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夢舟亭
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エッセイ  夢舟亭     2007年12月15日



   クリスマスケーキに思う


 12月に入ると、夕暮れにイルミネーションで立木が輝き、浮きたつ。

 街が華やぐこの季節のクリスマス風景には、赤鼻のトナカイやジングルベル、そしてホワイトクリスマスの曲が様々なアレンジで流れている。

 景気づけの明りは主に商店街のものだが、安く手に入るのだろう一般家庭でも庭木などにからみつけて点滅させるものがあるようだ。

 クリスマスとはキリスト教の教祖の誕生の日とされている。
 されている、というのは根拠は薄いらしい。
 どこの神話もシンボリックな分謎めいている。

 二千年も昔の根元や実証の如何はここでは問題でないのだ。
 年最後の月の24から25日には、皆それぞれにクリスマスという名の祭りの夜として、楽しむことに決まっている。
 宗教的意味や自分の宗派などほとんど問題視されないことに「なっている」。
 だから遠からずはイスラム世界でも行われたりするのではなかろうか。

 とうぜん日本人の私もまた、自分の生い立ちの過程においても、後にわが子を育てるなかでも、クリスマスの夜の飲み食い交わす思い出を残してきた。
 儀式的部分のいっさいを知らず、またそうした記事や放送など読まず聞く耳ももたないできた。
 本来のクリスチャンたちに不都合でなければ、それもいいじゃないか、というふうに。

 もっとも私の育ったころのいなかでは、クリスマスケーキやシャンパンなどどの家も口にすることはなかった。
 先取りで宣伝するモダンな店につられて、買い求める様になった。
 そういうふうに見よう見まねで皆に広がったのだ。

 食べれば美味しい。
 なによりもあの丸いバウンドのベースを、クリームやチョコレートを塗りたてて飾った贅沢さがなんともいえない。
 まさに涎たれる豪勢なお菓子の姿は贅沢のシンボルなのだった。

 ケーキでも腹一杯食わせてやったならさぞかし子どもたちは喜ぶだろう、という思いが戦後の親たちに湧いたことだろう。
 荒廃によりすべて失った戦後の国民みなが、腹一杯ケーキなどが食える素晴らしい国にしようという思いになっても、それは無理からぬことだった。
 そのためにみんな一生懸命頑張り努力しようと思ったのだ。
 そのほかに取る道はないと信じていたのだ。

 もちろんそれは豊かさを思い描くひとつの例である。
 ケーキこそが高度成長の原動力だったなどと言い切るつもりはない。
 なにせ日本の戦後の復興期は、衣食住すべてが貧していて充足を夢見てきたのだ。


 そういう先にある今。
 ケーキなどいつでもどんな山間部でも離れ島でも、コンビニやスーパーで手軽に入手できる国となった。
 あの当時から見れば、この国全土のそちこちが、昔夢見た「おとぎ話のお菓子の家」になった。

 それはここ30年でほぼ仕上がった。
 平成ニッポンは「ケーキが食えるなら」の昭和から続いた夢世界なのだ。
 何はともあれ現在は当時の親たちの願いは叶ってしまった。

 あの頃の子どもたちは、大人になり家庭も子どもも、もった。そして育てた。
 夢であったケーキを腹一杯食える豊かな国は、とうに当たり前になった。
 すでにケーキは特上のお菓子ではなく人々の意識の外におかれるまでになった。

 だから当時の子らが今わが子に願うのはケーキが食えることなどではない。
 高学歴から良い暮らしへという幸せのイメージ路線を夢に、自分が憧れた思う存分勉強できる個室まで与えた。
 個室にはベットもテレビも電話もピアノにオルガン・・と喜ぶ笑顔見たさに、他家に負けじと備えた。
 衣食住以上を満たして育てれば・・。

 国成長の証となるモノが余り溢れる現世代の若者らは、ケーキごときに顔も目も輝かせることなく、べぇつにィ〜、と素っ気ない。
 素っ気ないどころか、まだまだ満されぬうつろ目の奥には憂鬱さえ見てとれる。
 とても二段積みのデコレーションケーキごときに目を皿にするなどなく。
 ぴろぴろと鳴れば親など居るのもウザ気に、どこかの誰かとケイタイ話が長い。
 あるいは自室にこもってぴこぴこゲームや、なかには性を売り命を汚し他人を言葉で刃物で傷つけて。何が悪い、頑張る意味など分からないと平然顔。親子家族の情も絆も、か細き有様を報ずる記事は絶えない。

 すべてとは言わないが、それが当時夢見たケーキが腹一杯食える国の一断面ではなかろうか。

 頑張り努力一生懸命の親たちとともに、上り坂に汗してさえ、自家用車がもてるなどとは夢にも思わなかった。
 その途方もない夢がとうに実現した。
 その先でこうも殺伐とした情景に出会うとは、皮肉というほか言葉があろうか。

 当時予想だにしなかったこの痛烈さは、神が描いた皮肉かお芝居の演出にも感じる。
 頑張り努力一生懸命の親の背中を見て真似て育った子のその子たちなら、頑張り努力一生懸命をモデルにして真似て、次の世代は更に夢を大きく描いて、明るく励んでしかるべきものを。

 あの当時の親へどう説明すべきか、言葉がない。
 平成に生きるわたしたちは今悪い夢を見ているのだろうか。
 ケーキはともかく、モノの豊かさに驚喜ほどの感謝と笑みが待っているべきではなかったのか。

 それが勤勉といわれた大人でさえ誇るどころか希望を失って、自死という道を選ぶ者まで居るその数は、日に100人。年間35,000人とはどうしたことだろう。

 日本は今イルミネーションで賑わうクリスマスには、ケーキやシャンパンを腹一杯味わえるようになったのに・・・。




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