場の商家の現代話。
 築きあげた店は代替わりした息子に経営を渡した寛美おじいちゃん。
 社長である息子の怒りをかって退職した社員と、かけおちして数年の孫娘が気にかかる。
 その居所をやっとつきとめたおじいちゃんが、部屋主から孫娘の生活苦を察する。
 そのやりとりが大いに笑をさそう。

 そして例により、そこへ一人ひとり家族を案じつつそろっては、お定まりの老親が諭す場となり、ほろり涙をひきだす。
 この分かっているのに誘われてしまう関西味は何んなんだろう。

 わたしは落語となると関西ものよりも、江戸の人情噺が肌にあうのに。





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