<この文章は商業的な意図をもって書かれたものではありません>
夢舟亭 エッセイ 2006年01月21日
歌謡曲という音楽のこと
好きな歌謡曲があってよく聴きますよと、クラシックファンのかたに言う自分を思えば、ちょっと恥ずかしく勇気が要る。
その反面、歌謡曲など聴くはずないじゃないですかと、自称クラシックファンに言われると、これはこれでまた割り切れない感じがする。
クラシック音楽ファン皆がそういう思いを抱くのかどうかは分かりません。
それはともかく、歌謡曲を聴くというのも恥ずかしいが、さりとて聴かないと言い切る思いにも複雑なものを感じるのです。
音楽一般として、野菜も果物、魚貝などをミックスしたサラダを程良く味うように。広くジャンルを越えて聴く人はどれほどの割合なのか・・。
世界地図を拡げると、アジア周辺だけを見てもインドやロシア。そしてインドネシア、タイ、マレーシア、ベトナム、中国、韓国などを含む巨大な大陸。
その大陸の東端にへばり付くほどの、見逃して仕舞いそうな日本列島。
北から南に、小さなタツノオトシゴ形の小島群として存在する。
島国のため、古来アジア的でありながらも近隣諸国から学んで。
独自の文化に改変し、受け継いで来たのだといわれるニホンの文化。
今となっては、日本独自の伝統文化として根付いている。
それはこの列島民が保存しない限り消えて無くなる。
そこで、たとえば歌謡曲。
これもそうかといえば、まさにそうだと言いたい。
とはいえ、私には音楽的学術なる知識を述べるほどの才は無い。
先年、中国との国交30周年記念の音楽祭が放映された。
そこで歌われた日本では発売もされていない中国話題の歌を聴いてみれば。
日本民謡はもちろん、歌謡曲と似た歌い廻しを感じた。
ああ、これは間違いなくアジア風だと。その親近感に嬉しくなったのでした。
アメリカンポップスでもなければヨーロッパの軽音楽とは見事に違うことが分かる。
アジアの住人であればこそ納得できる響きや歌い回しなのでした。
もっとも容姿憧れ人気系の今ふうな、体感型躍動的ヤングミュージックにおいては、これはもうワールドワイド。
アジア全域を越えて世界に通じるようなにぎやかさ。
なので、ここでいう歌謡曲とは、そのヤング系をひとまず別にして考えたい。
アジア共通の風。黄色人種的な風土に培われた歌は、民謡を根にしているだろうか。
「こぶし」まわしや、発声のせいなのだろうか。とても似ている。
その点にとてもアジアの匂いを感じる。
それぞれの民謡に起源をもっているものもあるのではないかという気がした。
アジア各地の個性「癖」はあるものの、それはそれでまた楽しめた。
中国のなかでも、モンゴル系や韓国寄り。
あるいは漢民族などと広範囲なだけに、民族の違いのなかにも中国の独自性があるという。
中国国内では、今にち歌謡全国大会があって、各地から勝ち抜いた喉自慢が会して競うようだ。
その声たるや、マイク無しでも草原や高原の間に朗々と響き渡るものだ。聞いて、ただ驚く。
クラシックのベルカント歌唱法などと比べても遜色ない。いやそれを超える。
そうして聴けばまた、日本民謡にもそういう歌い方と声があることに気付く。
清酒のCMとして流れたことのある「会津磐梯山」。
歌う大塚文夫の声などは、雪深い田園を吹き抜けるような風土感があって、とても味わい深い。
いやいやそれに限らず、この国に民謡は多い。
日本の歌としては民謡だけでなく、浪曲、講談、浪花節、浄瑠璃。端唄小唄長唄新内などなど。
多岐に渡る音楽文化は、昭和において歌謡曲となった。
その後歌謡曲は私たちの耳を楽しませてきた。
流行(はやり)歌として、ときに商業性もあいまって、盛んに創られて歌われ聞かれた。
歌は世に連れ。
世は歌に連れ。
というなら、まさにこの列島各地方に住む市民、庶民われらの血肉に響き、希望を与えてきたわけです。
前世代が生み出した流行りうたが、昭和の戦後を発展期とした歌謡曲。
この数十年の心の友だった。
クラシック曲などの生い立ちや目的とは違った、この島土着の歌の流れだろう。
それだけに、訳すことも要ない、人々の実寸大の喜怒哀楽の思いを代弁している。
だから聞くだけで、歌わんとすることに共感できてしまう。
力付けにもなれば、癒すほどの情緒も聴かれる。
自ら口ずさむことも容易い自国の言葉であり身近な調べなのだ。
昭和は、折しも惨敗の戦後ニッポン人の、無一文の絶望社会で、心の歌として浸みた。
それまでの欧米文化、西洋音楽制限の、関が崩壊したのが戦後だった。
クラシックなどもその期を境に、東西のものが市民の耳に入るようになった。
まだ100年も経っていない。
そしてクラシックやジャズ。カントリー&ウェスタン、ロカビリーなどアメリカンポップス。あるいはヨーロッパからはシャンソンやカンツォーネなど。アルゼンチンタンゴやコンチネンタルタンゴほかラテンもの。ほかにも映画音楽など。
厳重禁止封印されていた洋曲の扉が一挙に開いたのでした。
戦勝国、占領軍として駐留した米軍兵たちが差し出す甘いチョコレートを、われ先に奪いとる日本人の汗くさい廃墟の手。
敗者わが日本国民は、このとき異文化の大洪水を渇水の砂漠にオアシスを見いだしたように、むさぼるほどに飲み、かつ、浴びた。
その昔、アジア大陸から異文化仏教を持ちこんで消化して、今ではわが文化伝統として浸透定着させたのと同じく。
先に述べた洋曲たちを真似て昭和歌謡として、たくましくも日本味に調理しなおした。
それが今日に続く歌謡曲にもなっている。
クラシックもジャズやアメリカ軽音楽からも、カンツォーネやシャンソンからも。
「良いとこ取り」の達人として、新境地を拓いたのでした。
その結果、和洋折衷(わようせっちゅう)などと言えようメロディーが、次々に生まれ出て大衆の耳を心を楽しませた。
込められ表現される心情は、間違いなく日本列島住人のものだった。
箸を手に、みそ汁すすって、米の飯を食して。
四季折々のニッポンの風にふかれて、初めて味わえる歌でした。
その味は、異国に離れ住んでみてこそよく感じるとの声も聞く。
それほどに日本特有の匂いは濃いものがある。
しょうゆ味であり、味噌味なのだろうか。
そうした先で、歌謡曲には、昨今この大人味が薄れていると言われる。いや歌謡曲とはどの辺りの音楽かさえ曖昧だ。
先に述べた日本歌謡の直系ともいわれ、今では「演歌」などと呼ばれ、いささか蔑視されながら、廃れぎみだという声もある。
それは歌謡曲の内容の低落なろうだろうか。
聞く側の好みの変化なのだろうか。
そこでたとえば−−
ザザッザッザーン。
管弦フルオーケストラが荒れて波高い酷寒の海を現す。
テナーサックス三度吹いて協奏す。
継いでオーボエか、人のぬくもりを聞かせる。
夕べに都会を発った列車は、一路夜を徹して北へ向かって。
今朝、本州北の端、青森に降り立った。
さよなら……と、もれるつぶやき。
ああ、どれほどの思い出と別れて来たのか。
今渡るに渡れない北の海峡は、吹雪を寒々と吸い込みながら荒れ狂っている。
このまま荒れてフェリーが出なければいい。
そうすれば、また逢えるかもしれないのだから。でもここは都から遙かに……。
わずか3分ほどの小曲が、厳冬の青森港埠頭に立つ、北海道行きのフェリーの遅れに複雑な乙女心を歌う。
待合室から見る窓の外は吹雪いていて。
それを見つめるひとりの女性を、一遍の絵としてとくと描きうる。
歌の力に、自国の言葉の強みが加わって、聞くこちらの胸に迫るものを感じる。
これは「津軽海峡冬景色」からの印象です。
耳慣れた日本歌謡メロディーに、自国の言葉が自然に聞き取れたときに、ストレートに胸に沁みる。自国の歌の強みです。
このとき、聴かない恥ずかしさに気付く。われは洋楽が好きだという日本人。
この時響いて感じる「分かる」ことと、異国のまったく異なる土壌と生い立ちの音楽、たとえば通訳付きで理解に努めているはずのクラシックを楽しむ「分かる」は、どちらが音楽の核心に触れているだろうか。
人は言葉で考えるのだから、日本人には言うまでもないことであろう。
都会に絶望して、あるいは惹かれる思いを振り切って。
故郷へ帰る者、あるいは故郷を後にする気持ち。
そうせねばならない立場。
それを歌う曲は世の東西を問わず、各国にも似た生きるうえの事情は少なくあるまいこと。
都を捨てて、あるいは故郷を後にして、明日に向かう。
シューベルトにも「冬の旅」があった。
ロシアの歌にも、最北の街の夕べの鐘に故郷を懐かしむのを聴いたことがある。
吟遊詩人の古来よりのそうした思いが歌い続けられたようだ。
同じくわが国でも千年万葉の昔から、都の彼方にこそ心の歌が有ったのではなかったか。
だが戦後、占領国との立場位置関係のせいだろうか。
「西高東低」というような文化観を見て聞いて、教えられて刷り込まれ、すっかり身に付いてしまったのもまた、昭和世代の特徴だろうことを思う。
今日のクラシックファンにはこの辺りの勘違いが無いとはいえないように思うが、どうだろう。
西高東低とは、天気予報の用語ではない。
西は西洋、欧米を指す。
欧米の文化は高い、高度で高尚でハイレベルだ、という意味である。
対して、東。
それはアジア。つまりわが日本などは、低俗で下品であるということなのだ。
こうした意識が浸みついでしまったということを「西高東低」と表されたのだ。
もちろんそんなことはあり得ない。
ありえないが、今にち日本社会を眺むれば、である。
カタカナ、と、アルファベット。
外来語から造語までが、欧米を真似て似せて氾濫してはいないだろうか。
日本語までもが英語的発音の歌がある。
できれば英語そのままなら最高だと言わんばかりに、その良し悪しを問わず、舶来ものを上に見ているようだ、ということである。
言い方を換えれば、日本語、漢字や和文、古来の言葉で表現されると、どこか野暮ったさを感じないだろうか。重い、という人も少なくないのだが。
ミュージック、を、音楽。
ポップミュージック、を、軽音楽。
カルチャー、文化。
アート、芸術。
アーティスト、音楽家(芸術家)
・・いかがだろう。
パリではね、英国ではさ。ニューヨークなんかではヨ、とかなんとかに似たあの恥ずかしさを、無意識に現していないだろうか。
正直なところを言えば、こういう思いを少なからず抱いて平気な人の音楽観を私は信じない。
信じないどころか、嗤いを禁じ得ないのだ。
こういう人たちは、反作用として歌謡曲に限らず民謡ほかの、自国の言葉で歌い上げるものを常に下に見てしまっている。
見ないで無視する者も多かったし、貧相だとまでの罵声すら、ある。
その証拠に、今でもその公演の会場として音楽専用ホールは貸さないとの、断りも見受けられる。クラシック以外は禁止だ、というわけだ。
なんというニホンという国の見当違いな田舎根性だろう。
生真面目な人の心の表現に上品下賤の別でもあるというのか。
歌謡曲で歌われる恋心と、ヴェルディやロッシーニ、あるいはワーグナーの曲の恋心には、上下の違いがあるというつもりなのだろうか。
アントニオ・ストラディヴァリのヴァイオリンのボーイングをもってしか、切なさ悲しみは表現できないとでもいうのだろうか。
わが国には、人種差別はともかく、未だに文化差別を、それも自国の音楽に対してあるという事実をどう考えるべきだろう。
戦中において、ドイツ帝国軍ナチスと、無意識にも支持してしまったドイツ国民やユダヤ民排除に荷担した国々と人々もまた。
やはり手を貸したことになる。
あの収容所における非道の大量殺戮は世界でよく知られているのに。
ユダヤ民族撲滅の蛮行があったことは周知の事実なのに。
無意識に毛嫌いした当の本人は気づいていない。
さて、日本歌謡が戦後、洋楽ファンから受けてきた自国音楽蔑視のその冷たい視線。
それがどれほど厳しい逆風であったろうかとは思わないだろうか。
先にあげた西高東低の言葉、聞くも恥ずかしいという後ろ指や、流行歌なんてというあざけりの中で、泣きの涙や悲鳴を上げながら細っていった事実を、であります。
にもかかわらず、裏町や巷居酒屋で、ジャズもタンゴもそのほか庶民の心の世界の片隅の音楽として生き抜いた様に、日本歌謡もまた逞しく生き抜いてきたわけです。
どれほど測る尺度が異なろうと、良いものは良い。
心に響き、共感出来るものは素直に支持する。
真っ当な音楽ファンの姿勢とは、そういうものではないでしょうか。
そうした静かな積極さが、日本の音楽ファンに増えればより良い日本歌謡が、時代に即してまだまだ生まれ育ってくる気がします。
世界からの良いとこ取りという、日本人特有の和合文化。工業や産業分野だけでなく音楽の世界にもそれはあって、日本音楽文化が一層実るのではないかと思います。
グローバル化の時代などと言われるが、歌謡曲はこの島の中だからこそ共感できるという味であって良いわけです。
歌謡曲にも注文はあるわけで、時代を歌う精神をおろそかにしてはいないだろうか、と問いたい人は多いかもしれない。見てくれよりも歌の心への原点復帰を願いたいと。
昔はもっと身近で良かったという声もある。
性差観が古い。人生観が貧しい。社会の実態を見えてないのでは。
今に生きる大人の心を代弁する歌がない。
などなど聴きたいのに聴くものが見つからない、という嘆きもあるわけです。
そうした声を反映する為にも、音楽ファンはジャンルを選ばず、少なくとも良い曲には良い、と言いえる幅広い音楽観を持つべきではないかと思うのです。
かく言う私も、恥ずかしいことに長い間歌謡曲を見下してきた一人なのであります。
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