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夢舟亭
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夢舟亭 エッセイ     2001/03/12


      風の匂い


   −− 蛇と蛙 −−


 春。小池や川面に陽の光がきらきら照り返すのをみると、ふる里の沼を思い出す。
 ひょうたんの形をした学校のグランドほどの大きさのものだった。
 大きな川から離れたあの地域は、山から流れくだるせせらぎをいくつか集めて田んぼの用水に溜める池が多かったのだ。
 雪が多い年の春は、水草の新芽のあたまがやっと池面につき出るほどに満水になる。
 大人たちが、水が溢れるまえにあわてて樋(とい)を抜き、放水したものだ。

 あの沼へは、集落のはずれから田畑の間を流れる堀沿いに、小道をゆく。
 小道にはふきのとうが薄みどりの芽をぼんぼりにふくらませ、つくしん坊がにょきにょきっと人肌色のほそい茎を生やしていた。
 クローバーのみどり葉は絨毯のように地に拡がっていて、まっ黄色の花輪を長い茎にのせたたんぽぽとの対比がとてもあざやかだった。

 行く手に、三角おにぎり形の、町の守り神の山がそびえていたっけ。
 神社の赤い鳥居の右側を過ぎると登り道が続く。
 その先に雑木林の一帯があった。
 しばらく踏み込むと茅(かや)の原に囲まれて沼が静かに広がっていた。
 沼の向こう岸は高く山吹きが橙(だいだい)色の絵の具を塗ったように群生していた。
 新緑の山頂からは山桜が薄桃色の花ふぶきを散らして落ちては沼一面を染めていた。

 そうした季節の朝早くに中学生の私は沼でよく釣りをした。
 あくびをくり返しながら沼の土手までたどり着く。と、土手を背丈の高さほど降りて岸辺に立つ。
 さわさわと朝風が涼しくほほを撫でる。
 水面へも吹いては細かい波を立てていた。

 狙う獲物は、真ブナだ。
 陽が昇って間もないその時刻によく釣れる。
 魚にも朝食の時分があるのだと憶えた。

「し」の字の形をした銀の釣り針に、数センチほどの薄紫細身の、ぐにゃぐにゃうごめく縞みみずを手際よく刺し通す。
 ウキと針までを沼の深さを想像して合わせる。
 そして竿をひと振り。
 獲物が寄りそうに思える辺りへ放る。
  ぽちゃっ。
 しずかな沼の深みの水面に棒状のウキが赤く浮いて、周囲に波立つ。
 半透明な釣り糸が竿のさきから水面にS字を描いている。
 小波になぶられながら揺れるウキまで行く糸は、そこから水中にまっすぐ没している。

 仕掛けがすんで一息する。
 しばらく山野の静寂をかみしめる。
 と、野鳥のさえずる声に気づいたりする。

 やがてウキが風のたてる波のものとは違う動きを示す。
 引いた!
 糸を垂れてからここまでの時間の短さは、運だろうか。
 短かければ短いほど腕が良い、などと喜ぶのも釣りの楽しさだ。

 つんつんと沼のなかでたしかに何かが釣り糸を引いている。
 ウキを中心にして、同心円に波の輪が広がる。
 魚がみみずを朝食とみとめたのだろう。

 餌の付いた針をくわえてゆこうとする魚の動きは、糸から水面のウキに伝わって示す。
 魚と人間の接点であるウキの、その動き方は獲物がなんであるかを知らせている。
 この引き方は真ブナだ。間違いない。
 唾を飲み、竿を握りなおし、もうひとつの強い引きを待つ。

 ぐいっと、水中まで、ウキを一気に引く。
 今だ。

 竿を握りなおして、立てる。
 ぶるるるるっと竿がゆれて、ぴんぴんと釣り糸が引かれて張る。
 竿の先から、たしかな手応えが伝ってくる。
 獲物が掛かった。

 さらに竿を上げる。
 細い竿の先端が、ぐんにゃりと水面に向かってしなる。
 水面で糸が右に左に走る。
 この瞬間の引きの強さこそ釣りの面白さ。そのすべてかもしれない。

 掛かった魚はいま陥った危機から死にものぐるいで逃れようとして、暴れまわる。
 だから彼らの住む世界である水中での動きは、魚体の大きさを何倍にも感じさせる。
 その手応えは魚の姿を見るまで釣る者の興奮を高める。

 やがて魚は食らいついた口に針に引っ掛かけたまま、引きあげられる。
 水の世界と別れて、銀鱗に陽を白くはね返して。
 空中に尾ひれをばた付かせて、地獄をみる。
 釣る者はといえば、竿にぶるぶるとして吊り下がるその姿をしばし楽しむ。

 釣り上げた瞬間、あげた魚への関心は薄くなる。
 次の獲物へ思いを馳せる。
 だから持ち帰ってどう処理したかなどは今憶えていない。
 餌をやった記憶もない。

 年寄りが串に刺して囲炉裏に突き立てて焼いておいて食す家もあった。
 思えば、生命を弄(もてあそ)ぶ遊びなのだが、釣り上げた魚も餌のみみずへも哀れみを感じるなどあろうはずもなかった。

 そうした楽しさを数度くり返すと陽が昇りきって頭上に達する時間になる。
 魚は朝食を終えたのか、引きは無くなるのだった。

 岸辺に浸した魚籠(びく)のなかで、数尾の獲物フナが暴れくねった尾ひれで、しぶきを跳ばす。へたな鯉以上の体長のもいて満悦気分をもり立てる。
 でもこの沼には、抱えてあまるほどの鯉も住みついていて、釣り上げられず糸を切られたという友の武勇伝も聞いていた。
 釣り人の望みは大人も子供も、獲物のサイズだ。
 より大きいことに極まる。

 そうした私の気持ちをよそにウキはぽつっと立ったまま、変化のない時間をおくっている。
 空の青さが水面に映っていた。
  かっこー、かっこ。

 釣り竿を足下の柔土に突き刺して、草地の土手に寝ころぶ。
 日差しがほっかりと暖かく、朝起きで残した眠気がよみがえる。

 うつらうつらとした、そのとき。
  カサカサカサッ。
 私のあたまのそばの草の間から沼の水辺に向かって、何かが走りでた。

 ずんぐりと太ったあお蛙が跳びはねた。というより一目散に土手を転げた感じだ。
 そしてすぐに。
  ツツツ、ツツツツツ。

 すぐにもうひとつ。
 すさまじい速さで追いせまったものがある。
 蛇だ。
 長い身を草に擦って、くねって進むその姿と速さとに驚いて私はとび上がった。

 沼のふちまで逃げ下った蛙は静かな水面へ、必死の思いの一蹴りを行った。
 手足を延ばしきって中空に弧を描いた。
 私は蛙が間一髪で逃げ切ったと思った。

 けれど・・その身体は思い通りに着水しなかった。
 それを追う蛇はZ文字の体形になってから、スプリングが伸びるように身を直にした。
 蛙の飛んだ軌跡に向かって伸びたのだ。
 そして、わずか歯先ひとつを蛙の後ろ足の水掻きの皮一枚に食らいついた。

 蛙と蛇はそのまま落ちて水しぶきを散らせた。
 水掻を引きちぎれば、目の前は蛙の世界だったのだ。
 だが蛇に捕らえられた蛙の恐怖心はその行動を起こせなかった。
 ただ観念してしまって、動けない。

 蛇は放しはしない。
 ぶつぶつゴム質のような黒い背とクリーム色のうろこ腹で、のたうつように蛙をからみつける。
 しっかりと押さえると蛙をにらむように前面に顔をひねった。
 そして大きくも見えない蛇の口を上下に開いて、蛙の鼻先にかぶりつく。
 くくーっと、悲痛なうなり声を発する蛙。
 自分の三倍も太いその獲物である蛙の、頭を含もうとぱくりぱくりとくわえ直す蛇。

 蛇は突然ぶくりと膨らませ顎をはずした。
 その時点で蛙の頭のほとんどが呑まれた。
 そこから一口、一息、飲み込んでゆく。

 くっくくくく。
 蛇の喉の奥くで蛙が鳴く。
 口から外の身体がどんどん少なくなる。
 伸びきった両足の付け根から先が蛇の口にでているのみとなり、垂れた足が細かく痙攣した。
 それを最後に蛙は一気に呑み込まれてしまった。
 蛇は、長い身のまあるく膨らん部分を奥へおくへとしごきながら送りこむ。

 私は、恐怖の思いで及び腰なのだが、いつの間にか好奇心が勝った。
 顎を突き出してその様子に見入る。
 眠気などすっかり吹き飛んでしまった。

 ぶくりとした満腹をよいしょとばかりにひねり、文字通りUターンに移った蛇。
 その小さな眼に出会った時、私は耳に残った蛙の声を思い、どうしようもない怒りが満身に沸いてきた。

  このやろうぉ。

 何か硬いものを身辺に探す。
 だが何も無い。
 蛇は私の微動に人が放つ殺意を察知したのだろうか。
 重い蛇腹の動きを早めると降りてきた土手を登りはじめた。

 逃げるとみた私は、とりあえずゴム長の足で蛇を踏んだ。
 くねって首をもたげる蛇。
 驚いて足を離す。
 また逃げる蛇。

 水辺に濡れたこぶし大の石を見つけて、拾う。
 ぶつけた。
 蛇の頭部にあたった。

 長細い下腹部がくるくるっとよじれる。
 走り寄って蛇の頭に靴のかかとを踏みおろす。
 二回、三回・・五・・七・十回。
 蛇の頭はぺちゃんこになった。
 でも尾の細い先端はよじれ動いていた。

 片足で蛇の尾を踏み、もう片方で膨らんだ腹を口の方に押し出す。
 蛙が助かるとは思わなかったが、自分はおまえらよりも偉大な人間だからこれほどの悪事を見逃すわけはない。
 蛇よ、蛙に代わって人間がお前に正義を下す。
 それにしても蛇というものはなんと恐ろしい生き物だろうか。


 数十年も前の春の日。
 小生物の死闘の最後の部分で、呑まれて動かなくなってしまった蛙がねっとりとして蛇の口から姿を現した。
 人の感情からいえば、他生物を生け捕り喰らうショッキングなシーンだった。

 だが虐めやいたぶりというのとは違うごく日常的な命を維持する蛇の、食事でしかなかっのだ。
 生物の側に立てば、食に無関係な人間の釣り遊びの方が無益な殺生だろう。
 そてこそが実に不可解な行いかもしれない。

 だが中学生の私はそうした考えに至らなかった。
 白い腹を上にねじって動かない蛇。
 その潰れた頭の先には青蛙の死骸がある。

 そのそばでしばらく釣りを続けたのも、思い起こせば良い度胸だったか。はたまた鈍感なのか。当時の子ども心は今測れない。
 だが少なくとも当時の私たちは、そうしたものだった。

 釣りの方はウキが一向に動かない。
 餌を交換しても引きは無し。
 もう帰ろう。
 そう決めて、釣り竿に糸を巻きとる。

 蛇と蛙の死骸をまたいで行こうとすると、既に細かい蟻の黒粒の列が蛇と蛙の両方へ群がっていた。





     −− アカ −−


 家に帰ると母がどこに行っていたかと迎えた。
 早く昼食を済ませなさいという。
 もともと私の釣り遊びの成果などに興味を示す母ではなかった。

 午後にはまた田んぼを耕しに行くのだと、急かす。
 既に父は田に出たのだと。
 共に食卓に坐り箸をとる。

 アカが子を産みおったよと、食事もそこそこに流し台に立つ母は気ぜわしい。
 何匹かと問う。
 子は四匹だという。

 猫などもう要らんから、父に早いところ川に納めてもらうからと食器を洗い終えている。
 どこへ納めるのかと問い返すと、隣り町の大川に眼の開かないうちにだという。

 親猫のアカは、小さいうちにどこからか来て、アカアカと家族が呼ぶようになった。
 そうして居着いたメスの茶毛猫だ。

 おそらくは姉弟だろう二匹で舞い込んだのだったが、黒毛まじりのオスの方はまもなく寝起きした木小屋の軒下に死んでいた。
 独り残ったアカは寂しそうに鳴いていたが、そのあと遠出をするようになった。
 二晩も三晩も帰らないことがしばらくあった。

 アカの腹が大きいぞと父が言ったのと、出歩きをやめたのが同時。
 それが昨夜生まれたのだという。

 昼食を終えてアカの住み着いた木小屋に行ってみる。
 入り口の引き戸をくぐると私の気配に気づいたアカがごろにゃあんと警戒する。
 積み上がったわら束のすき間で横になったアカの腹に、びわの実ほどの頭の目が閉じた子猫。無心にしがみつきちぱちぱと乳を吸っていた。

 親とおなじ茶毛の四匹はいまにも折れそうで心もとない手足を、もぞもぞと母腹に動かしていた。
 私は腹這いになって顔を寄せた。
 粗野で暴力的な強さがなければ中学生の男とはいえないなどと小生意気になり始めた私だったが、目の前の仕草にはうふふふふっと感情がはしゃぐのを抑えられなかった。

 ふにゃふにゃうごめく子猫にそっと手をのばす。
 にゃごうんとアカが牙を剥く。
 そう怒るななよと囁きながら子猫に触れる。

 どういう加減でかくも愛らしく生き物の赤子がこの世に現れるのだろうか。
 親の不安げなうなり声にかまわず、ひとつをすくい上げる。
 ふわふわの体毛。へにゃへにゃの肉質。野いちごの枝のトゲほどの爪。
 みゃぁみゃぁと口が動くそれを両手に持ち直す。
 ほほを付けてふわふわな感触をたしかめてみる。
 鼻先をすり寄せてきて私の顔に乳房をさがす。
 うふふふ、と嬉しくなる。

 目の前に持ってきては、しかとながめる。
 ピンクの鼻の両側に数本の白いひげが、ぴんと生えている。
 これが、なんともおかしい。
 とはいえ、猫や犬は、私が生まれたときからいつも周りに居たし、放し飼いが当たり前のあのころだ。
 子が生まれるのはとくに珍しいことではなかった。

 生まれれば、飼う気がなければ。
 すべては母のいうように川に捨て「納め」るものと決まっていた。
 今回もそうなることに私自身も疑問はなかった。

 居るかいと、戸口で母の声がする。
 田んぼに持ってゆくものを運んでくれという。
 農作業の繁忙期。中学生の体は立派な労働力であった。
 親に指示された仕事は拒めない。

 エンジンの付いた農機具の少ないあの時期は、近所となりの手伝い合いで農作業をこなした。手伝いの人たちの休憩食事を田んぼで出すのだ。
 私も翌年からはそうした大人たちの中で働くことになるのだった。

 田んぼに向かう道々。母が、アカの子は弱いようだという。
 どれもからだが痩せて小さく、弱い。
 あんなのは捨てる前に死んでしまうだろう。
 アカの乳の出が悪いのは出歩いていたとき何も食い物を口にしなかったからだろうと。

 数日後、母のことば通りあかの子は一匹死んだ。
 子は三匹になった。

 動かなくなった子を手に取ると、アカは私の顔に向かって連れてゆくなと鳴く。
 冷めたく固い子猫をスコップ一振りの穴を掘っておいて、土をかぶせた。
 子猫は、二日経つと、また死んだ。
 二匹になり、翌々の朝、
 一匹だけになった。

 この手で掘っては埋めた小さい三つの盛り土が、庭先の畑のはずれに並んだ。
 庭先で咲いていたラッパ水仙をちぎって盛り土に載せる。
 と、自然と両手が合わさり、目が閉じた。

 まだ光も見えないつむり目のまま、立て続けに逝ってしまった三猫。
 思えば不憫なものだ。
 私が何もしてやらなければアカに抱かれて今生きている残りの子もやがて逝くだろう。
 どうせ近々川に捨てるのだから、どうでも良いようなものなのに。
 姿のない魔力のようなものがちょいちょいっと子猫をあっさりと取り上げてゆくような気がした。

 くそっ。そうはさせねえぞ。

 ここから先は運命と私の関係だ。
 小屋へ駆け込む。
 鳴き声が小さいとはいえ四匹いたものが、いま、たった一匹。
 一緒に生れた兄弟があったなど知りもせず、ひたすら母猫の腹にむしゃぶり付いていた。

 私を見た母猫はその子の襟首を後ろからがぶりとくわえた。

  お前ら人間は次々と子どもを連れていってしまう。もうこの子はそうさせない。
 そう言い捨てるように、口に子猫をぶら下げながらうなるのだった。

 私は、分かったわかったから落ち着けとアカを撫でてやる。
 するとそこで子を放し、ごろりと寝て、また乳を与える。

  アカ。いいか、よく聞け。あと一匹しか生きていないんだぞ。このままではこいつもあの世にもって行かれっちまう。
  だが、おれが居るかぎり、そうはさせねえ。このおれがいっぱい旨いものを持ってきてやる。
  だから絶対にこの子を死なすな。いいかッ。乳をいっぱいやれよ。わかったか。

 私の大きな声に、むっくりと顔をもたげて、丸い目を輝かした、様に思えた。
 その日の夕食から、残飯ではなく私のおかずの半分をアカの元へ運んだ。
 どこに持っていくのだと父が訊く。
 それへ母がそしらぬ顔で、魚などのおかずを足してくれた。
 同時に、父がアカの話を繰り返すと話題を替えてくれたりもした。

 学校を休んで手伝った田植えの日。
 皆が手を休めているひととき。
 近所のおばさんが猫の話をした。
 どこかで猫っコ、要らねえだろうかと父がいう。
 すると、うちの子は、まあだやれねえよと、笑う母。
 だって、おめえ。さっさと捨てろといったでねえかといぶかる父。
 でもまだ誰にもやれねえと隅でにぎりをほうばって居た私も立ち上がる。
 なんだ急にと皆が驚く。
 母はその食物をアカに運んでいることをとうに知っていたのだ。

 残った子猫は相変わらず元気がない。
 鳴き声も、消え入るようだ。
 陽気が悪いのか、その頃季節はずれの寒い日が続いた。
 瓶にお湯を入れて手ぬぐいにくるんで、アカのそばに置いてやる。
 そのとき、そうだ小屋中全体を暖めればいい、と思ってしまった私。

 小屋の土間に炊き木やわら束が置いてあるのをかたずけた。
 そして焚き火をはじめたのだった。
 白い煙のなかで、ぱちぱちとはぜる炎。どんどん小屋が温まる。
 してやったりと、アイデアに酔った。
  どうだ、暖かいだろう。
  にゃおうん。

 炎に勢いがつく。
 間もなく屋根裏に積んであるわら束がぷすぷすと煙を出し始めたのだった。
 こりゃいかんと水汲みに走り出した。

  この、ばっかもんが!

 大声が聞こえると、大きなバケツから振りまかれた水を全身に浴びた。
 父だった。

 まさに間一髪。
 父が戻っていて、煙に気づいて駆けつけなかったら私の人生はちょっと変わっていただろう。
 近所の家や山林に燃え広がりでもしたならと今更に、背筋が寒い。

 父は、上に積みあげた有ったくすぶるわら束を、ぽんぽん外に放り出した。
 母と私でそれを水びたしにした。
 私は短髪の頭に灰を浴びながら動いた。
 火煙はどうにか収まった。

 一息ついた瞬間。
 父はたくましい腕を振るって、私にビンタをあびせた。
 私は瞼に閃光を見て数メートルもぶっ飛んだ。
 だがこれが責任の取り方なのだから、泣くわけにはゆかなかった。
 父は一切理由など訊きもせず。
 こちらもまた一言の言い訳も不平不満も洩らさなかった。

 数日間、私の頬は真っ赤に腫れあがったままだった。
 が、それを見た教師も、さほど心配顔を見せなかった。

 その後。アカ親子は母の提案で母屋の私の部屋に連れてきた。
 私の寝床のそばに横になって乳を与えるアカとその子をながめる母が言った。
  火事を見たくらいの猫だからさぞ元気に育つだろう。
 と、疲れ顔に薄く笑みをみせた。
 そして、お前にも人並みの情があったんだねえと付け加えると、自分の寝室に去った。

 たった一匹残った子猫は、その後元気に生き続けた。
 私が成人して家を出た後もまだ元気だった。

 親のアカは私が十八の年に死んだ。
 アカはあのあと三度子を生んだが、すべて父が大川に納めた。
 生き残った子猫はファイトと名付けた。
 火のファイアと元気にというファイトの思いを込めて、当時中学で習いたての英語辞書で調べて付けたのだった。

  なんだあ。ふぁ、ファアだとう。

 口数の少ない父が、晩酌のおちょこを摘んで口をひねった。
 気取りゃがってと鼻先で笑う。
 酔ったその視線は私のまだ腫れのひかない頬を見とめる。

 ファイトだよと意地をみせてにらみ返したものの、私を変に子ども扱いしない父のまなざしが何となく嬉しかったのを、いま懐かしく思い出すのだ。


       −− 「風の匂い」 おわり−−






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